マリエール王国 2
木漏れ日が入る窓から穏やかな風が吹いている。
その窓から続く壁には分厚い額に収納された絵画が数点並び、部屋の中央の厚い一枚板のテーブルには細やかな刺繍が施されたクロスが敷かれている。
贅沢に空間を使用したお茶を楽しむ為の部屋に踏み入ると、柔らかな絨毯の質感が靴越しに伝わってきた。
部屋の端には使用人が数名控え、静かに主役の登場を待っている。
その間、同じく部屋にいるクレージュに視線が集中する。
あれは何者?
どうして王女と親しいのか?
慣れている?気後れしていないな。
昨日と別人みたい。
疑念と興味が部屋に満ちていた。
それもそのはずだ。使い古した外套と変哲のない服を着て現れた訪問者が、翌日には、そんな部屋に違和感なく立っているのだから。
襟付きの白いシャツに濃紺のベスト。生地も仕立ても良い服に磨き上げられた革靴。襟や裾には金糸で刺繍が施されている一級品だ。更に髪まで整えられているので、まるで貴族の出立ちだった。
クレージュは自分の椅子の側に姿勢正しく立ったまま、胸中でため息をついた。
(落ち着かない)
この待機時間というものが苦手だ。
ただでさえ物音一つ立たない部屋には緊張感が漂うのに、昨今はそれに加えて混ざる余所者への視線に息が詰まりそうになる。準備される服などはこれまで訪問した際に断りを入れたのだが、王女に却下されてしまった。
(まぁ、こういうのも久しぶりで懐かしいけど・・・)
風が外の木々の葉を揺らす音に耳を傾けると、少しだけ過去の記憶に浸る。
そうして意識を少し多めに記憶に傾けると、心地悪さは消えて深い呼吸を思い出せる。
ドアノブの音が聞こえたのは、それから10分程過ぎた頃だった。クレージュは正式な一礼でレイキッシュを出迎えた。
「公務お疲れ様です。お待ちしておりました」
旅の話を聞くというと、なんとも道楽的に聞こえるが、立場が変わると得るものは多い。
とても有意義なお茶会は連日3日間、午後に2時間程行われた。
歳の離れた弟に王位が継承された後も、領地を持ち、3人の子供を育て上げた彼女は、王族として立派に日々を過ごしている。
幼い頃の彼女は土産話を楽しげに聞いていたが、成長した今では楽しむ最中にも知り得ない場所の情報源として聞いているのがわかる。
もうしっかりと国を支える相手には、親しい相手といえ軽々しく話せない事もある。
そこを判断しつつ、悟らせない話は実に難しいのだが、クレージュはその駆け引きが嫌いではなかった。
レイキッシュがそこに気が付いているかは、当然ながら彼女のみが知ることだ。
長年の知り合いである2人の間には旅以外の話題も尽きない為、尚更楽しい時間となる。
特に人払いをしてからのレイキッシュの身辺話に限っては、立場的に普段どこにも吐露できない身内への愚痴も含まれていて、時間を切っていなければ永遠に続きそうだという同じ感想をクレージュは毎回心に秘めている。
瞬く間に日は過ぎ、4日目はクレージュが城を後にする日だ。
元の軽装で通用口へと向かう前にレイキッシュに挨拶をする。
「お忙しい中、ありがとうございました。とても楽しい時間でした」
「私もとても楽しませてもらったわ」
「では、ーーー」
「次の便りも、楽しみにしていていいかしら・・・?」
「そうですね、また手紙を送りますよ」
笑顔で返事をしたクレージュにレイキッシュは表情を曇らせた。
「その笑顔に子供の頃から何度だまされたかしら。もう通用しないわよ」
ほんの少し表情に浮かんだ悲しみには気がつかない振りをする。
「これは手厳しい。でも実際、確実に残された時間は分かりませんのでお許しを」
「ここに住むことも提案しても・・・ダメなのよね?」
「返事は変わりませんよ」
この会話は何度目だろうか、相変わらずバッサリとお断りします、という言葉が返る。
ストレートな言葉を相手に強い言葉だと思わせない声の使い方と話し方は、クレージュの強みの一つなのだと、いつの頃かレイキッシュは気がついた。
「貴方が剣を預けるのはたった一人だものね」
レイキッシュは息をついて言葉を続けた。
「この先、寂しさに潰されてしまわない事を願っています。本当に、いつでも待っているわ、ひとりではない事を忘れないでね。クレージュ様」
「心に留めておきます。どうかお元気で。レイキッシュ王女」
先ほどとは違う笑顔で頭を下げた後、クレージュは通用口へと足を踏み出した。
城を出て、城下町へと続く森の小道をしばらく歩くと大きく息を吐く。
(成長したな?大人になったな?…何が当てはまるんだろうな?)
そういうのは通り過ぎたな、と、また大きく一つ息をつく。
(当たり前か、彼女はもう見目は自分より上だ。子供も育て上げて、生きた時間の変化を積んだあたり、色んなところで自分より先を歩いているんだろう)
置き去りにされる。
命の火を消した同種の仲間にも、時間にさえ。
言葉が反芻される。
『寂しさに潰されてしまわない事を願っています』
子供の頃は手を焼くはねっかえりだった彼女が、今は自分を案じている。
何度もマリエールを拠点にしないかと言われた。誰かと共に生きることに揺らいだ事がないかと言われれば嘘になってしまうが、一度も首を縦に振らなかった。
それはやはり自分が望んでいる事では無いのを知っていたからだ。
もう語り継がれる話になっている数十年前の出来事。
世界には魔物が蔓延っていて、それらを統括する主が居た。
それを打ち取ったのが精霊の力を持った不老長寿の種族だった。
彼らはスカイゲートという国を建て世界を統治し、長い年月の平和を守ってきた。
だが、不老長寿とは永遠に生きるわけではない。
いちばん最後に精霊の力を得たクレージュは、その最後の一人となっていた。
戦いに明け暮れていた当時のクレージュの外見は二十歳前後だった。
平和が訪れ、世界が安定しはじめた当時のクレージュの外見も二十歳前後だった。
安定してきた当時に出会った子供達が、成長変化して自分よりも数十歳上になっている。
会うたびに年齢が近くなり、そのうち遠のき始めた時間のずれた感覚は表現する言葉がない。
仲間の最後の一人はスカイゲートの王だった。彼の死後、城内が落ち着いたのを見届けて、クレージュは旅に出た。
スカイゲートの騎士としての役目が終わった瞬間だった。
『もうそろそろ、自分達は表舞台から退いたほうがいい』
それが晩年、王がよく口にした言葉だった。クレージュ自身もそう思っていた。
その頃、世界中でスカイゲートへの依存率が高まり始めていた。スカイゲートさえあれば、聖霊族さえ居れば安定を永遠に約束されると言い出す人々も出始めていた。
その幻想は膨れ上がれば危険な思想でしかない。その危機感を感じていた。
だから彼を見送った後、自分も城を後にする事にした。そして、どうせなら自分達が守った世界をゆっくりと見て回ろうと思い、長い間旅をしていた。
毎日を自由気ままに生き始めた。気が向けば、ひとところに数年身を置いてみたりして、全く違う生活と交流を楽しんだりした。数年後に様子を見に立ち寄ってみたり、それなりに楽しい気楽な生活を続けていた。
だが、そんな生活を繰り返すうちに、自分にとっては僅かな数年間に、町も人も様変わりしている事実を知った。
その感覚を共にする仲間はもういないという事実も実感した。
スカイゲートから王が消えても、問題なく時間は動いている。
世界はもう人間達で十分成り立っている。
長寿などというものを持っている自分達と違い、人と歴史は時間と共に動き、変わるものだと痛感した。
下手に深く人と関わってしまうと見目が変わらない自分は後々面倒な事になることもあった。
どうしてもついてまわる情というものがとても厄介なものになる事もあった。
クレージュは新たに人と深く関わる事をやめた。
そうしていたら、やがて自分を知る人間はいなくなる。
思い残しも無くなるはずだ。
生きた年数は遥かに長いはずなのに、成長した人間は、見た目だけでなく内面も自分より上であるように感じる事が増えた。
変化のない時間を揺蕩う自分とは違い、彼らは生から死までの変化を生きているのだ。
数々の物語で特別として描かれることの多い『長寿』は、仲間を失えば、ただただ残酷だ。
王の死の変化の前に、今の自分と同じように髪色の変化が見られた。
それを見ていたから、髪色が徐々に消えていく様は命の火が減っているように見えてくる。
もう直ぐだかもしれないと思う。だが、寿命はいつまでかなど、確証はない。
こんなところだけは、長寿だろうと短命だろうと同じなのだと皮肉に思ったことが何度もあった。
時折、焦燥でも戸惑いでもない、どうしようもない気持ちが自分の足を止めようと湧き上がってくる時がある。
クレージュは深く深く空気を吸い込むと、静かに長く吐き出した。
余計なものを風に乗せて分散させるイメージでゆっくりと繰り返すと、それらは静かに風に溶けていく。
心を落ち着けると外套を羽織り、港へと足を踏み出した。
ご一読ありがとうございました。




