大神殿 3
翌日、クレージュは朝から大神殿の聖書庫にいた。
靴音と紙を捲る音、メモを取る音、小さく絞った会話、棚から本を抜く音、しまう音、ついでに寝息も多数。
寝息以外は極めて遠慮がちに立てられている。
静かで居心地が良い。
こんなに本を読んだのはいつぶりだろうか。時刻はいつの間にか正午を回ろうとしている。
(やっぱり世間に公開してる書物には当たり障りない事しか載ってないなぁ)
溜め息と共に胸中で独りごちて本を閉じる。
ちょうどその頃合いに、近付いてきていた女性の足音が止まった。
「大きな溜め息ですね」
かかった女性の声に振り向くと、姿を確認して席を立ち一礼する。
「これは最高位様、このような場所でお会いするとは思わず、お見苦しいところをお見せしてしまいました」
現最高位の称号を持つリラフェルが、にこりと微笑んだ。
「ごきげんよう、クレージュ様。今日もこっそり近づいたのに、あなたは本当に驚かないですね」
「幼い頃もそのような事をされていましたね。本日はお声がけいただけるとは思っていなかったので、十分驚きましたよ」
言いながら周囲を伺うが付き人の姿がない。
「まさか、お一人ですか?」
「外で待ってもらっているわ。多人数で来る場所でもないし、流石にここは安全でしょう」
安全性以前に、彼女の身分なら本など頼めば部屋まで持ってきて貰えるはずだ。それをわざわざ足を運んで話しかけてきたという事は、目的は本ではなく自分だという事だろうか。
彼女が頬にかかる髪を耳に掛けると、短い金髪の下で揺れる耳飾りが触れて僅かに音を立てた。
背は女性としては高い方だが華奢な体型をしており、切長な瞳が面立ちを上品に整えている。確か二十代半ば頃で、しっかりした立ち振舞いを見せる女性だと噂に聞いている。
「本日は私に何かご用でしたか?」
「それですが…クレージュ様のご都合がよろしければ、この後、少し私にお付き合い頂いてもよろしいですか?」
「主だった用事はありませんので、それは構いませんが……どちらへ?」
「秘密です」
リラフェルは満面にこやかに微笑んだ。
席を立ったリラフェルの向かった先は、付き人が待つ入り口ではなく、聖書庫の奥だった。
奥の部屋の更に奥には、施錠された部屋がある。その部屋は神殿の上位職みのが入室可能な場所だ。
当然、最高位であるリラフェルは入室出来るので魔法で解錠して足を進めていく。付いてこいと言われた手前、何かに不用意に触れたりしなければ、立ち入っても問題ないだろう。
だがリラフェルが壁の一部に触れた辺りで様子が変わり始めた。
本棚がずれて現れた隠し階段を登り、人がすれ違える程度の狭く長い通路に差し掛かかる。
片側にドアと灯りが割と広い感覚を開けて並んでいて、通路の先は終わりが見えない。
クレージュは前を行くリラフェルに声をかけた。
「あの、流石にここは私が立ち入ってはいけない場所では……」
流石に少しばかり焦る。
どう考えても自分が侵入してはいけない場所だ。
堪らず声をかけたが、彼女はクレージュより少し先まで行くと、目的のドアを解錠しながら振り返る。
「大丈夫です。黙っていれば誰が入ったかなど分かりません」
「いや、そういう事ではなくて…」
「この通路から月の聖域にたどり着けます。小耳に挟みました。通して貰えないのでしょう?」
「リラフェル様は当然ご存じと思いますが、あの場所の全ての錠は特別な鍵で管理されていると聞いています。到着したとしても入れませんよ」
その言葉を聞いて、リラフェルが得意げに片手を見せた。その細い指には魔法石が施された鍵がぶら下がっている。
「それっ……、お待ちください!リラフェル様」
慌てて呼び止めるが、リラフェルは聞く耳を持たず足を進めてしまう。
(なんて事を……置いて帰るか?神殿だし放っておいても危険はないだろう……けど万が一、何かあったらどうする)
一呼吸に思考を巡らせたあと、通路の前後を見渡した。
(このエリアに俺が一人でいる事を見られても既にダメなんだよな)
今なら人に見られないまま書庫に戻れるかもしれない。かつての主レオンハルトなら、迷い無く彼女を連れて、来た道を帰るだろう。それこそ腕を引いてでもだ。
「……」
結局は放置できる訳も無く、後を追ってドアを潜る。
「来ないのかと思いましたわ」
言葉に反して追ってくるのがわかっていたのだろう。案外そばにいたリラフェルが直ぐに声をかけてきた。
少し薄暗い部屋を照らすために灯したらしい、魔法の光球が頭上と足元を照らしている。
「リラフェル様、流石に看過できませんよ。戻りましょう。その鍵は司祭様の許可がないと持ち出してはいけないはずです」
「風のように自由な方だと伺っていましたのに、堅い事を言うのですね」
「自由と勝手は違います。私は最低限、守るべき事は守ります」
「クレージュ様は、おかしいと思いませんでしたか?過去、レオンハルト様がスイ様の聖騎士になられた後、レオンハルト様の精霊の力が確認されて、称号を剥奪されたお話」
「……それは、人間の代表である聖騎士が精霊の依り代となる最高位様をお護りする決まりだからと聞いています。加えて聖騎士が長寿の精霊族では、年齢交代が決まっている聖騎士の決まりも上手く噛み合わなくなるから、と伺いました。これまでのルールを遵守するなら致し方ないとも言えます」
「スイ様も精霊族なのですから、レオンハルト様も特別称号にして、ご一緒にずっと神殿に囲われればよかったのに、と、私は思うのです。人間が真似事をするより、精霊族がいた方が神殿の名も上がると思いませんか?」
クレージュは言葉に詰まった。それは何度も思ったことだったからだ。
だが、レオンハルトは必要でない限り、不平不満を声にする人間ではなかったし、何より自分の中で折り合いを付けたから問題ないと言っていた。
もし胸の内に何か持っていたとしても、その後、レオンハルトはスイと同じく魔族の主を倒すという目的が出来たし、更にその後は王になる道が待っていた。
その事を蒸し返す暇などなかっただろう。
「お二人とも旅に出る身であったから、どちらにしろ神殿を出られたとは思いますけど、拠点はもしかしたら大神殿だったかもしれませんし、スイ様もお亡くなりになってからのご帰還にはならなかったんじゃないかと考えたりします。もし、の話は意味がないですが」
「……」
もっともだ。と思う。だが、自由の身だったからこそ、どの国とも中立のスカイゲートが出来て、世界も長い間平和に過ごしていた。
クレージュは少しだけ考えてから言葉を返す。
「神殿の考えは私には計り知れませんが、スイ以外にも最高位様が居られますし、神殿高位の方々も安心されていたのではないかと思います。これまで通り、であれば平穏と秩序も保たれます」
「確かに、これまでの最高位も私も通常の精霊水は作れますが…存在が違うのは未だにスイ様の領域を聖域として保存しているのが答えです。私は直接見てみたいのです。かつてのお仲間であり、精霊族であっても立ち入れない聖域と、そこに貯蔵されている効力の高い精霊水を」
声から不信感と妬みが見え隠れする。
後者に関しては彼女の立ち位置を考えれば、正常な感情だと言えるだろう。
しかし、誰かと比較される事自体辛いのに、もうこの世に居ない人と比較されるのはとても厳しい事だ。
まして相手がスイであるなら、残念ながら彼女では超えることは出来ない。
悪い意味でその感情に振り回されていないのは、教養の行き届いた彼女だからかもしれない。
リラフェルの気持ちを汲んであげたいが、クレージュは答えに困っていた。
スイには悪いが今となっては疑惑の場所でもある。
そして自分にとっては踏み込みたくない場所だ。
過去の出来事があった場所だけに、万が一にも自分の身に何が起こるかわからないという恐怖心もある。
とはいえ、これは立ち入る絶好のチャンスとも言える。
「それに…」
答えあぐねていると、リラフェルが口を開いた。
「それに、誰が作っても追って魔力が注がれなければ効力が薄くなってしまうのが精霊水です。いくら特別なお力があったとはいえ、お亡くなりになって何十年と経つのに、未だに効力を失わず現存しているのはおかしいと思うのです」
「それは……そうですね」
スラスラと出てくる疑問は、昨日今日の浅い考えではないことがわかる。誰に聞いても調べても答えは出てこなかったのだろう。
リラフェルも長年考え抜いた上の決行であることが伺えた。
もしかしたら自分が想像する最悪の状況と同じ事を考えついているのかも知れない。
「分かりました。利害が一致するという事で、ご一緒させていただきます」
「ありがとう。それでは向かいましょうか」
足を進めたリラフェルに、クレージュも歩調を合わせて歩きはじめた。
ご一読ありがとうございました。




