大神殿 2
クレージュは教会から出ると、他に目もくれずに湖にかかる橋を渡った。終着点はアルボールという小さな町の入り口だ。規模は小さいが、大神殿へ訪れる旅人が滞在する宿場町として賑わっている。
旅人たちの目的の多くは大神殿の聖書庫だ。そこは世界三代図書の一つで、数え切れないほどの本棚と書籍が並んでいる。それが目当てで数ヶ月や年単位で滞在する者も多い。
クレージュも一先ず、半月分を宿に前払いしてある。
部屋に入って鍵を閉めるとベッドに勢いよく腰掛け、床を踏む。
「何が後々に締まりが、だよ。関係者っていうなら俺は唯一の同じ種族だっての!遺体保存のこともまだ言うし!言い方も最悪だし、ほんっとうに、あの人苦手!そもそも全部嘘っぽいんだよな。存在というか、空気が。嘘つきのそれっぽい!しかも業突くっぽい。そんな空気がする!漂ってくる空気が気持ち悪くて鳥肌が立つ」
部屋に入るまで堪えていた愚痴を一通り口にしたら、思い出した不快感に両腕をさする。こんな不快感は久しぶりだ。自分のことではなくレオンハルトの言動に対しての皮肉だったことが、何より不快だった。
「……ダメだ、ちょっと空気を流そう」
窓を開けて大きなため息と共に全てを吐き出すと、改めて美しく聳える大神殿と古代樹を見つめる。
現在、月の聖域に残る呪い解除が可能な精霊水は、必要な時のみ神殿の許可を得る形で使用されている。
時折どこかの有力貴族が、精霊水を使用した結果、死の淵から奇跡の回復を見せたと噂が広まる事があるが、一般的な最高位が作る精霊水は体力と魔法力の回復だ。
そこに使われているのも、おそらくスイの精霊水だろう。
神殿と貴族達の裏に高額のやり取りが透けて見える。
想像の域を出ないが、聖域に誰も入れないのは見られたくない事があるのではないかと考えてしまう。
神殿に限らず、何処も生計を維持しなければならないのは理解しているが、スイが亡くなった後に残した物が、私益の為に使われているのはあまり嬉しくない。だが、クレージュに介入できるところでは無いのが現実だ。
精霊信仰として成り立っている教会だが、信仰とは何か、とたまに考えさせられる。
精霊族だからと神殿に囲われても困るので、それを言われないのは嬉しい限りだが、これまで教会から何か良い声がかかった事もない。
司祭ニゲルは、スイが闇落としを行った時に司祭だったエリアスの遠縁にあたると聞いたことがある。
エリアスは少々強過ぎる信仰心が難儀ではあったが、人間としては信頼ができる人だった。
しかしニゲルとはどうにも肌が合わない。これは説明不可能な部類の『合わない』だ。
どうしようもない。
クレージュはエリアスの代が終わって以降、神殿にあまり訪れていなかった。
もう神殿内に知った顔も少なくなっているだろう。
誰かに通して貰うと言うのも難しそうだ。
「どうしたものかな……」
備え付けの小さな椅子に座ると、テーブルに積んでいる本の一冊を広げる。
大神殿の聖書庫から借りてきたもので、書物のタイトルは『特別最高位の軌跡』と書かれている。表題通りスイが生前行った事が記されているものだ。
闇落としの章だけは読んでいるうちに、断片的に残る『彼』の記憶と、自分が目を開けた時の記憶が連鎖的に掘り起こされた。
あの時、初めて見た世界があまりにも眩しかったので、直ぐには状況が分からなかった。
おそらく見る事に慣れない目には、水面の反射を受けるスイの白が眩しかったのだと思う。
徐々に目の前には泣いている女性とその女性を抱えている男性がいる事がわかった。
(そのあと部屋の感情が痛すぎて泣き喚いたなぁ)
幼いクレージュは容赦なく風が運んできた場の感情を受け止めきれず泣き暴れた。その結果、スイの腕から落下し、物理的な痛みで更に泣いた。
絡まっている布が邪魔で上手く動けないし、大混乱したのを覚えている。
そんな中、今度はレオンハルトに力強く抱えられて宥められた。視点がとても高くなったのと、自分の体がしっかり支えられて安定したのを覚えている。
その頃になると部屋の悲痛な空気が多少柔らいだので、クレージュも次第に落ち着く事ができた。
実は自分が泣き暴れたため二人の気が紛れたのだという事は、本人は知らない事実だった。
書物には闇落としで魔神族の闇は無事に落とされた、と記されていた。何が残ったかまでは書かれていない。
もっというなら精霊の力を持った魔神族、とも明記されていない。書物など所詮そういう所があるのだろう。
闇についてもそうだ。
(残念だけど残ってるんだよなぁ…)
クレージュは思う。
自分の中に常に違和感がある。それが『彼』の存在か『呪い』なのかは分からないが何かが存在している。
これは最初はなかったものだ。もし最初からあったのだとしたら、気がつかないほど小さかったのだろう。
クレージュの成長と共に、じわじわと存在感を増していった。
そこまで思い出すと連動して想起するのは自分の成長過程だ。通常の子供より成長速度が早く、人と呼べないものだったと記憶を辿る。
まず二ヶ月ほど経過すると、数歳分は体が成長していた。
一晩寝ると、翌朝には急に背が数センチ伸びていた事もあった。
その時の成長だけは、自分のことながら少々怖かった覚えがある。
見える景色が毎日変わっていく。数ヶ月で見上げていた相手の顔が同じ高さになり、下に見えるようになっている。手の届く範囲も変わり生活に苦労した。成長が早いせいで身体中が痛み、ずっと動けない時もあった。
そんな変化も一年程で落ち着きを見せ始めたが、あれは周りに理解がないと到底まともに育つことは出来なかっただろうと思う。
(そもそも、自分はなんだと言うのか)
クレージュの思考はいつもそこに舞い戻る。
もし魔神族の呪いが落とされたのなら、残るのは彼では無いのか。
自分という存在はどこから来たのか。
彼の中に新たな人格として自分が出現したという線も考えたが、よく話に聞くような別の意識が存在するような経験はない。
ただ、クレージュは自分が闇属性の物や攻撃に対してはとても弱い事を自覚していた。
服の胸元を指先で掴む。
体内に爆弾を抱えている気分だ。
(調べる程、分からないという事しかわからない……)
何年生きても自分の事だけは、解明されない謎の塊だ。
(闇魔法に反応するから呪いだと思ってるんだけど、どうなんだろう……)
小さなため息と一緒に服を持っていた指の力が抜ける。
「うーん…」
考えがまとまらないまま積んである別の本をパラパラと捲る。
こちらのタイトルは『魔神族』だ。
先程の本と同じく、一般に公開されている本でどこまで知れるか謎だが、知識の見直しも必要と思い昨日中に読み終えたものだ。
始まりは、ある年代の村で起こった人間同士の争いだ。何年も続く醜い対立に怒った神が、全員を人では無いものに変えてしまった。それが魔神族の誕生となる。
元々は魔の人族と書いたようだが、呪いで持つようになった羽と、強い魔力を恐れられ、魔の神族になったと記されている。
やがて人間でも魔族でも無い彼らは、双方から襲われるようになった。という歴史を歩んでいる。
戦闘に秀でていない人間では、彼らに敵わない様に感じるが、相手の強さが魔法力だけなら対策は立てられる。
本の後半には数々の戦略や戦いの歴史が沢山書かれていた。
そういった事に興味が無いわけでは無いが、今欲しい情報は呪いの解除方法だ。
だが世界を巡ってみた結果、出来る事は大体し尽くしてしまっている。
かつて争いが起こっていたと言われる村の跡地にも足を運んでみたが、街道の走る平地に石碑が残っているだけで、特に得られる情報は残っていなかった。
(もう呪いを解く方法はわかんないかもな)
何かあって魔神族の力が戻るかもしれない。
何かあって呪いが別の形で発動するかもしれない。
その姿は魔族を連想させるものかもしれない。
『かも』が周りに害を与えるのが恐ろしい。
レオンハルトもスイも聖霊族でとても強かった。何かあっても対処出来るだろうという安心感があった。
だが他の人ではそうはいかないだろう。
誰かの側に居続けようとは思えない。
どうにも良い方向が見えてこない。
「……ダメだ。今日はもうダメだ。考えるのやめよう。美味しいものでも食べてゆっくりしよう」
決断するとクレージュは早めの食事を取るために出かける事にした。
ご一読ありがとうございました。




