秘め事 3
スイは精霊を信仰する大神殿に転移を成功させていた。
そこは標高の高い山々の峡谷にある彼女の故郷だ。
その中でも『月の聖域』と呼ばれる場所は彼女の魔法力で設備が整えられた特別な一画となっている。
部屋は一面が白と淡い緑の大理石で作られ、ステンドグラスからの光が唯一の装飾となる、洗練された美しい部屋だ。
部屋の中央には『エーテル・フォント』と呼ばれる直径五メートル程の巨大な水の溜まり場があり、そこには周辺の山々から引き込んだ湧き水を浄化させた、精霊水が貯水されている。
精霊水は弱った体力や魔法力を回復させる事ができる聖なる水で、一般の回復薬より効力が高い。
神殿はこれを精霊のギフトとし、各地では希少な回復薬として使われている。
古来からの魔法使いの国ペイザージュに加え、各国の魔法使いを集めても、回復や治癒が可能な魔法使いは少ない。神殿はより良い精霊水を作り出せる人物を探しだし歴代『最高位』の称号と地位を与えてきた。
当代は精霊の力を持つスイに幼少期の頃から与えられていたのだが、成長するにつれて彼女の作り出す精霊水が異なる性質を持ち始めた。それは回復以外に、闇や魔を浄化する力を持つという物だった。
新たな奇跡の力に神殿も町も大きく湧き、世の中も盛り上がった。実際に呪いのせいで使えなかった代物が一級品へと変化した物もある。
だがやがて彼女は魔の者と戦うために旅に出る身となる。
象徴的存在でもある『最高位』であり『精霊族』である彼女を不在にするわけにいかない神殿は、当初、旅立つことを快諾しなかった。
しかし平和を求める世の中はそれでは納得をしない。
最終的に世界に安寧を取り戻すという目的を果たした後、神殿に戻る事を条件として許可を出した。
その時にスイの称号は『特別最高位』となり、別の人物に『最高位』の称号と新しい領域を与えることで神殿は体裁を保っている。
スイは少し冷たいが懐かしい空気を深く肺に取り込んだ。
静かな部屋に自身が床を踏み歩く音が数歩分、響く。
「流石にまだ誰も来てないわね。侵入者はすぐに知れてしまうから急がないと……」
周囲を確認して呟くと、床に倒れ込んでいる魔族の着衣を掴んで引き摺り移動を始める。
「ここはっ、結界が強いからっ、尚のこと、辛いでしょうけどっ……もっと辛くなるけど、とりあえず入って」
エーテル・フォントの際までくると、魔族を精霊水に落とし入れる。
深さ三メートル程の澄み切った水に、身動きの取れない黒い物体が沈んでいく。
「はー、重かった…」
ひとつ仕事終えた様に息をついた後、ブーツとローブを脱ぎ自分も精霊水に身を沈め、魔族を肩に抱えて水面へと浮上する。ついで、水で重くなった髪を解く。
肺の水を吐き、荒く咽せる呼吸が右肩の後ろで忙しく繰り返された。
生きている限り、沈められた水から上がれば反射的に呼吸をしようとする。
至極、当たり前の反応だ。
「苦しかった? まぁ当然よね」
スイは足元に魔法力を集め、地面に立つように水中で水を踏み立った。
自身だけでなく魔族の体にも魔法力を繋ぎ重さを軽減すると、胸あたりまで精霊水に浸かりながら悠々と歩いて移動する。
部屋全体に張り巡らされている結界は、魔の者達が侵入できない様に部屋を守護し清めるもの。水は弱きを助け闇と魔を浄化する精霊水、体には精霊の枷、流石に身動きが取れない相手を運び、エーテル・フォント中央にある柱に押しつける。
スイの指が柱に触れると、頂きの精霊石から溢れ伝い落ちていた水の流れが止まった。微かに存在していた流水の音が消えて、完全な無音が部屋を覆う。
「貴方がレオンにさせようとしたこと、私は怒ってるの。命を奪う行為を軽率に頼まないで」
魔族の強く顰められた視線が嫌悪と猜疑を語っているが、無視して指先をその首に当て、魔力で光の輪を作り柱へ拘束する。
「何を考えている?」
「貴方を殺すのよ。正確には魔力に消えてもらうわ。……それにしても貴方」
スイが至近距離まで顔を近づけ瞳を覗き込んだ。
黒と白の瞳に違いの色が映り込む。
静寂の数秒間に互いの髪から水滴が滴り、音なく波紋だけを広げた。
「……綺麗なものね」
黒い瞳が僅かに揺れた。細い指が頬に張り付く黒髪を漉いて持ち上げる。
「髪も瞳も真っ黒。魔族は人が魔に堕ちた姿、こんなに綺麗な色じゃ無い。あなた魔神族ね、羽にも納得だわ。ここまで純黒だと艶やかね。私も他人からこんなふうに見えてるのかしら」
スイは沈黙を守る相手から手を離した。
「幼い頃に一度だけ神殿で会ったことがあるのよ、魔神族。どの種族にも友好的なはずなのに、どうしてあんな事になっていたの?」
「……」
「言いたくない、か。じゃあ、これから始めることを説明ーーー」
スイが話していると、突然、無音の聖域に荒々しくドアを開ける音が響き渡った。
入ってきたのは、数人の聖衛兵と大神殿の司教エリアスだ。
広い神殿を駆けてきたらしい、肩で息をしながら部屋に踏み込んで、スイと彼の姿を見つけて息を呑む。
「まさかとは思ったが、やはり魔の者が入り込んでいたか・・・!」
聖衛兵が槍を構えたのを見てスイが声を張った。
「武器を収めなさい!」
高いドーム型の天井にスイの声が反響する。
声の質の違いに驚いてスイを見たのは黒い瞳だった。
先程まで、どこにでもいる人間の女性と変わらなかったスイが一変して、凛と響く声を発していた。
声に魔力が乗っているのか、水面が少し揺れている。圧倒的な存在感を持つ特別最高位の魔法使いがそこに居た。
「結界と精霊水、精霊魔法の三重拘束です、問題ありません。それに、この部屋に武器などもっての外です。聖衛兵は外で待機しなさい」
「……部屋の外へ」
スイの命令とエリアスからの指示で、聖衛兵達が部屋から退室すると、部屋に静けさが戻る。
少し落ち着いた様子でエリアスが発言する。
「スイ様、ご説明をお願いします」
「闇落としを行います」
「闇落とし?!お言葉ですが、その者にそのような価値があのでしょうか?」
「価値は十分にあります」
「しかし……」
「これは決定事項です。期間は一月を見てください。エリアス、面倒をかけますが、しばらくの間は誰も近づかないように管理をお願いします。ここの事は、後日訪れるレオンハルト以外には他言無用、先程の者達にも固く口外しないように指示をお願いします」
「かしこまりました。必要があれば何なりとお申し付け下さい」
「ありがとう」
「スイ様、どうか御身のご安全を最優先にお考え下さいますようお願いします」
一礼し立ち去ったエリアスを見送ると、スイの背に声がかかる。
「俺も自分にその価値は無いと思うが」
「自分の価値は自分だけじゃなく、他人も勝手に決めてくるものよ。私は自分でも自分に価値があると思っているけどね」
彼から離れ、エーテル・フォントの縁に座るとスイは息をついた。
「聞いての通り、闇落としをするわ。基本的には物から闇や魔を、魔族からは闇を落として人間に戻すと言われている儀式よ。ちなみに、私は生き物に行った事はないわ」
途中、指先を水面で遊ばせながら言葉を続ける。
「必要なのは大量の精霊水と、必要に応じて、浄化の魔法で精霊水を浄化すること。浄化される闇に対して精霊水の浄化が間に合わなければ失敗、対象は自我を保てなくて狂う。また闇を落とすことに成功しても、対象の精神が持たなければ魂が朽ちる。どちらも命を落とす事と同義よ」
「……魔族は人間の部分が残るのかも知れないが、魔神族は人間ではない。結果がどうであれ、時間と体力の無駄だ」
「でも確か魔神族って、大昔に神から呪いをかけられた人間なのよね?その印として二度と人と同義になれないよう両翼を与えられたと本で読んだわ。どうせ死ぬなら、もしかしたらという可能性にかけるべきよ。貴方には精霊の力もある、新しい人生を歩めるかもしれないわ」
「大昔の真実まで俺は知らない。それが真実だとして、お前は神の力を払える気でいるのか」
「あくまで可能性の話よ」
「そのあり得ない可能性で残ったからと、お前達の仲間になる気はないし、見返りはないぞ」
「そうね、強制する気は無いわ。レオンが嫌うのよね、そういうの。『自らの意思じゃないと意味がない』とか聖騎士らしい言葉を言うのよ」
水から離した手を上に向けて、呆れたともうんざりとも取れる言い方をした後、黒い瞳を見て微笑む。
「だからまあ、その後はご自由にどうぞって感じ」
「お前たちは魔族を倒すために動いていると耳にしている。だったら、早くこの力を解放するべきだろう」
「どこにいるかも分からない同胞を探すのって大変なのよ。貴方が協力してくれれば早いんだけど」
「だから、俺にその気はないと言っている。新しい人生など俺は望まない、望むのはこの身の消滅だ」
言葉を聞いて少し考える仕草をした後、スイは口角を上げて答えた。
「とりあえず却下ね」
どこかで聞いたようなセリフを聞いて、彼は目に見えて項垂れた。
「お前達に話が通じないのはよくわかった。もう勝手に進めてくれ」
「じゃあ、承諾ということで。念の為言っておくわ。今は私の魔法で固定されてるけど、その水は闇が強ければ強いほど沈んで浮べないの。あなたは自力で浮べないと思うから余計なことしないでね。名前、は教えてくれるわけないか」
立ち上がり廊下に繋がるドアではない、右側面の一回り小さなドアを指す。
「そこの小さい方のドアね、通路じゃなく別部屋に繋がってるのよ。私はその部屋で準備に入るから、貴方はしばらく留守番ね」
スイは置きっぱなしにしていたブーツとローブを回収すると小部屋へと移動した。
ご一読ありがとうございました。




