平安時代編第二十七話 : 恋する乙女と焔の開戦
少し時間を遡る。
蒼と景行が村へ向かい、重苦しい静寂が落ちた邸の蔵の中。
そこには、柱に縛られた楓と、傷の手当てを受けた吾作、そして託された小太刀を両手でぎゅっと握りしめている葵の三人が残されていた。
葵は、楓の些細な動きも見逃すまいと、必死に鋭い視線を送っている。
だが、慣れない刃物を構えるその細い手は、小刻みに震えていた。
その様子を見て、縛られているはずの楓が呆れたように小さく息を吐く。
「……そんなに怯えなくても、とって食いやしないよ。そもそも縛られてんのに、怖いのは刃物持ってるアンタに睨まれてるあたしの方だよ」
「っ……! 怯えてなどいません」
葵が強がって小太刀を構え直す。
「そうかい? その割には随分と震えているようだけど」
「こ、これは怒りに震えているのです! 村の人たちを脅かす非道な忍びと、蒼様を……狙った、あなたたちに!」
葵の語気が強まる。
しかし、酸いも甘いも噛み分けてきた楓は、その言葉の裏にある『熱』を正確に察知し、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。
「……なるほどね。あの蒼い旦那に色目を使ったことは謝るよ。まさか、お姫様が自分の護衛に惚れてるなんて、思いもしなかったもんだからさ」
「……ッ!!」
図星を突かれた葵の顔が、瞬時にゆでダコのように真っ赤に染まった。
「そっ! そんなわけないじゃないですか!! わ、私が怒っているのは非道な忍びたちにであって、決してそのような……ッ!」
「はいはい、わかったよ。鉄の仮面を被った冷たいお姫様かと思ったら、案外可愛いところもあるじゃないか」
「……ッ、ううぅ……!」
図星を突かれた恥ずかしさと動揺で、葵の頭からシューッと湯気が立ち上る。
その異常なまでの赤面ぶりを端で眺めていた吾作が、「おおっ! 葵様も陰陽術を!」と的外れな感嘆の声を上げたが、葵の耳には届いていなかった。
楓はケラケラと笑っていたが、やがてその表情からスッと笑みが消え、忍びの冷徹な顔へと引き締まった。
「……でも、あの旦那。このままだと死ぬよ」 「え……」
朱に染まっていた葵の顔が、今度はサーッと青ざめる。
「……見事な百面相だね。って、そうじゃなくて。悪いけど、『不殺』なんて甘い考えが通じるほど、本物の忍びは甘くないんだよ」
楓は諭すように、しかし残酷な現実を突きつける。
「あの旦那と、武士がどれだけ強かろうと、躊躇いもなく女子供を殺せる奴らが相手じゃ、必ず誰かが死ぬ。……そうなったら、あのお優しい旦那は、手も足も出ないんじゃないかい?」
葵は息を呑んだ。
楓の言う通りだった。
あの優しすぎる蒼が、村人の誰かが犠牲になる救出劇など良しとするわけがない。
ましてや、奴らの真の狙いは『百鬼夜行を撃ち倒した者』……すなわち、蒼自身なのだ。
(蒼様なら……きっと自分の命を差し出してでも、皆を守ろうとするはず……!)
葵の脳裏に、蒼が身代わりとなって凶刃に倒れる最悪のビジョンが過ぎる。
小太刀を握る手に、じわりと冷たい汗が滲んだ。
「……あの旦那は金払いがいい。あんな気前のいい男はそうそういないから、私も死なせたくない」
楓が真剣な目を葵に向けた。
「この縄を解いてくれたら、必ず手を貸す。あたしが手を貸せば、村人も蒼い旦那も、全員助けられる」
息の詰まるような沈黙が蔵を満たした。
楓は、真っ直ぐに葵を見つめている。
その目を、葵もじっと見つめ返し――やがて、静かに、しかしきっぱりと言い放った。
「いいえ。あなたの言葉には、まだ『嘘』があります」
「……は?」
「その嘘の正体がわかるまで……私は、あなたを信用するわけにはいきません」
人の嘘が、色や感覚として見抜ける。
葵のその特異な力は、嘘を巧みに操り、呼吸をするように騙すプロの忍びにさえも完全に有効だった。
楓の表情が固まる。
しばらく葵の澄んだ瞳を見つめ返していたが、やがて観念したように深いため息をつき、天を仰いだ。
「……なんてこったい。ここまで丸裸にされなきゃ、信じてもらえないなんてね」
楓はガックリと肩を落とし、今度こそ、嘘偽りのない『本当の言葉』を吐き出した。
「惚れた男を死なせたくない。……アンタと一緒だよ!」
「……!! まさかッ!」
葵がガタッと膝を立て、目を丸くして身を乗り出した。
「あなたも……蒼様に!?」
「んなわけないだろッ!!」
楓が柱に縛られたまま絶叫した。
「嘘は見抜けるくせに、あの旦那のことになったらどんだけ盲目なんだよ!!」
「えっ……? じゃ、じゃあ……」
「迅助だよ! 相棒の、じ・ん・す・け!!」
楓の顔が、かつてないほど真っ赤に染まり上がった。
「ほら! これでいいかい!? 墓場まで持っていくつもりだったのに!!」
自暴自棄のように吐き出した楓のその顔は、もはや冷酷な忍びのものではなかった。
複雑な気持ちに迷い、素直になれない、ただの『恋する女』そのものだった。
そのあまりにも必死な形相と乙女な反応に――葵の中で張り詰めていた緊張の糸が、プツリと切れた。
「ふふっ……あははははっ!」
葵は小太刀を置き、お腹を抱えて声を上げて笑い出した。
いつもは物静かで上品な姫君の、年相応の明るい笑い声が蔵の中に響き渡る。
楓が恥ずかしさで顔を逸らす。
端にいた吾作でさえ、突然の展開にポカンと口を開けていた。
ひとしきり笑った後、葵は目尻に浮かんだ涙を指で拭い、楓の前にしゃがみ込んだ。
「……わかりました。縄を解きます」
葵は小太刀を手に取り、楓を縛っていた強固な縄を鮮やかに切り裂いた。
「その代わり、必ず皆を助けると約束してください」
立ち上がり、葵は楓に向かって真っ直ぐに手を差し伸べた。
「恋する乙女同士……互いの秘密を守って、協力しましょう?」
楓は呆けたように葵の顔を見つめていたが、やがてふっと吹き出し、その白い手をしっかりと握り返した。
「……ああ。約束するよ、お姫様」
「それで……どうやって皆を救うのですか?」
葵が尋ねると、楓は忍びの鋭い顔つきに戻り、ニヤリと口角を上げた。
「考えがある。でも、全部アンタの『演技力』にかかっているけどね」
***
「――というわけなのです」
葵は楓の秘密と自身の気持ちだけは隠して事の顛末を語り終えた。
蒼も、ただただ絶句していた。
まさか、あの迫真の捕縛劇と人質交渉の裏で、そんな『恋する乙女協定』が結ばれていたなんて……
広場の片隅。
村人たちの安全が確保され、少しずつ安堵の空気が広がり始めていた。
「楓さん、本当にありがとうございます。あなたのおかげで、皆を無事に救い出せました」
葵が小走りで楓に駆け寄り、深く頭を下げた。
「礼には及ばないよ。……でも、くれぐれも『あのこと』だけは……」
「はい、秘密にします」
乙女二人が、一見すると戦場には不釣り合いなほど楽しげに笑い合っている。
だが、葵はふと楓の背中に目を留め、小首を傾げた。
「そういえば楓さん。先程から気になっていたのですが、その背中に張り付いている人型は……おまじないか何かですか?」
「人型?」
楓が怪訝な顔をして、自らの背中に手を回す。
そこには、見覚えのない和紙で作られた薄気味悪い人型の札が、べったりと張り付いていた。
「なんだこりゃ? いつの間にこんなもんが……」
楓がそれを指先でつまみ上げようとした、その刹那だった。
ボゥッ!!
その和紙の人型が、青白い焔と共に不気味な音を立てて燃え上がったのだ。
「うぎゃあああああああッ!!」
突如、広場の中央から凄まじい絶叫が響き渡った。
甚助に叩きのめされ、気絶していたはずの忍びの首領が、全身を青白い焔に包まれて火だるまになって転げ回っていた。
「な、なんだッ!?」
蒼が驚いて振り返る。
「あ、ぎゃあああっ! 熱いっ、助け……!」
首領だけではない。
天之蜘蛛網で捕縛されていた下忍たちの背中からも同じ青白い焔が吹き上がり、次々と凄惨な悲鳴を上げて燃え上がっていく。
その異様な光景に、蒼はハッと気づいた。
迅助の背中にも、同じ和紙の人型が張り付いているのを!
「迅助! 背中だ! その人型を外せッ!!」
「チィッ!!」
蒼の叫びに迅助が神速で反応し、背中の着物ごと人型を引き剥がして放り投げた。
間一髪、空中に舞った人型は凄まじい青白い焔を上げて燃え尽きた。
ほんのコンマ一秒遅れれば、迅助もあの下忍たちと同じ運命を辿っていただろう。
「……いったい、何が……」
あまりの惨状に、蒼も村人たちも呆然と立ち尽くす。
その時、周囲の気温が急激に下がり、これまでに感じたことのないほど深く、ネットリとした『邪悪な気配』が広場を覆い尽くした。
『――忍びなど、端から期待はしていなかったが……ここまで役立たずとはな』
闇の奥から、滑るような足取りで『それ』が現れた。
身につけている狩衣は漆黒に染まり、夜の闇に溶け込むようだが、その風貌は絵に描いたような平安貴族そのものだった。
白粉を塗ったような蒼白の顔に、底知れぬ漆黒の瞳が不気味に光っている。
『しかし、我が百鬼夜行を撃ち倒した者を調べ上げたことだけは、褒めてやろう』
「お前……誰だ!」
蒼が警戒し、油断なく身構える。
「……俺たちを雇った、陰陽師だよ」
迅助が小太刀を構えながら、忌々しげに吐き捨てた。
楓の顔にも、滝のような冷や汗が伝い落ちている。
「まさか、都でふんぞり返ってるはずのご高名な陰陽師様が、直々にこんな山奥の村にお越しとはね……」
漆黒の陰陽師は、燃え尽きて炭となった忍びと迅助たちを一瞥し、冷酷に嗤った。
『お前たちにはガッカリさせられた。報告を寄越さぬばかりか、下賎な忍び風情がまさか麻呂を裏切るとは……。死ぬが良い』
陰陽師が懐から二枚の呪符を取り出し、前方に翳す。
呪符から青白い火の玉が生まれ、迅助と楓を目掛けて真っ直ぐに飛来した。
咄嗟に反応した蒼が、腕部のトンファーブレイドを展開。
蒼い光の刃で、迅助へと迫る火球を見事に両断した。
だが、もう一方の火球は蒼の脇をすり抜け、楓、そして彼女のすぐそばにいた葵を目掛けて一直線に飛んでいく。
(……しまったッ!!)
蒼が絶望に目を見開いた、その瞬間。
シュォォォンッ!!
甲高い剣戟の音が響き、楓と葵に迫っていた火球が真っ二つに斬り裂かれ、空中で霧散した。
「……ナイス、景行!」
「目を覚ましてみれば……どういう状況だ、これは?」
間一髪のところで二人の前に立ち塞がったのは、先ほどまで気絶していたはずの景行だった。
「説明は後回しだ! とりあえず、迅助と楓はもう仲間だから斬るな! あのヤバそうな陰陽師をなんとかする!」
蒼の無茶苦茶な説明に、景行は「……は?」と眉間を抑えながらも、刀を陰陽師へと向けた。
蒼は左腕のデバイスを天に翳し、強く叫んだ。
「ケイゼル蒼龍・東雲蒼、飛翔!!」
蒼の全身を、蒼穹の流体思考フレームが包み込む。
激しい閃光と共にナノマシンが再構成され、闇夜に青白い光の尾を引く『蒼き龍の化身』――完全武装状態へと移行した。
『ほう……それが、我が百鬼夜行を滅ぼした蒼き龍か』
陰陽師は、目の前で起こった未来の超科学の現象に驚きもせず、面白そうに目を細めた。
『少しばかり厄介じゃのう』
そう言って、陰陽師が新たな呪符をかざすと、周囲でくすぶっていた忍びたちの青い焔が、意思を持っているかのように一箇所へと集まり始めた。
巨大な火柱が上がり、その焔は徐々に形を変え――やがて、巨大な九本の尾を生やした『妖狐』の姿となって顕現した。
広場全体を押し潰すような、強烈で禍々しい妖気が放たれる。
『マスター! 目標の周囲に、硫化水素および亜硫酸ガスの急激な上昇を確認。非常に有毒なガスです。直ちに村人たちの避難を!』
Karenの警告アナウンスが、蒼のヘルメット内にけたたましく鳴り響いた。
陰陽術の焔は、周囲の空気を猛毒の瘴気へと変質させているのだ。
「葵! 楓! 村のみんなを安全な風上の場所へ避難させてくれ!!」
蒼の指示に、葵と楓が力強く頷き、村人たちの誘導へと走る。
有毒ガスを防ぐため、口元を布でしっかりと覆った景行と迅助が、蒼の両隣へと並び立った。
「一人で請け負うには、少々大仕事だろう」
景行が刀を正眼に構え、鋭い眼光で巨大な焔の狐を睨みつける。
「たっぷり追加報酬はもらうぜ、旦那……いや、蒼」
迅助が両手に小太刀を逆手に構え、不敵な笑みを浮かべた。
未来から来た戦士、平安の誇り高き武士、そして裏社会を生きる凄腕の忍び。
決して交わるはずのなかった三人の戦士が、邪悪な焔の化身を前に、今ここに肩を並べた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
楓と葵の「恋」についてようやく書けました。
少し裏話をしますと、楓というキャラクターは、企画当初は存在していませんでした。
最初に考えていた主人公サイドは、蒼・景行・葵・迅助の四人組という構成だったんです。
でも書き進めるうちに
「女性キャラがあまりにも少ない……」
葵が誰かと他愛もない話をしたり、同年代の女の子らしい一面を見せたりする相手がいないせいで、どうにも物語が薄く感じてしまったんです。
そこで生まれたのが、楓でした。
最初は「女性キャラを一人増やして迅助の相棒にしてみよう」くらいの感覚だったのですが、いざ書き始めると予想以上に動いてくれるキャラクターで、口は悪いけど面倒見がよく、お金には目がないのに情には厚い、みんなの姉御みたいな立ち位置がすっかり板についてしまいました。
戦隊シリーズ然り、やはり五人組というのは黄金比なのかもしれませんね。
そして後半では、ようやく今回の章の黒幕である陰陽師も姿を現しました。
ここから先は、未来の兵士、平安の武士、神速の忍びが力を合わせる、本当の意味での共闘が始まります。
次話は、焔狐との本格決戦。
明日も是非よろしくお願いします!




