平安時代編第二十話 : 鬼刃の残響、揺らぐ蒼龍
その夜。
葵が身を寄せる静かな邸は、深い静寂に包まれていた。
手入れの行き届いた広い庭から虫の音だけが響く中、長く立派な縁側で、景行は一人、冷たい月明かりを浴びながら鋭い視線を築地塀の向こうの闇に向けていた。
昼間の森での出来事――「人間が物怪を操り、自分たちを狙っている」という可能性。
得体の知れない敵の影に、景行は刀を抱いたまま、微かな風の音にすら警戒を張り巡らせていた。
一方、邸の一室で横になっていた蒼は、どうしても眠りにつくことができなかった。
(人間を、相手にする……)
その事実が、鉛のように胃の奥に居座っている。
未来の超兵器《蒼龍》を身に纏い、その圧倒的な力で人を打ち砕く。
想像するだけで手のひらにじわっと嫌な汗が滲んだ。定まらぬ覚悟に苛まれ、蒼は身を起こした。
ゆっくりと客間の障子を開け、縁側に歩み寄る。
「……景行。交代するよ。一晩中見張りしてたらしんどいだろ?」
「蒼か。……そうだな。では、一刻(約2時間)のみ頼もう」
景行は短く応じると、凝り固まった肩をほぐすように立ち上がった。
少し休もうと邸の奥へ戻りかけた彼の背中に、蒼は思わず声をかけていた。
「なぁ、景行。ちょっと、いいか?」
「……なんだ?」
「お前は……人を斬ったことって、あるのか?」
唐突な問いに、景行の足が止まった。
彼はゆっくりと振り返り、月明かりの下で蒼の表情を静かに見つめる。
蒼の目が、どこか怯えのように揺れているのを、凄腕の武士である景行が察しないはずがなかった。
「……急にどうした」
「いや……ちょっと、気になって」
景行はふう、と小さく息を吐き、再び縁側に腰を下ろした。
「意外だな。あれほどの恐ろしい物怪どもを平然と屠る力がありながら……貴様、人を殺めたことがないのか?」
「……ああ。俺のいた時代じゃあ、『人類共通の敵』が空から降ってきたからな。人同士が争ってる場合じゃなかったっていうか……」
蒼は両手を組み、庭石に落ちる自らの影に視線を落とした。
「もちろん、争いが全くないわけじゃない。でも、普通に暮らしてて、誰かの生死に関わることなんて……誰かの命を奪うことなんて、普通の奴は絶対経験しないんだ」
「……羨ましい限りだな。人を殺めずとも、それだけの絶大な力を得ることができるとは」
景行の言葉には、どこか自嘲のような響きが混じっていた。
「景行は……人と戦うことに、躊躇とかないのか?」
「躊躇っていては、大事なものを守れない」
迷いなく言い切った景行の横顔は、彫刻のように冷徹で、そして悲壮だった。
「葵様の護衛を担った時から……いや、武士として刀を握った時から、迷いなどとうに捨てている。葵様はご自身のことを『政治的利用価値がなくなった』などと自嘲されるが、あの御容姿だ。後ろ盾を失ってからは、心ない野盗や人買いに幾度となく狙われてこられた」
景行の脳裏に、これまで斬り伏せてきた者たちの顔が一瞬よぎる。
だが、その瞳に揺らぎはない。
「価値観が違うと言ってしまえばそれまでだが……俺は、生を受けた時から『人は争うものだ』と思い生きてきた。この時代に武を志す者は皆、そうだろう」
「だから……人を、斬れる?」
「言ってしまえば、そうだな。……すまないな、お前の参考にはならなくて」
「いや、こっちこそ……変なこと聞いてごめん」
短い沈黙の後、景行は「頼んだぞ」とだけ残し、静かに邸の奥、自身の控えの間へと消えていった。
一人残された蒼は、冷たい夜風を全身に受けながら、縁側の太い柱に寄りかかった。
「躊躇っていては大事なものを守れない」
景行の言葉が、耳の奥で何度も反響する。
左腕のデバイスが淡く光り、静かな電子音が鳴った。
『……迷っておられますか、マスター』
「……そうだな。情けないけど、相手がどんな奴であれ、俺は蒼龍の刃を人間に向けられる気がしない……」
蒼は夜空に浮かぶ丸い月を見上げた。
「……蓮なら、違ったのかな」
ポツリとこぼれ落ちたその名前に、Karenはわずかに演算のトーンを下げた。
蓮――未来の世界における、蒼の相棒。
対ゼノフォーム特務機関ゼタクトに所属し、もう一つの超兵器・ケイゼル《鬼刃》の装着者であった青年。
未来での壮絶な最終決戦の中、人類の運命と未来を蒼に託し、眩い光の中に消えていった無二の友だ。
『蓮は、ゼタクトの正規軍人でした。対人戦闘に関しても、高度な訓練と心構えを完了されていたと推測します』
「そうだよな……。やっぱり、俺よりあいつの方がずっと優秀だったよな。こっちの時代に飛ばされてきたのも、俺じゃなくて蓮だったら……もっと上手くやれてたのかもしれない」
蒼は自嘲気味に笑った。
自分の父が開発したケイゼルシステム。
蒼が装着者に選ばれたのは、皮肉にも「開発者の息子」という遺伝的要因により、システムとのシンクロ率が異常に高かったからに過ぎない。
対して蓮は、血の滲むような努力と過酷な訓練を乗り越え、実力で《鬼刃》の装着者の座を勝ち取った本物の戦士だった。
強靭な精神力、揺るぎない覚悟。
蒼が持っていないものを、彼は全て持っていた。
月を隠すように、薄い雲が流れていく。
蒼は自身の両手をゆっくりと握りしめ、誰に届くとも知れない言葉を、夜の闇に溶かすように呟いた。
「……一生、追いつけねえのかな。お前には……」
遠くでフクロウが鳴いた。
人間と戦う覚悟を持てない蒼の胸の内に、底知れぬ不安と、亡き友への拭いきれない劣等感が、邸の暗がりと同じように静かに渦巻いていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、命の価値観の違いを書いてみました。
未来でひたすら人類を守るために戦ってきた十八歳の青年・蒼。けれど、彼が相手にしてきたのは人ではなく、ゼノフォームという人類の敵でした。
だからこそ、「戦える」と「人を殺せる」は、彼の中ではまったく別の話です。
目の前に敵が現れても、人の命を奪う決断だけはできない。その葛藤は、弱さではなく、蒼自身の価値観なのだと思っています。
平安の武士たちにとっては当たり前の覚悟と、未来を生きる蒼の倫理観。そのすれ違いが、これから先の物語でどんな選択につながっていくのか、見届けてもらえたら嬉しいです。次回もよろしくお願いします。




