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平安時代編二十一話 : 命の値段と、白銀の糸

翌日。

鬱蒼とした森の中。

木々の間から差し込むわずかな陽光すら遮られる薄暗い空間で、蒼と景行は歩みを進めていた。

周辺に仕掛けた警戒装置がこの日も反応したため、二人は様子を見に来ていたのだ。

周囲には張り詰めた静寂が漂っているが、蒼の意識はどうしても目の前の任務に集中しきれずにいた。


――ばちんっ!


「痛っ……!?」


唐突に後頭部へ落とされた鋭い衝撃に、思わず短い悲鳴が漏れる。

弾かれたように振り返ると、そこには眉間に深い皺を寄せ、不機嫌そうに見下ろしてくる景行が立っていた。

彼は振り下ろした手をゆっくりと下ろしながら、冷ややかな声音で言い放った。


「俺が敵なら、お前は今頃死んでいたぞ」

「景行……」

「気が抜けすぎではないか。俺の話を聞いているのか? 何をそんなに呆けていた」


厳しい眼差しで射抜かれ、蒼は慌てて居住まいを正す。

呆れたようにつかれた景行のため息は、ぐうの音も出ないほど正論だった。

今の無防備な背中を狙われていれば、間違いなく一太刀で命を落としていただろう。


「……悪い。少し、考え事をしてた」

「この期に及んで考え事だと? 貴様の迷いは、貴様自身の命だけでなく、俺や葵様の命すら危うくするということを忘れるな」


景行の鋭い叱責に、蒼はぐっと唇を噛み締める。

迷っている場合ではない。

今目の前にあるのは、一瞬の油断が死に直結する戦場なのだ。


「分かってる。もう大丈夫だ」


蒼が自らに言い聞かせるように短く答えると、景行はそれ以上追及することはなく、再び鋭い視線を森の奥へと向けた。


「……来るぞ。」



現れた物怪との戦闘は、すぐに終わった。

この日の敵には、以前感じたような「人が背後で操っている」という不気味な違和感はなかった。

ただの本能で襲いくる獣に近い存在。

蒼は一旦は安堵し、邸へと戻った。

しかし、蒼の心に巣食った『もしも相手が人間だったら』という恐怖と葛藤は、そう簡単に消えるものではなかった。


その後も、蒼は難しそうな顔で虚空を見つめ、何やらぶつぶつと呟くようになっていた。

邸の侍女や出入りする村の者たちが声をかけても、「ああ……」「うん……」と上の空の返事をするばかり。

食事の箸も進まず、どこか心ここにあらずといった様子が続いていた。

ある日の午後。

庭先でまたしても頭を抱え込んでいた蒼の背中に、静かな声がかけられた。


「蒼様。……少し、よろしいですか」

「えっ? あ、ごめん葵。どうしたの?」


慌てて顔を上げた蒼を見て、葵はひどく真剣な、そして心配そうな瞳を向けていた。


「ここ数日、ずっと上の空ではありませんか。どこかお加減でも悪いのではありませんか?」


本気で案じている葵の顔を見て、蒼はハッとした。自分の悩みが、周りにどれだけ心配をかけているかに気づいたのだ。


「違うんだ、体調が悪いわけじゃない。ただ……ちょっと、考えてたっていうか、悩んでて」

「悩み、でございますか?」


蒼はため息を一つ吐き、ぽつりぽつりと胸の内を打ち明け始めた。

未来から来た自分にとって「人間同士の殺し合い」がどれほど異常で、恐ろしいことか。

景行のように戦場で割り切れない自分の甘さ。

そして、かつて命を懸けた戦いの中で散っていった親友『蓮』のように、覚悟を持った本物の戦士になれない自分の不甲斐なさについて。


「景行は言ってた。『躊躇っていては大事なものは守れない』って。確かにその通りだと思う。相手が悪意を持って襲ってきたら、反撃しなきゃこっちがやられる。……でも、いざその時が来ても、俺は人間相手に引き金を引ける気がしないんだ。甘いよな……俺、情けない奴だよ」


自嘲気味に笑い、俯く蒼。

葵は黙って彼の言葉に耳を傾けていたが、やがて静かに口を開いた。


「……確かに、蒼様がいらした平穏な世界に比べれば、この時代は人の命がとても軽く扱われがちです」


葵の視線が、遠くの空へ向けられる。

都を追われ、理不尽に命を狙われ続けてきた彼女の言葉には、血を吐くような重い実感がこもっていた。


「景行の申す通り、迷っていては自らの命を、そして人の尊厳を無惨に奪われることなどいくらでもあります。……私も、もし自身の命や、私を支えてくれる大切な人たちを守るためであれば、例え相手が人であっても、覚悟を決めて弓を引くことはできてしまうでしょう」

「葵……」

「生き抜くためには、時に心を鬼にしなければならない。それがこの時代の『強さ』です。……ですが」


葵はゆっくりと蒼に向き直り、その顔を真っ直ぐに見つめた。


「人の命を奪うことはできないと、そうやって深く悩み、苦しむことのできる優しい蒼様を……私は、とても好ましく思います」


予想もしなかった言葉に、蒼は弾かれたように目を見開いた。


「蒼様は、景行のようにならなくてもよいのです。ご自身が『及ばない』と仰る、その未来のお友達のようになれなくても構いません。……どうか、そんな優しい蒼様のままでいてくださいませ」

「でも、それじゃあ……いざって時に、みんなを守れない」


唇を噛む蒼に対し、葵はふわりと、春風のような微笑みを浮かべた。


「いいえ。人を傷つけることを良しとしない蒼様だからこそ、きっと別の方法を見つけられるはずです。私は、あなた様を信じておりますよ」


その笑顔と、真っ直ぐな信頼の言葉が、蒼の胸に突っかかっていた冷たい重りをすっと溶かしていった。

景行のような非情の剣にならなくていい。

蓮のような完璧な戦士にならなくてもいい。

自分は自分だ。

優しさを捨てず、誰も殺さずに、それでも絶対に大切な人たちを守り抜く。


「……そっか。そうだよな」


蒼の顔から、ここ数日の陰鬱な迷いが嘘のように晴れていった。

いつもの、少しお調子者で前向きな光が瞳に戻る。


「ありがとう、葵。……俺、決めたよ」

「何を、でございましょう?」

「俺は俺のやり方を考えてみるよ。誰も殺さなくても、それでもみんなを守れるような、そんな戦い方を」

「ええ。……やっと、いつもの蒼様に戻られましたね」


力強く宣言した蒼を見て、葵は安堵したように目を細め、二人で微笑みあった。


***


その日の午後。


「……人を殺さずに、無力化する方法……」


村の広場で蒼は腕を組み、地べたに座り込みながら唸っていた。

葵と約束したが、人間を相手に相手の命も守りながら戦わなければならないという課題に直面し、彼はひたすら「対人用の非致死性兵器」のアイデアを練っていたのだ。

だが、元々《蒼龍》は対ゼノフォーム(異星態)用の殲滅兵器である。

備わっている武装はどれもオーバーテクノロジーの塊であり、生身の人間に撃てば跡形もなく消滅してしまう。

悩む蒼の視線の先で、百鬼夜行の襲撃以降、村に居候している商人・吉次(よしつぐ)が声をかけてきた。


「おお、東雲殿。難しいお顔をされていますな。そんな顔をしていては、せっかくの良い気が逃げて行きますよ?」

「吉次は調子良さそうだね」


吉次は高価そうな着物の袖を捲り上げ、立派なカブを抱えていた。

苦労を知らなそうな白い手は土で汚れ、

着物にも所々泥が跳ねているが、その表情はどこか晴れやかだった。


「ええ、好調ですよ。この村は本当に良いところですね。よそ者の私を暖かく迎えてくれて。領主様のお人柄が表れているようです」


吉次が穏やかな顔で村を見渡す。


「ここに来る前は、財を成すことだけが、物怪が跋扈するこの世で幸せになる唯一の方法だと思っておりました。そのためには、あまり褒められたようなことではない商いにも手を染めてきましたが……」


吉次は遠くの山並みを見つめ、目を細めた。


「そっか。吉次も、いろいろあったんだな」

「そうですね。東雲殿ほど波乱な人生ではないとは思いますが」


吉次は自嘲するように笑うと、思い出したように手を叩いた。


「そうだ、東雲殿。よろしければ、この後少しお付き合いいただいてもよろしいですか?」

「……? ああ、構わないよ。ちょうど気分転換したいと思ってたから」


蒼は吉次に連れられ、村の外へと出た。

向かった先は、数日前に蒼と景行が、物怪に襲われていた吉次を助けた森の入り口だった。


「安全が確保出来たら、一度荷物を取りに行こうと思っていたのですよ。流石に物怪が彷徨いているかもしれない森を一人で行くわけにはいきませんが、東雲殿がいてくれれば安心です」


吉次が草木を掻き分けながら進んで行く。


「確かこのあたりで荷馬車を襲われて……そうでした、護衛の二人がやられてしまったところをお二人に助けられたのでしたね。彼らには悪いことをしてしまいました……あ、ありました。私の荷馬車です」


片輪が外れ、街道の端に横倒しになっていたが、荷馬車そのものはしっかりとした造りを保っていた。

吉次が中を確認し、安堵の息を漏らす。


「よかった……あれから十日ばかり経っていましたから、どうなったかと思っていたのですが。積荷は無事のようです」


中には豪華な着物や装飾品、漆器など、見るからに高価な品が転がっていた。

割れてしまったものもあるようだが、無事なものも多い。

その中から吉次は小さな桐の箱を取り出すと、蒼に手渡した。


「命を救っていただいたお礼がまだでした。ここまで付き合っていただきましたし、よろしければ差し上げますよ」


蒼は箱を受け取り、不思議そうに中を見た。

そこには、手のひらに収まってしまうほどの小さな白い球がいくつも並んでいた。


「これ……なに?」

「以前北陸のほうで仕入れた『繭玉(まゆだま)』ですよ。上質な絹糸が取れるんで、都の貴族の皆様が高額で取引してくださるのです。この小さな玉一つに、およそ五千尺(約1500メートル)もの糸が詰まっているんですよ」


蒼は、指先でその繭玉をつまみ上げた。


「……この小さな玉に、1500メートルの糸……」


蒼の脳内で、パズルのピースがカチリと音を立ててはまった。


(これ……使えるかもしれない!)


「東雲殿?」


みるみるうちに蒼の表情が明るくなるのを見て、吉次が首を傾げる。


「吉次! ありがとう。でもこれ、本当にもらっていいの? 高いもんなんじゃ?」

「構いませんよ。命を救っていただいた礼としては安いくらいです」

「吉次、いいやつだな……。初対面のとき、胡散臭そうなやつだなって思ってごめん」

「そっ……そうでしたか……あはは」


身も蓋もない蒼の言葉に、吉次が気まずそうに笑った。


(うまくいけば、蒼龍のいい装備が出来るかもしれない!)

蒼は吉次とともに村へ戻ると、閃いたアイデアをすぐさま実践に移した。


***


蒼は譲ってもらった繭玉を持ち、邸の裏庭でデバイスAIのKarenと共に開発に乗り出した。


(繭玉を弾丸サイズに圧縮したまま射出し、空中で展開して網(ネット)にする。それに俺のナノマシンを結合させれば……!)


蒼は木の枝を手に取り、頭の中の構想や数式を次々と地面の土に走り書きしていく。

その時の彼は、「未来の英雄」でも「迷える少年」でもなく、無邪気な子供の顔をしていた。


『……構想は理解しました。装填した繭玉の天然シルク繊維に、流体思考フレームのナノマシンを瞬時に結合させ、強度を飛躍的に向上させる。対象を拘束する【鎮圧用ナノネット】ですね。ナノマシンのコーティング率を計算し、試作に入ります』


蒼の左腕のデバイスが繭玉を取り込み、内部でナノマシンとの融合処理が行われる。

数分後。蒼の腕の射出口から「シュガッ!」という小気味良い音と共に、銀色に輝くネットが撃ち出された。


「おお! いったか!?」


しかし――。

試しに標的にした「景行の打ち込み用の木人形」は、ネットに捕縛されるどころか、接触した瞬間にズズンと音を立ててサイコロ状に細切れになり、無惨に崩れ落ちた。


「は……?」


『……失敗です。ナノマシンの結合率が高すぎたため、シルク繊維が極限まで硬化・極細化しました。現在のワイヤーの鋭利さはピアノ線の約50倍。かすっただけで骨まで切断します』


「ダメじゃん!! 拘束する前に人間がサイコロステーキになっちゃうよ! 殺傷能力高すぎて、今までの兵装で一番グロいわ!」


『対人には不向きですが、この極細断裁ワイヤーであれば、強靭な肉体を持つ物怪相手には非常に有効です。エネルギー消費もプラズマ兵器の数十分の一で済みます』


「……あー、なるほど。対物怪の武器としては大成功ってわけか。『ナノシルク・スライサー』ってとこか。……いや、今は対人捕縛用のネットが欲しいんだよ!」


それから数時間、蒼とKarenは試行錯誤を繰り返した。

ナノマシンの結合率を下げ、硬度よりも「柔軟性」と「粘り強さ」に極振りするようプログラミングを調整していく。


(なんか、昔もこうだったよな……楽しくなってきたかも)


未来世界において、対ゼノフォーム特務機関ゼタクトの技術主任でもあった蒼は、ケイゼル用の兵装を自作しては失敗を繰り返し、同じ技術者であり、司令でもある父に何度も大目玉をくらっていた。

そんな懐かしい日々を思い出し、蒼は心躍らせながら開発を進めた。

そして何度目かの調整の末――ついに、大の男がどれだけ暴れても絶対に引きちぎれない、白銀の【鎮圧用ナノネット】が完成した。


「よっしゃあ! これなら誰も殺さずに捕縛できる!」


歓喜する蒼だったが、すぐに現実的な問題に直面した。

弾薬となる「繭玉(シルク)」の継続的な確保である。

蒼は再び吉次の元へ向かった。


「吉次、あの繭玉……いや、絹糸なんだけど、定期的に仕入れることって出来る?」

「定期的に? いやぁ、東雲殿。絹の価値は今や金と同じくらいでして。正直、今の私が都に戻ったとて、あまり多くは……」


吉次が渋るのも無理はない。

そこで蒼は、未来から持ってきたある備品を懐から取り出した。


「……じゃあ、これで取引してくれないか? 『メディカルパッチ』だ」

「そっ、それは! 以前、吾作殿の母上の腰痛を瞬く間に治した、稀少な呪符!」

「これを傷口に貼るだけで、どんな深い切り傷でも一晩で塞がる。血もすぐ止まる、魔法の薬だ」


吉次自身も、その効果の凄まじさは実感している。

ナノマシンの作用で瞬く間に細胞を修復するこの治療薬を都で売れば、莫大な財を築けると豪語していたほどだ。

吉次は目をひん剥いて驚愕した。


「しっ、しかし……本当によろしいのですか? 確か数が限られている、本当に稀少なものだと」

「いいよ! 俺が今持ってる残り全部、吉次の商人の腕を信じて託す」


吉次の目の色が、生粋の商人のそれへと変わった。


「かしこまりました、東雲殿。商談成立です! 北陸の極上シルク、これからはいくらでも回すと約束しましょう! とりあえずは荷馬車に残っていた分、百ちょうど。前払いでお渡しします!」


蒼と吉次は、硬く握手を交わした。


***


「ふぅ、なんとかなったな。これで、人を殺さずに戦う方法が……」


吉次と別れ、ほっと息をついた蒼に、デバイスから声がかかる。


『マスター、一つご報告が』


「ん? どうした?」

『吉次殿から納品される最高級絹糸の量を、現代(マスターのいた時代)の貨幣価値に換算し、さらにナノネット一発あたりの運用コストを算出しました』

「へえ……で、いくらだ?」


『一発あたり、約120万円になります』


「……………………は?」


『もう一度申し上げます。一発あたり、120万――』

「聞こえてるよ!! マジかよ、一発撃つごとに高級車を壁にぶつけてるようなもんじゃん!!」


蒼は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

未来の超絶エネルギーを節約するために知恵を絞った結果、今度はとんでもない金銭的コストを消費することになってしまったのだ。


『……運用を中止しますか?』

「…………いや」


蒼は顔を上げ、大粒の冷や汗を流しながら、きつく拳を握りしめた。


「……使う。相手が人間なら、迷わず使う。……誰かの命を奪って、一生後悔しながら生きていくことに比べたら……120万くらい、安い……もんだ……」


少し声が震えていたが、その瞳には確かに、彼なりの「覚悟」が宿っていた。


『……了解しました。対人捕縛用ナノネット、通称『天之蜘蛛網(アメノクモアミ)』。システムに登録します』


白銀の蜘蛛の糸――それは、未来の技術と平安の絹が織りなす、蒼だけの不殺の武器となった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


今回は少し長い話になってしまいました。

書きたい気持ちが抑えられず、気づけばかなりのボリュームになっていました。


ようやく商人・吉次を書けたのも嬉しかったポイントです。

初登場の頃は少し胡散臭い雰囲気でしたが(笑)、蒼とのやり取りを書いているうちに、どこか憎めない商人になっていきました。


そして今回一番書きたかった新兵器 **『天之蜘蛛網(アメノクモアミ)』** の誕生です。


「人を傷つけずに無力化する方法はないのか」。


蒼が頭を悩ませるように、作者の私も一緒になって頭をひねっていました。


モデルになったのは、きっと多くの人が思い浮かべる“あのクモのヒーロー”です。

でも、それを平安時代という世界観でどう成立させるかは本当に悩みました。


蜘蛛ではなく蚕の繭から糸を生み出し、未来のナノマシンと組み合わせることで、不殺を貫く武器として形になった時は、「これだ」と思えました。


……まあ、その代償が一発120万円という、とんでもない運用コストですが。


次回からはこの『天乃蜘蛛網』の出番が早速やってきます。明日もよろしくお願いします。

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