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平安時代編第九話:黒い波、厄災の前触れ

「物怪の狙いは俺だ」――その確信を得てからも、蒼は村を離れることなく、景行と共に防衛の任に当たっていた。

少しでも村の安全を高めるため、蒼は未来のテクノロジーとこの時代の資材を組み合わせた「警戒装置(鳴子)」を村の周囲へ精力的に設置して回っていた。


「蒼様! 昨日いただいた薬のおかげで、すっかり傷が塞がりました! これはほんのお礼ですが、召し上がってください!」


そう言って新鮮な生卵を差し出してきたのは、先日命を救った村人の吾作だった。


「おお、吾作! ありがとな。でもあんまり無理して動き回るなよ? 傷口が開いたら元も子もないんだからさ」

「へい! 蒼様のおかげで、今はもう身体が軽いようでさあ」


村の広場を歩けば、農民や子供たちが次々と蒼に笑顔で声をかけてくる。

未来の医療知識と、左腕のデバイス『K-GEAR』を介したKarenの生体解析技術は、この時代の人々にとってまさに奇跡そのものだった。

度重なる物怪の襲撃で怪我人が出ても、蒼がいればすぐに治してくれる。

いつしか村人たちの心には、蒼に対する深い感謝と強い信頼が根付いていた。


「しかし……不思議なものですな」


吾作は感心したように蒼の顔をまじまじと見つめた。


「不思議? 俺の顔に何か付いてるか?」

「いえね、蒼様が村にやって来られてからというもの、あの景行様まで雰囲気が柔らかくなられた気がしてさあ。前は儂らみたいな農民なんか、景行様はおろか葵様にお声をかけることすら叶わなかったんです。でも、蒼様と一緒にいらっしゃると、なんだか儂らまで心がパッと明るくなっていくみたいなんです」


屈託のない笑顔で語る吾作の素直な言葉に、蒼は照れくさそうに頭を掻いた。


「そうなの? 相変わらず俺にはムスッとしてるように見えるけどな。あいつ、基本ぶっきらぼうだし」

「あらあら、私の従者の悪口を言っているのは誰かしら?」


蒼の後ろから、鈴の転がるような澄んだ声が響いた。

振り返ると、そこには村の様子を見にやってきた葵と、その後ろに静かに控える景行の姿があった。


「あ、葵様!? それに景行様まで……!」


吾作は慌ててその場に平伏し、深々と頭を下げる。


「お顔をお上げなさい、吾作。怪我をされているのですから、そう無理をしなくても大丈夫ですよ」

「い、いえいえ! 儂のこんな傷くらい、蒼様のお薬のおかげでもうすっかり良くなりましたので!」


吾作は慌てて立ち上がると、腕を大きくグルグルと回して全快ぶりをアピールしてみせた。

その微笑ましい姿に、葵はふふっと口元をほころばせる。


「警戒装置とやらは、無事に設置できたのか? 東雲」


腕を組み、相変わらず厳しい表情のまま尋ねてくる景行に、蒼はニシシと自信満々の笑みを向けた。


「おうよ! 東西南北、村の周囲にくまなく張り巡らせたぜ。何が近づいてきても、Karenの広域音響センサーで瞬時に感知できる。これが上手くいけば、お前も一晩中起きて不眠不休で見張りしなくて済むぞ、景行」

「……う」


景行はぐっと言葉を詰まらせ、何とも言えない複雑な表情を浮かべた。

先日、眠れぬまま疑念を募らせていた己の姿を見透かされたようなバツの悪さと、自分を気遣ってくれた相棒への感謝が混ざり合い、返答に困っているのだ。


そんな景行の様子を見て、蒼は「カカカッ!」と楽しそうに笑い声を上げた。


しかし――その弾けた笑顔の奥で、蒼の瞳が一瞬だけ暗く沈み、影がさしたのを、葵の聡明な眼差しは見逃さなかった。


「景行。村の皆に変わりがないか、少し見てきてくださいますか? ……吾作、あなたを引き留めてしまってごめんなさいね」


葵の意図を察した景行は、静かに一礼した。


「……かしこまりました。吾作、すまないが案内をしてくれ」

「へ、へい! 景行様!」


二人のお気遣いに恐縮しながら、吾作は景行と共にその場を離れていった。

広場に残されたのは、蒼と葵の二人だけになった。

爽やかな風が村の木々を揺らし、葉擦れの音が静かに響く。


「……蒼様」


葵が静かに歩み寄り、覗き込むようにして蒼を見つめた。


「何か、心配事でもありますの? 最近のあなた、時々……とても悲しいお顔をされているように思います」

「えっ? いやいや、そんなことないって! ほら、ちょっと景行の稽古に付き合って寝不足なだけだって」


慌てて両手を振り、いつものようにおどけた態度で誤魔化そうとする蒼。

だが、葵はその透き通るような強い瞳を逸らすことなく、じっと蒼を見つめ続けた。


「私には……あなたが一人で、とても大きな重荷を背負おうとしているように見えます」


葵の声は柔らかく、どこまでも温かい。


「もし何かにお悩みなら……お話ししてくださいませんか? たとえ力にはなれなくても、お気持ちを分かち合うことくらいならできますから」


心の底から自分を案じ、真摯に寄り添おうとしてくれる葵の言葉。

それが今、蒼の胸を鋭いナイフのように深く突き刺した。


(違うんだ、葵様……。みんなが怯えている物怪の襲撃は、全部俺のせいなんだ。俺がこの時代に落ちてきたから、こんな危険に巻き込まれているんだよ……)


喉の奥まで込み上げた真実を、蒼は必死の思いで飲み込んだ。 言えるはずがなかった。「自分がここにいるから、この優しい姫も、慕ってくれる村人たちも、常に死と隣り合わせの恐怖に晒されている」などという恐ろしい事実を、この人々に突きつけられるはずがない。


(こんなに優しくされたら……こんなに頼りにされたら、逃げることだってできなくなるじゃないか……)


胸の奥で、鉛のように黒く重い罪悪感が渦を巻く。 蒼は拳を強く握りしめ、爪が手に食い込む痛みに耐えながら、無理やりに口角を上げてみせた。


「……大丈夫ですよ。俺はどこにも行きませんから。この村も、葵様も……俺が絶対に護ります」


それが、嘘と真実の入り混じった、蒼の精一杯の答えだった。

どうしても葵の真っ直ぐな瞳と目を合わせることができず、蒼はふいっと視線を遠くの空へと逸らしてしまう。

自分の差し伸べた手に触れようとせず、孤独な殻に閉じこもろうとする蒼の横顔に、葵の胸へ切ない寂しさがこみ上げた。

二人の間に、息の詰まるような気まずい静寂が流れかけた、その時――。


『――システム警告』


蒼の左腕に装着されたK-GEARから、電子音が静かな空間を切り裂いて響き渡った。


『マスター。南エリア3km地点に設置した警戒装置の作動を確認。複数の高質量反応が急速に接近中です』


Karenの無機質な報告が、重苦しい空気を一瞬で塗り替える。

蒼は深く息を吐き出すと、己の頬をパンッと両手で強く叩き、いつもの鋭い戦士の顔へと切り替えた。


「……ハッ、悩んでる暇もないみたいだな」


***


森の入り口に仕掛けていた鳴子が、

静寂を破ってけたたましく鳴り響いた。


『マスター! 南東セクター4にて警戒装置の反応! 異形反応3、人間反応1を検知!』

「景行、2時の方角だ!」

「ああ!」


呼吸すら一致した二人が、森の樹海へ一直線に駆け抜ける。

鬱蒼とした木々の合間で繰り広げられていたのは、惨劇の渦中だった。

すでに護衛の男たちが血の海に倒れ、その中央で泥に汚れながら怪我をした若い男が、地面を這いずりながら悲痛な声を上げていた。


「ひぃぃっ! 助けてくれぇっ! だれか、誰かぁっ!」


男を囲むのは、鋭い爪と凶悪な牙を持つ三体の物怪。その一匹が男へ爪を振り下ろそうとした、まさにその瞬間――。


「Karen、威嚇射撃! 閃光弾で景行の道を作る!」

『了解。閃光弾、極小出力で発射!』


蒼の左腕、一部展開された流体思考フレームから、眩い高周波の閃光が放たれた。


「ギャッ!?」 「グアッ!?」


強烈な光と衝撃波を直前で喰らい、物怪たちの動きが完全に止まる。

その決定的な隙を、景行の太刀が見逃すはずがない。

白い閃光の残像を切り裂き、景行が疾風となって駆け抜ける。

銀の刃が円を描くように一閃したかと思うと、三体の物怪の首が、同時に空中へと舞い上がっていた。

遅れて重い胴体がドサリと地面へ崩れ落ちる。


「……ふう、怪我はないか、あんた」


蒼がしゃがみ込み、腰を抜かしてへたり込む男に優しく手を差し伸べた。

助けられた男は、汚れてはいるが上質な絹の着物に身を包んだ二十代半ばほどの若い男だった。

整った顔立ちにはまだ死の恐怖が色濃く残っていたが、どこか聡明で鋭い眼力が宿っているように見えた。


「あ、ああ……助かりました。御二方、命の恩人です……!」


男は蒼の手をすがりつくように握りしめながらも、チラリと蒼の左腕で淡く発光する『K-GEAR』と、一瞬で三体を切り伏せた景行の刀に目を行き届かせていた。――商人特有の、「本物」を見抜く目ざとさだった。


蒼は商人の深い切り傷に治療用ナノマシンを配合した医療用パッチを貼ると皮膚と同化して傷口がみるみるうちに塞がっていく。


「な……なんですか、この薬は!? 痛みが一瞬で消え、傷口がくっついていく……! 一瞬で傷を癒やすとは……失礼ですが、お方様は都で噂に聞く高名な陰陽師様か何かでございますか!? この秘術、一体どのような原理で……!? もしこれを都で商えば、どれほどの財が……!」


死にかけたばかりだというのに、目を爛々と輝かせて自身の傷のあった箇所と蒼を交互に見つめる男。

その尋常ではない勘違いと食い入るような視線に、蒼は思わず苦笑いを浮かべた。


「陰陽師って……落ち着けって。これはちょっとした俺の『からくり』の力だよ。無理に動かなきゃすぐ治る……けど、助けておいてなんだけど、あんた変なやつだな。」


「ハッ……! す、すみません、つい商人としての性分が出まして……! ですがこれほどの『未知の逸品』と『秘術』を目の当たりにしては、黙っていられず……!」


男は気まずそうに咳払いをして姿勢を正すと、深々と頭を下げた。


「改めまして……私は都の『橘屋(たちばなや)』で大番頭を務めております、**吉次(よしつぐ)**と申します。」


「……俺は藤原の姫。葵様に仕える武士、源野景行だ。そいつは東雲蒼。同じく葵様に使える忍び…だ」


壁際に立っていた景行が、静かな声で名乗りを上げながら割り込む。


「命を救っていただき、言葉もございません。北陸へと向かい、珍品や高級な織物を買い付けに行く道中だったのですが……まさかこのような山深い街道の外れで化物どもに襲われるとは。」

「吉次と申したな」


刀の柄に手を置いたまま、景行が鋭い眼光を向ける。


「都から北陸へ向かう道中だと? 街道を大きく外れ、このような辺境の村の近くまで迷い込んだのはなぜだ」

「それです……! 景行様、蒼様、あの恐ろしい光景を目にして、死に物狂いでここまで逃げてきたのです!」


吉次の顔から商人の熱っぽさが消え去り、突如として恐怖が蘇った。ガタガタと全身を震わせながら、彼は引き攣った顔で語り始める。


「都と北陸を結ぶ表街道は、最近物怪の出没で荒れておりましてな。そこで北陸への抜け道を探し、この村の手前にある峠を越えたのです。……そして、その先の谷底で見てしまったのです。……いや、見てしまったなどという生易しいものではありません」


吉次はゴクリと生唾を呑み込み、血の気の引いた顔で蒼と景行を見つめた。


「山を、黒い波が埋め尽くしていました。数十なんてものではない……数百はくだらない物怪どもの大群です! あれはまさしく百鬼夜行(ひゃっきやこう)……。森をなぎ倒し、地鳴りを響かせながら、一直線に歩を進めていました。そして奴らが向かっている先は……間違いなく、都から北陸へと繋がるこの山間、つまりこの村の方角です!」


「……なに!?」


景行の顔から、一瞬で血の気が引いた。

人間の力では到底太刀打ちできない、災害と同義の大群。

そして――蒼は、ギリッと奥歯が割れんばかりに噛み締めた。


(数百の物怪……!?はぐれ物怪が群れをなしたなんて規模じゃないぞ。やっぱり……俺の存在に反応して……!)


それは、蒼にとって決して聞きたくなかった最悪の知らせだった。

脳裏に過るのは、村人たちとの温かい触れ合い。そして、自分を案じてくれた葵の透き通るような瞳――。

商人がもたらしたこの抗いようのない凶報は、蒼たちがこの村でようやく手に入れた、ほんの束の間の穏やかな日常すらも、無残に打ち砕くことになるのだった。


今回は、新キャラクターの吉次が登場しました。


執筆当初の吉次は、「百鬼夜行の知らせを運んでくるだけ」の名前もない商人でした。


ところがシナリオを考え進めるうちに、「物のない世界」で商人という立場が想像以上に重要だと気づき、急遽「吉次」という名前を与えることになりました。


予定外に生まれたキャラクターですが、この先は彼だからこそできる活躍も用意しています。


ぜひ、吉次の今後にも注目しながら、この平安の世界を楽しんでいただけたら嬉しいです。


次回もよろしくお願いします!


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