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平安時代編第七話:武士の矜持、背中を預ける理由

吾作の命を救った翌日の朝。

邸の門前には、朝露に濡れた新鮮な野菜や山菜を抱えた村人たちの姿があった。


「蒼様、葵様。昨日は倅(せがれ)の命をお救いいただき、本当にありがとうございました。これはほんの気持ちですが……」

「いやいや! そんな、お礼なんていいのに。俺は当然のことをしただけで……」


涙ぐみながら頭を下げる吾作の母親に、蒼は照れくさそうに頭を掻いていた。

葵も微笑みながら、村人たちの感謝の言葉を受け取っている。

穏やかな朝の光に包まれた、心温まる光景。

しかし、その平和な空気は唐突に引き裂かれた。


『マスター! 後方三時の方向、急激な質量の接近を感知!』

(なっ……こんな朝っぱらから!?)


Karenの警告とほぼ同時。

門のすぐ傍にある深い茂みを突き破り、異形の巨体が飛び出してきた。

前日の戦いから群れをはぐれ、血と肉の匂いに飢えた物怪だ。

充血した凶悪な眼球が、無防備な村人たちを真っ直ぐに捉えていた。


「危ないっ!!」


蒼が村人を庇おうと前に出た瞬間、それより早く、一陣の突風が駆け抜けた。


「――浅慮な獣め」


冷徹な声と共に、銀色の閃光が朝の空気を裂く。

物怪の巨体が村人に届くより一瞬早く、景行の太刀がその太い首を寸分違わず一刀両断にしていた。

太刀の血振りを行い、静かに鞘に収めた景行の顔には、安堵の色はなかった。

その鋭い眼光は、物怪が飛び出してきた森の奥を険しく睨みつけている。


「白昼堂々、こんな村のすぐ近くまで……しかも、これほど頻繁に物怪が現れるとは」


景行の呟きに、蒼も表情を引き締めた。

本来、物怪は夜の闇や深い山奥を好むはずだ。

それが昼間に人里へ接近してくるのは異常事態である。


「村の皆はすぐに家に戻り、戸締まりを厳重にしてくれ。早急に防衛網を敷き直さねばならん」


景行はそう言い残すと、休む間もなく一人で森の境界へと向かっていった。


森の入り口で、景行は険しい顔で周囲の木々に警戒の縄を張り巡らせていた。

戦える男手も少ない。

景行は己に鞭打つように一人で作業を急いでいた。

そこへ、両腕に竹や麻縄、松脂(まつやに)、鉄の破片などを抱えた蒼がやってきた。


「景行、俺も手伝うよ。一人じゃ日が暮れるだろ」

「……東雲蒼か」


景行は手を止め、蒼が抱えているガラクタに目をやった。

「昨日の治療の腕は見事だった。だが、戦(いくさ)となれば話は別だ。先ほどの襲撃を思い出せ。貴様は村人を庇おうとしたが、あの化物どもの一撃を防ぎ、有効な反撃を行う術(すべ)を持たなかった。武器を持たぬ忍びなど、乱戦になれば足手まといになるだけだ。大人しく葵様の傍に控えていろ」


冷ややかな言葉の中には、不器用な気遣いが混じっていた。しかし、蒼はニヤリと笑って手元の麻縄を揺らす。


「真っ向勝負ならそうかもな。でも、俺には俺の戦い方がある。ちょっと場所を貸してくれよ」


蒼は森の獣道にしゃがみ込んだ。


『マスター。現地素材の解析を完了。麻縄に松脂を煮溶かしてコーティングすることで、引張強度が約3倍に向上します』


蒼はKarenのナビゲートに従い、松脂で強化した麻縄を木々の間にピンと張り、地を這うようなトラップを仕掛け始めた。

さらに、しならせた青竹に鉄の破片をくくりつけた「即席の刺又(さすまた)」や、枯れ木を利用した「鳴子(早期警戒装置)」を次々と設置していく。


「……そんな小手先のからくりなど、実戦では役に立たん。獣ならともかく、あの物怪どもの恐るべき膂力と硬い皮膚を前にしては赤子の遊び道具と同じだぞ」

「まあ、見てなって。俺の『式神』が計算した、相手の質量と速度を利用する完璧な配置だからさ」


自信満々に笑う蒼に、景行は「好きにしろ」とだけ言い残した。


日が沈み、森が徐々に深い闇に包まれていく。

一人、邸の境界で見張りに立つ景行の瞼は、鉛のように重かった。

ここ数日、頻繁に襲撃してくる物怪を警戒し、まともに眠れていない。


(それにしても……多すぎる)


景行は柄に手をかけたまま、暗い森の奥を睨みつけた。

こんなことは考えたくはない。

だが、東雲蒼という奇妙な男が空から降ってきたあの夜から、明らかに物怪共の行動が活発になっている気がしてならないのだ。

少しずつ心を開きかけた蒼を疑いたくはない…だが、景行の使命はただ一つ、葵様を御守りすること。

そのためであれば、どんな相手であれ、いかなる手段を使ってでも斬り伏せる覚悟がある。


たとえ、それが――。


「……馬鹿な考えだ」


景行は頭をよぎった嫌な想像を振り払うように、強く頭を振って考えるのをやめた。

今はただ、目の前の闇と、襲い来るであろう脅威に集中するだけだ。


深夜。

新月が雲に隠れ、森は漆黒の闇に包まれていた。

武士の勘が、森の奥から這い寄る複数の気配を捉えていた。

一昨日の戦いで群れからはぐれた物怪たちが、血の匂いを嗅ぎつけてやってきたのだ。

景行は太刀の柄をきつく握り直す。

その時だった。


――カァァァン!! カラカラカラッ!! 森の静寂を切り裂くように、けたたましい木の鳴る音が響き渡った。


『マスター、セクター3にて鳴子トラップの作動を確認。対象は3体』

「よし、来たな! 景行、右斜め前方の茂みだ!」


邸の屋根の上から蒼の声が響く。

鳴子の音に驚いて統制を乱した物怪の一体が猛然と飛び出してきたが、その太い足が地を這う「松脂強化ワイヤー」に引っかかった。

前のめりにバランスを崩した瞬間、連動していた青竹のストッパーが外れる。

凄まじいしなりを持った青竹が鞭のように跳ね返り、先端の鉄の破片が物怪の眼球付近を強打した。「ギャアアアッ!」


「そこだ、景行!!」

「――シィッ!!」


罠にかかり無防備に倒れ伏した物怪の首を、景行の鋭い太刀筋が闇を一閃し、何の抵抗も許さずに刎ね飛ばした。

仲間のあっけない死に後続の2体が足を止めるが、そこはすでに蒼が計算し尽くした『キルゾーン』のど真ん中だった。


「お前らの立ち位置も、丸見えなんだよ!」


蒼が屋根の上で別の縄を引く。

頭上の木の枝に仕掛けてあった大量の砂と松明の灰が、残る2体の頭上へと降り注いだ。

目と鼻に灰を浴び、パニックを起こして暴れ回る物怪たち。視界を奪われ、その場から動けなくなった標的を斬るなど、景行には造作もないことだった。

銀閃が二度瞬き、重い肉塊が崩れ落ちる音が響いた。


雲が晴れ、月明かりが血濡れた森を照らし出す。

景行は太刀についた血を振り払い、鞘に収めた。かすり傷一つ負っていない。

屋根から身軽に飛び降りてきた蒼が、ニシシと悪戯っぽく、ひまわりのような明るい笑顔で近づいてきた。


「どうよ。俺の『小細工』も、案外捨てたもんじゃないだろ?」


景行は足元に転がる物怪の死骸を見下ろし、それからワイヤーや青竹の仕掛け、そして屈託のない笑顔を浮かべる蒼に視線を移した。


(……フッ。こいつが葵様を狙う刺客かもしれないなどと、我ながら馬鹿らしい考えだったな)


これほど間抜けで、人の良さそうな、裏表のない顔で笑う男が、葵様を害する暗殺者であるわけがない。第一、刺客であればわざわざ村人を守るための罠など張るはずもないのだ。

黄昏時に抱いた己の疑念が、ひどくちっぽけなものに思えた。


「……ふん」


景行は腕を組み、わざとらしくぷいっとそっぽを向いた。


「所詮は罠だ。俺がとどめを刺さねば、あのまま激昂した化物共に縄を引きちぎられていただけのこと。貴様一人の手柄ではないぞ」

「はいはい。俺も景行の剣術あってこその罠だってわかってるよ」


肩をすくめる蒼に、景行は一つ咳払いをした。


「……だが、暗闇の中で敵の位置を正確に知ることが、これほど戦いやすいものだとは思わなかった。貴様の式神と、その知恵……戦(いくさ)においても確かな『力』であると認めよう。……昼間の無礼は、詫びる」


景行はバツが悪そうに視線を逸らしながら、ポツリと言った。

堅物な彼なりの、最大限の称賛と謝罪だった。


「ははっ! 気にしてないって。これでようやく、お互い背中を預けられるな。これからは相棒としてよろしく頼むぜ!」

「……調子に乗るな」


素直じゃない武士の短くも力強い返答に、蒼は楽しそうに笑い声を上げた。

夜明け前の冷たい風が吹き抜ける中、二人の間には確かに、共に戦線を生き抜いた者だけが分かち合える確かな信頼が芽生え始めていた。


流体思考フレームの復旧率--51%--


今回は、蒼と景行の関係が大きく変わる回になりました。


話の結末で蒼は「相棒」と何気なく口にしましたが、景行にとってその言葉は、これまで背負ってきた孤独な戦い方が少し変わるきっかけだったのかもしれません。


これで三人の関係は、それぞれ少しずつ形が変わりました。


葵は蒼の「優しさ」に惹かれ始め、景行は蒼の「知恵」を信頼し始める。


しかし、その未来の力の影響は、静かな村だけでは収まりません。

次回から急展開そして第一章がクライマックスへと続いていきます。


次回も、『平安オーバーライド』をよろしくお願いいたします。

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