平安時代編 第六話:震える刃、繋ぐ命
翌日の昼下がり。
邸の庭先には、前日の物怪の襲撃で負傷した村人たちが筵の上に寝かされ、うめき声を上げていた。
葵は血や泥で着物が汚れるのも厭わず、村の女たちと共に必死の介抱を続けている。
「なむさん、なむさん……悪霊退散……」
「葵様、竈の灰を傷口に塗れば血が止まると、村の長老が……」
その瞬間、蒼の左腕のK-GEARから警告音が鳴った。
『マスター。未滅菌の灰や泥を直接患部に塗布した場合、重度の細菌感染を引き起こします』 「ストップ、ストップッ!!」
蒼は慌てて飛び出す。
「そ、蒼様!?」
「ダメダメ! そんなバイ菌だらけのもの傷口に塗ったら、治るもんも治らなくなるから!」
蒼は急いで袖をまくり上げると、空中に向かって呼びかけた。
「Karen、周囲の植生データから止血と殺菌作用のある薬草をサーチしろ!」
『了解しました。右斜め前方、ヨモギとゲンノショウコに高い薬効成分を確認』
空から降ってきたような平坦な女の声(合成音声)に、村人たちは一瞬ビクッとするが、景行が「案ずるな、蒼の使う見えざる『式神』だ」と告げると、彼らは畏れ多くて平伏した。
蒼は手際よく野草を摘み取ると、村人にお湯を沸かさせ、煮沸消毒した清潔な布と塩水で傷口を洗い清めた。
石ですり潰した薬草をあてて縛り上げると、苦痛に喘いでいた村人の顔に少しずつ血色が戻っていく。
「おおお……! 痛みが引いていく……!」
「呪文一つ唱えず、お湯と雑草だけで……これが噂の陰陽術……!」
拝み倒してくる村人たちに、蒼は「いや、ただ消毒しただけで……」と苦笑いで誤魔化していた。
だがその直後、庭の奥から悲鳴のような声が上がった。
「葵様、吾作の息が……! 熱がひどく、腕の傷も真っ赤に腫れ上がって……!」
蒼が駆けつけると、前日の戦いで物怪の爪を深く受けた若者が、高熱でうわごとを呟いていた。傷口からは黄色い膿が溢れ、周囲の皮膚は赤黒く変色している。
『マスター、対象者の患部に重度の感染症を確認。深部組織の壊死が始まっています。早急に患部の洗浄と切開排膿が必要です。このままでは敗血症に移行し、数時間以内に死亡します』
Karenの無機質な宣告に、蒼は背筋が凍る思いがした。
(せ、切開って、俺が切るの!? 無理無理、俺はメカニックと物理学の専門で、医者じゃないぞ!?)
『やるしかありません。マスターの網膜(HUD)に、最適な切開ラインと深度をマーカーで投影します』
「……くそっ!」
蒼は傍らで警戒に当たっていた景行を鋭く呼んだ。
「景行! 小刀を貸してくれ! 治療中に彼が暴れるかもしれないから、力ずくで押さえてほしい!」
「……貴様、何をする気だ」
「彼の腕の中で増殖してる『見えない魔物(細菌)』を物理的に追い出す! 頼む、俺を信じてくれ!」
景行は一瞬眉をひそめたが、蒼の必死な眼差しを見ると、無言で腰の小刀を抜き、柄を蒼に向けて差し出した。
そして、自らは吾作の肩と腕をガッチリと押さえ込む。
「熱湯を持ってきました!」
『マスター。刃先を火で炙り、滅菌処理を』
「よ、よし……これでいいか!」
蒼は小刀の刃先を火で赤くなるまで炙った。そして、塩水を少し冷ましたもので吾作の傷口を徹底的に洗い流す。 「う……あぁぁぁッ!!」 塩水が傷に沁み、吾作が激痛に身をよじる。
『マスター。網膜の赤いラインに沿って、深さ3ミリでメスを』
(やるしかない……!)
手が震えそうになるのを必死に堪え、蒼は小刀で化膿した傷口をわずかに切開した。
どろりと溢れ出す膿と血。
「ひぃぃっ……!」
痛々しい光景に村の女たちが顔を覆い、葵も蒼白になっていた。
(…痛いよな、ごめん!!)
内心で悲鳴を上げながらも、蒼はKarenの指示通り、清潔な布で患部を圧迫し中から膿を絞り出した。
その後、村人に作らせた「ドクダミ・ヨモギ・蜂蜜」の即席抗菌軟膏をたっぷりと塗り込み、空気が入らないようしっかりと清潔な布を巻く。
『バイタルサイン安定。深部体温の低下を確認。処置は成功です』
「……ふぅぅぅ。よし、これで患部の処置は終わりだ。あとは風通しのいい日陰で休ませてくれ」
極度の緊張から解放され、蒼はその場にへたり込んだ。
数分後、吾作の呼吸は嘘のように規則的になり、苦悶の表情が和らいでいた。
それを見た村人たちは、今度こそ涙を流して蒼を神様のように拝み始めた。
「……奇妙な術だが、見事だ」
ふと、傍らから低い声が降ってきた。
景行だった。
彼は血のついた小刀を布で拭いながら、どこか感心したような、穏やかな目を蒼に向けていた。
「貴様の使うあの『式神』……以前から声のみで精緻な観測を行うことは知っていたが、人体の構造すら見透かし、命を繋ぐすべまで知悉しているとは。改めて恐れ入った」
「あ、ああ。まあ、あれは特別製だからな」
「だが、それ以上に……」
景行は、吾作の安らかな寝顔に目をやり、それからまだ血で汚れた蒼の手を見た。
「刃を握る手が素人のように震えていたにもかかわらず、式神の導きを信じ、迷いなく毒(膿)を絞り出すあの胆力。自らの恐怖をねじ伏せ、民の命を救ったその心意気……見事だったぞ、東雲蒼」
景行は心からの敬意を込めて蒼の名を呼んだ。
まっすぐな称賛に少し照れくさくなり、蒼は頭を掻いた。
そして、少し離れた場所からその一部始終を見つめていた葵。
彼女は、蒼が小刀を握った時、その手が微かに震えていたのを見逃していなかった。
得体の知れない未来の道具や術を使う、底知れない戦士。
そう思っていた彼が、自分たちと同じように命の危機を前に震え、冷や汗を流しながら、それでも必死に吾作を救おうとしていたのだ。
(蒼様は……神様なんかじゃない。優しくて、とても不器用な、普通の人なのだわ)
泥だらけになって笑う蒼の横顔が、葵の目には、今まで見たどんな貴族や武士よりも眩しく、愛おしいものに映っていた。
その夜。
慌ただしい一日が終わり、蒼は邸の縁側に一人腰掛けていた。
「はぁ……疲れた。手当って、こんなに体力使うんだな……」
肩を揉みながら夜空を見上げていると、背後から微かな衣擦れの音が聞こえた。
「蒼様。夜風が冷えませんか?」
「あ、葵さん。いや、大丈夫です。そっちこそ、今日は一日中立ちっぱなしだったでしょ」
葵は盆に乗せた温かい湯飲みを蒼の隣にそっと置くと、自身も少し距離を空けて縁側に腰を下ろした。
湯飲みを受け取ろうとした蒼の手に、葵の視線が落ちる。
まだ指先には、泥や薬草の青汁が微かに残っていた。
「……本日は、本当にありがとうございました。蒼様がいらっしゃらなければ、吾作の命はどうなっていたか」
「俺一人の力じゃないですよ。式神(Karen)の指示があったからできたことで。正直、小刀を握った時は生きた心地がしませんでした」
月明かりに照らされた葵の頬は、ほんのりと桜色に染まっていた。
彼女は胸の奥で早鐘のように鳴り始めた鼓動を悟られないよう、そっと視線を夜空へと逸らした。
「……蒼様のいらした『未来』という時代は、どのような場所なのですか?」
未来から来た彼を知るための、純粋な問い。
蒼は少し驚いたように瞬きをした後、夜空に瞬く星を見上げながら、ゆっくりと口を開いた。
「俺のいた未来では、空のずっと高いところまで届きそうな、ガラス張りの塔がいくつも建っていて……夜になっても街が暗くならないんです。数え切れないほどの灯りが街中を照らしていて、夜でも、まるでこの空の星々が地上に降り注いだみたいに、ずっと明るい街なんですよ」
おとぎ話のように語られる『未来』の景色。 葵は目を丸くして、その光景を頭の中に思い描いた。
「地上に星が降ったような街……。夜になっても暗くならないなんて、まるでおとぎ話のようですね」
「ええ。夜に物怪に怯えることもない、綺麗な場所です」
葵は袖で口元を隠し、ふわりと笑った。しかし、その視線を夜空に戻すと、彼女の横顔にほんの少しだけ寂しげな色が混じった。
「……いつか、そのような美しい世界を見てみたいです。暗闇も恐ろしい影も届かない、光に満ちた街を」
自分が当たり前のように享受していた明るい夜を、彼女は一生知ることはないのだ。それでも――。
「……きっと繋がってますよ」
「え?」
蒼は、葵の方へ真っ直ぐに向き直り、力強い声で言った。
「葵様たちが生きるこの時代の先に、俺のいた未来がある。皆が夜に怯えなくて済む世界は、ここから繋がって必ず来るんです。……だから」
真剣な蒼の眼差し。その言葉に葵の胸の奥が、トクン、と大きく跳ねた。
「はい。……ありがとうございます、蒼様」
頬が熱くなるのを感じて、葵は慌ててうつむいた。未来の景色への憧れよりも、今目の前にいるこの人に、惹かれている自分に気づいてしまったからだ。
夜風が心地よく二人の間を吹き抜けていく。 虫の音と、静かな月明かり。
遠い未来の光の街にはない、この時代だけの穏やかな美しさがそこにはあった。
流体思考フレームの復旧率--36%--
ここまで読んでいただきありがとうございます。
当初、物語のヒロインである葵が蒼に惹かれるきっかけは、「命を助けられたから恋に落ちる」という、とてもシンプルな展開を考えていました。
でも書き進めるうちに、一つ疑問が浮かびました。
強い男なら、平安時代にはいくらでもいるのに、それだけで葵は蒼に惹かれるだろうか?
景行のような歴戦の武人もいれば、都には名だたる武士たちもいます。その中で蒼だけが特別なのは、圧倒的な強さではなく、「怖くても目の前の命から逃げないこと」でした。
だから今回は、蒼が医者でもないのに震える手で小刀を握り、それでも吾作を救おうとする姿を書きました。
村人たちは神業だと拝みましたが、葵だけはその震えを見ています。彼女が惹かれたのは無敵の英雄ではなく、自分たちと同じように恐怖を感じながら、それでも誰かのために踏み出せる、一人の不器用な青年。そんな転機として描いたつもりです。
次回は景行との関係が進んでいきます。
この先、蒼が平安の人々と
どんな関係を築いていくのか。
是非お楽しみください!




