平安時代編第四話:未来の龍と真実を見抜く姫
二人の間に残された静寂の中で、行灯の揺らめく灯火が葵の影を繊細に揺らしていた。
彼女の射抜くような、けれど慈しみを含んだ視線が、床にへたり込んだ東雲蒼を優しく捉えている。
「まずはお名前を聞かせていただいてもよろしいですか? 私は葵。先ほど乱暴を働いた武士は、源野景行と申します。どうか悪く思わないであげてくださいね。ああなってしまうのも、私を護らなければという強い使命感があってのことですので」
「あ、俺は東雲蒼です。いや、俺のほうこそ怪しまれても仕方ないことばっかりでしたし……あはは」
蒼は気まずそうに頭の後ろを手で掻きながら、タハハと苦笑いを浮かべた。
すると葵も、袖口をすっと口元に添えて上品に微笑んでくれる。
その何気ない仕草一つをとっても、未来の世界では決して見られないような、本物の歴史と気品が滲み出ていた。
葵は、未だ自分の置かれている状況を整理しきれていない蒼の困惑を察したように、静かな声で自らの境遇を語り始めた。
「先ほど、藤原本家から遣わされたとおっしゃいましたが……あり得ないのです。私は家系図の端に追いやられ、政治的な価値を失った『捨て置かれた姫』ですから」
葵の語る言葉は、この時代に深い爪痕を残した権力闘争の、残酷な結末そのものだった。
つい先日まで、都では天皇家の主導権を懸けた「崇徳上皇」と「後白河天皇」の兄弟が激しく対立していた。
それに連動するように、藤原家でも『氏長者』の座を巡り、「藤原忠通」と「藤原頼長」の兄弟が火花を散らしていたのだ。
この両家の「兄陣営」と「弟陣営」がそれぞれ手を結び、都を二分する前代未聞の武力衝突へと発展した。
「……その骨肉の争いは、後白河天皇と忠通様の陣営の勝利という形で、決着がついています。敗れた者たちは命を落とすか、遠く辺境の地へ流されました」
葵は少しだけ伏し目がちに、静かに息を吐いた。
「争いを好まなかった私の父は、この派閥争いから距離を置き、中立を保とうとしました。しかしそれは、勝者となった忠通様たちからすれば『戦に貢献しなかった者』でしかありません。戦後の論功行賞で何の功績も得られず、父は完全に立場を失いました。……その結果、私もまた藤原の一門でありながら、政略の道具としての価値すら失い、見捨てられたのです」
葵は自嘲することもなく、ただ淡々と現実を語る。
「今更、本家で権力を握る忠通様たちが、私のような末端の姫の身を案じて護衛を遣わすなど、万に一つもあり得ないのです」
蒼はゴクリと息をのんだ。
学生時代、歴史の教科書で『保元の乱』という単語として暗記していただけの情報が、血を流し、勝者と敗者を分け、残された者たちの人生を狂わせた「残酷な現実」として突きつけられる。
歴史の当事者の口から聞くその重みに、蒼は胸が締め付けられた。
葵の話は、続いて一昨日の真夜中の出来事に及んだ。
「一昨日の夜、深い暗雲が立ち込める中、裏山に蒼様が空から落ちてこられたのです。……その異様な気配に引き寄せられた物怪たちが貴方を狙っていたところを、景行が太刀を振るって命を救い、この邸まで運んできたのですよ」
「えっ……!? てことは俺、あのお侍さんがいなかったらマジでヤバかったってことですか……?」
「ヤバかった……? 蒼様は時折、とても難しい言葉をお使いになりますね」
「あ、ごめんなさい! 危なかった、命がなかったって意味です! っていうか……物怪ってマジですか? 実在してるんですか!?」
「マジ?……はい。物怪をご存知ないのですか?」
葵が不思議そうに首をかしげる。
「物怪というか……俺のいた場所でも、似たような化物となら戦ってましたけど……。そうか、あのお侍さんに命を救われてたのか。後でちゃんとお礼言わないとな……」
「口うるさく疑い深いところもありますが、根はとても頼れる男です。私のような立場の弱い姫の護衛など、武家として出世の道から完全に外れた任務でありながら、我が身を賭して忠義を尽くしてくれていますので」
葵の温かな言葉を聞きながら、蒼の脳裏には未来の世界で自分に人類の運命を託し、まばゆい光の中に消えていった戦友・蓮の姿が重なっていた。
(……どこにでもいるんだな。あんな馬鹿真面目な奴は……)
「俺の仲間にも、似たようなのがいたからさ。景行さんの気持ち、ちょっと分かるよ……」
ぽつりと呟いた蒼の瞳に、深い郷愁と傷痛な陰りが差した。
葵はその変化を見逃さなかった。
彼女の持つ鋭い直感は、蒼の言葉の裏にある深い悲哀を正確に感じ取っていた。
葵は静かに話題を切り替える。
「……今度は、蒼様のお話を聞かせていただけませんか? 貴方は一体、どこから来られたのですか?」
直視してくる葵の真っ直ぐな澄んだ瞳に、蒼は観念したように大きく溜息をついて頭をかいた。
目の前にいる可憐な少女は、自身の感情も嘘もすべて見透かしている。
至近距離で見つめられ、蒼の心拍数は凄まじい勢いで跳ね上がっていた。
天才だが、恋愛偏差値ゼロの青年とって、この「美少女による直球の尋問」は、異形との戦闘以上に心臓に悪い。
「……分かったよ。全部は信じてもらえないかもしれないけど、俺の知っている本当のことを話す」
蒼は左腕に嵌められたK-GEARを見つめた。
今は沈黙している相棒のKaren。
そして、先ほど部分的に緊急展開させた『流体思考フレーム』によるナノ金属の装甲。
これらは西暦2100年代の対ゼノフォーム特務機関『ゼタクト(Z-TACT)』が誇る超科学技術の結晶であり、この平安の世には存在するはずもない代物だ。
「俺は……『未来』、たぶん千年以上先の時代から、ある事故によってこの時代に落ちてきた人間なんだ」
「未来……? 千年、先……?」
葵は驚きに一瞬だけ可憐な目を丸くしたが、その突飛な告白を嘲笑したり否定したりすることはなかった。
空から降ってきた異常な状況、景行の真剣を素手で弾き返した鋼の装甲、そして先ほどまで響いていた『式神』のデジタル音声。
そのすべてが、蒼の突飛な言葉を何よりの事実として補強していたからだ。
「俺たちの時代は、ある恐ろしい化物――『ゼノフォーム』っていう異世界からの侵略者と戦っていた。俺はその兵器を開発するエンジニアで、自分でも戦っていたんだ。でも、敵の王であるClass-Xとの死闘の最中、空間そのものが破壊されて……気づいたら、この時代に飛ばされていた」
蒼の語る凄惨な戦いの話は、葵にとってどんなおとぎ話よりも奇妙で、そして恐ろしいものだった。
しかし、蒼の瞳の奥に宿る「誰かの未来を護るために命を懸けてきた真っ直ぐな善性」を、彼女の直感は確信をもって捉えていた。
「……信じます。あなたの目には、一つも嘘がありませんから」
「え、俺からこんなこと言うのも変だけど、そんなあっさり本気にしちゃっていいの!?」
「ふふ、言いましたでしょう? 私、人の嘘はすぐに分かるのです」
驚愕する蒼に向かって、葵は悪戯っぽくクスリと笑ってみせた。
「あ、でも……景行にはもう少しだけ『藤原家の忍び』のふりをしてあげてくださいね。あの人は根が真面目すぎるので、今『未来から来た』なんて真実を伝えたら、混乱してまた刀を抜いてしまうでしょうから」
「うわ、ありそう……! 助かります、絶対秘密にします……!」
葵の気遣いに富んだ言葉に、蒼の胸に渦巻いていた孤立感と不安が、春の陽気に溶ける雪のようにすーっと消え去っていった。
「景行には私からも上手く話しておきますので、お怪我が癒えるまで、この邸でごゆっくりなさってくださいね」
そう言って立ち上がった葵は、部屋の入口ではなく、静まり返った暗い廊下の奥に向かってすっと声を張った。
「景行、いつまでそこに潜んでいるのですか? もう夜も更けました。蒼様を休ませてあげなさい」
暗闇の中から、わずかに衣の刷れる音とハッと息をのむ気配が聞こえた。
(……凄すぎる。気配を消してるプロの武士を、見てもいないのに完全に位置まで把握してるのか……)
蒼は改めて、この時代の住人たちが持つ、五感を超えた生々しい「生命力」に圧倒されるばかりだった。
「すっかり遅くなってしまいましたね。この部屋は好きに使っていただいて構いませんので、今夜はゆっくりとお休みくださいね……未来の戦士様」
月明かりの差す平安の夜闇の中へ、葵は優雅な残香を残して消えていった。
静まり返った部屋で一人取り残された蒼は、深く息を吐き出し、左腕のデバイスを撫でた。
「さて……Karen。ボイスシステム……いや、もういいや。起動しろ」
【ボイスシステム・オン】の操作を行うと、待ちわびていた相棒の毒舌プログラミングが即座に炸裂した。
『――ッ!! やっと喋らせてくれる気になりましたかマスター! マスターのデタラメな出まかせのせいで、私の論理回路が危うく過熱ショートするところでしたよ! あ、ちなみに葵様の皮膚温、心拍数、および去り際の表情パターンから推測するに、マスターに対する好感度は――』
「それ以上余計な分析すんな! 音声オフ!! ……あーもう、喋らせなきゃよかった!」
再びジジジと抗議の振動を上げるK-GEARを抱え、蒼は赤くなった顔を覆うようにその場に丸くなった。 だが、その表情からは先ほどまでの悲壮感は消えていた。
「……ま、とりあえず。まずはこのバカげた時代からどうやって生き残るか、真面目に作戦会議から始めないとな、Karen……」
格子窓から差し込む静かな平安の月光を仰ぎ見ながら、未来世界のエンジニアは、頼もしい相棒にそっと語りかけるのだった。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
蒼が「未来人からきた天才科学者なのに歴史に弱い」という一面を書きたくて、このやり取りを入れてみました。
実は私もこんな物語を書いていますが歴史は苦手です。
学生時代は、お世辞にも褒められた成績ではありませんでした(笑)。
なので、蒼が「保元の乱って何だっけ?」「この時代の人って西暦なんて言わないよな……?」と頭を抱えている裏で、私も資料を開いて一緒に勉強しています。
教科書では一行で終わっていた出来事も、「そこに生きていた人」の目線で調べると驚くことばかりで、葵や景行を書いていると歴史が少しずつ好きになってきました。
これからも、蒼と一緒に平安時代を学びながら、この世界を旅していけたらと思います。
次回もぜひ、お付き合いいただけたら嬉しいです。
よろしければ感想などお願いいたします。




