正鵠(せいこく)
山本はクリームソーダを飲み干すと、ハンカチで口元を拭い、立ち上がった。
「さて。三千代も見舞わねばな。吾妻、車を出せ」
「承知いたしました」
午後一時四十分、高木邸へ向かうトヨダAA型の中。
頼はハンドルを握りながら、静かに口を開いた。
「山本さん。高木邸では、石原大佐に私の提案を『彼自身の思いつき』として喋らせます。彼は天才であるがゆえに、他人の知見を自分の理論の補強として同化する性質がある。私はただ、彼がそれを閃くための『問い』を投げるだけです」
山本は助手席で目を閉じ、小さく頷く。
「お前のやり方だ。好きなようにやれ。私はただ、親族としてそこに座っているだけだ、、、だが、もし石原がお前を『排除すべき脅威』と認識した場合は、、、?」
「その時は、海軍少将であるあなたの背中が、最高の盾になります」
「買われたものだな、やはりお前は面白い!いいだろう」
車は静かな住宅街を抜け、緑に囲まれた高木邸の門前へと滑り込んだ。
頼は車を停めると、助手席から重みのあるスイカと、別に包まれていた虎屋の袋を手に取る。
「山本さん。三千代さんへの見舞い品、こちらでよろしいですね」
山本は中身を確認し、目を細めた。
「ああ、虎屋の『夜の梅』か。やはり、羊羹は虎屋に限る。さすがだ、吾妻」
「もちろんです、山本さん」
二人が車を降り、高木邸の玄関へと近づくと、中から気配を察した高木清寿が、急ぎ足で出迎えてきた。
「山本提督、吾妻中佐。よくおいでくださいました」
「いやあ、三千代の具合はどうだ? スイカと、例の『夜の梅』を持ってきたよ」
山本がスイカと虎屋の袋を高木に手渡す。
高木は恐縮しながらそれを受け取り、目配せで「中には石原部長がいる」とだけ告げた。
山本を「三千代の見舞い部屋」へ、頼を「居間」へと誘導する。
山本は三千代の寝室へ。
頼は高木に導かれ、重苦しい空気が漂う居間へと足を踏み入れる。
真夏の高木邸。
夏風邪を患った妻・三千代を見舞うという名目で、奇妙な調和に包まれていたこの屋敷で、今、歴史の歯車が噛み合おうとしている。
居間では、石原莞爾がひとり、安楽椅子で不敵に鎮座していた。
山本五十六は隣室で三千代を労わり、この密談の完璧な隠れ蓑となっている。
山本を寝室へと案内した高木は、戸を閉めるとすぐに踵を返し、居間へと戻ってきた。
石原莞爾の傍らに控え、いつものように秘書官としての定位置につく。
居間では、石原莞爾がカップの底に砂糖を山のように沈めたコーヒーを啜り、頼を値踏みするように見つめていた。
「吾妻、不拡大だ。これに尽きる。現場の指揮官らは私の指示を完璧に理解している。彼らにとって、私の言葉は絶対だ」
石原の言葉には狂信的な自信が宿っていたが、頼はその確信を無慈悲に受け止めた。
「大佐、あなたの仰る『絶対的な統制』とやらは、机上の空論です」
頼は懐から、一枚の焼き増しされた写真を取り出し、机に滑らせた。
「これは、豊台の最前線で私の教え子たちが決死の覚悟で潜入し、レンズに収めて送信してきたものです」
石原は怪訝そうに視線を落とした。
そこには、軍の検収印が押された『新式天幕』の山と、脇に積み上げられた『新式弾薬箱』の群れが写っている。
「何だ、、、これは!?」
「よくご覧ください。天幕の帆布に押された検収印と、木箱の表面に白ペンキで殴り書きされた製造シリアルナンバー──【カ-四七一二・昭十】。これは正規の流通ルートではあり得ない、豊台へ極秘に流された戦闘用備蓄です」
石原の顔から血の気が引く。
「馬鹿な、、、我々の極秘備蓄の管理データを、海軍の、しかも一介の中佐が、、、?」
「この数値は、陸軍造兵廠の公式データと照合済みです。疑われるなら、今すぐ高木邸の電話からあなたの息のかかった担当へ確認してください」
頼はさらに、解析したシリアルの一覧を叩きつけた。




