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未来への頼み-アパートの鍵を握りしめたまま、俺は旧日本海軍士官になった-【異世界年間最高104位/歴史日間最高9位/チート無歴史IF】  作者: 山口灯睦
第7章 1935年4月-

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暗闇と代価

久保田から手渡されたメモには、神田鍛冶町の片隅を示す簡素な地図が記されていた。


白光舎はっこうしゃなら品川です。あちらは鉄道省御用達の、言わば『官』の光。ですが吾妻さん、貴殿が求めるのは、おそらくこちら、、、熱田あつたの連中が神田に置いている、この『やしろ』の方でしょう」


久保田は、「まなびや」と「やしろ」の字の違いを強調するように言った。


電球の如き華やかな近代化を教える「舎」ではなく、泥濘の中で立ち止まる者の拠り所となる「社」。


その言葉の響きが、頼の胸に重く沈んだ。


夕刻、海軍省の重苦しい空気を振り切るように、頼は神田へと向かった。


戒厳令下の街は、日没を前にして早くも死に絶えたような静寂に包まれている。


憲兵の鋭い視線が外套に包まれた頼を刺すが、彼はそれを一顧だにせず、雪解けの泥道を急いだ。


地図が指し示す場所は、表通りの華やかさとは無縁の、煤けた路地裏だった。


そこにあったのは「店舗」ではない。


看板もろくに掲げられていない、油と真鍮の匂いが染み付いた、職人たちの「詰所」のような場所だった。


「ごめん」


頼が引き戸を引くと、奥から無愛想な、しかし節くれ立った指を持つ老店主が顔を出した。


「こんな時に、物好きだな。もう店仕舞いだ」


「久保田中佐から、熱田の『三號型』があると聞いた」


頼の声に、老店主の目がわずかに細まった。


彼は無言で奥へ引っ込むと、やがてカウンターの上に、新聞紙に包まれた「それ」を置いた。


「二十五円だ。独逸製グレッツならもっと安く手に入る。あっちは見栄えもいい。だが、うちは真鍮をケチらねえ。この重さが、そのまま『死なないための厚み』だ」


頼は包みを解いた。


現れたのは、工芸品のような独逸製の洗練さとは対極にある、無骨な真鍮の塊だった。


磨き上げられる前のそれは、鈍く、どこか野蛮な光を放っている。


頼は手を伸ばし、その把手バルブを握った。


「重いな、、、いや、この重さでいい」


独白が漏れた。


独逸製のような指先で弾くような軽さはない。


だが、泥まみれの手で掴んでも、あるいは凍えた指先で探っても、決して裏切ることのない確かな手応え。


真鍮同士が噛み合う「ぎりり」とした感触は、そのまま頼の指先に「現実」としての質量を伝えてきた。


タンクを爪の先で弾いてみる。


「キンッ」という高い響きではない。


肉厚な金属だけが奏でる「コンッ」という、重く、密度の高い音が返ってきた。


頼の脳内で、瞬時に計算尺が滑った。


二十五円。


銀座のカッフェーで啜るコーヒーなら、およそ二百五十杯分。


あるいは、上大崎の自宅で燈がやり繰りする食費の何ヶ月分か。


一人の軍人が、ただ「夜を照らす」ためだけに投じるには、あまりに過剰で、あまりに不合理な数字だ。


だが、あの雪の夜。


闇に呑まれ、五感を奪われ、論理ロゴスが「熱狂」という名のバグに屈したあの絶望。


あの暗黒を殴り倒すための質量が、今、この真鍮の冷たさとしててのひらにある。


これはもはや、単なる灯器ではない。


歴史のバグを修正するために、頼が自らの血肉を削ってでも手に入れるべき「予備部品スペア」なのだ。


「これを、一つもらおう」


頼は無言で、五円紙幣を五枚、カウンターに置いた。


中佐の月給の1割を超える出費。


だが、頼にとってそれはもはや金銭のやり取りではなかった。


家族を、そして己の論理を守り抜くための「兵站ロジスティクス」への、最後の投資だった。

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