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未来への頼み-アパートの鍵を握りしめたまま、俺は旧日本海軍士官になった-【異世界年間最高104位/歴史日間最高9位/チート無歴史IF】  作者: 山口灯睦
第7章 1935年4月-

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初期化(イニシャライズ)其の一

1936年2月26日未明


帝都は、音を奪うほどの深い雪に包まれていた。


上大崎の自宅。


頼は、隣で眠るあかりの規則正しい寝息を聞きながら、静かに、しかし決然と布団を抜け出した。


「頼さん、、、?」


闇の中で燈の声がした。


彼女の勘は、時に頼の計算尺よりも鋭い。


「艦政本部まで呼び出された。雪のせいで通信網が不安定なようだ」


嘘ではない。


だが、真実でもない。


頼が軍服のホックに手をかけたとき、背後から燈の柔らかな、しかし逃れようのない手が伸びてきた。


彼女は何も言わず、少し歪んでいた頼の襟を左右からぴしりと整えた。


「頼さん、、、」


燈の指先が、一瞬だけ頼の喉元で震えたのを、彼は見逃さなかった。


「今夜も必ず、冷えるでしょうから、、、。温かいものを、用意して待っていますね」


彼女の問いは、常に言葉の裏側にある。


それは「行かないで」という懇願ではなく、「必ず帰ってこい」という静かな命令だった。


頼は玄関へ向かう足を引き止め、子どもたちの寝顔を一度だけ見た。


二歳の継は、布団を蹴飛ばし、大の字になって眠っていた。その小さな胸の上下は驚くほど力強く、規則正しい。


父がこれから歴史の「重心」を支えに行くことなど知らず、夢の中で何かを掴もうとするように、ぷっくりとした拳を握りしめている。


頼はその小さな拳に触れたい衝動を抑え、代わりにポケットの「あの計算尺」を指先でなぞった。


永田鉄山の血、そしてあの日の蝉時雨。


この子の眠る平穏な時間を、あのような不条理な暴力で上書きさせてはならない。


継が握っている無邪気な拳を、将来、銃握に変えさせないための「計算」が、今、頼の中で完成した。


すべてはこの雪の朝に繋がっていた。


午前6時、芝浦岸壁。


「本当に降ってきやがったな、、、」


横須賀から急派されてきた駆逐艦の甲板で、山崎は降り始めた雪を見上げ、頼から届いたあの指示書を思い返していた。


「あいつの言う通りだ。忘れ物(武器と弾薬)は、過剰なほど積み込んにある」


山崎は煙草を揉み消し、防寒外套の襟を立てた。


その直感に応えるように、遠く三宅坂の方向から、空気を切り裂くような乾いた銃声が響いてきた。


山崎は不敵に笑い、背後に控える陸戦隊員たちに、腹の底から響く声で命じた。


「総員、上陸準備! これより我々は、吾妻中佐の引いた『射界』を確保する!」


同刻、海軍省。


廊下には怒号が飛び交っていた。


「陸軍の青年将校が蜂起! 斎藤内大臣、渡辺教育総監が襲撃された!」


「首相官邸も占拠!」


頼は、その喧騒を割って電信室へ向かった。


そこには、頼が事前に「配置」しておいた男からの暗号電が届いていた。


『雪、止まず。山、動く。芝浦にて待つ』


頼の口元が、わずかに吊り上がった。


彼は電信を握りつぶすと、待たせていた車へ飛び乗った。


「芝浦へ。可能な限り、三宅坂を避けてな」


車が海軍省の門を出ると、帝都は死んだような静寂に支配されていた。


湿った雪がすべての音を吸い込み、視界に入るのは、街角に立つ兵士の銃剣が街灯を鈍く反射する光だけだ。


普段なら朝の活気に溢れるはずの銀座の裏手も、今は人っ子一人いない。


頼は窓の外を流れる「空虚」を、冷徹な観察眼で走査した。


反乱部隊による電話線の切断、そしてこの雪。

物理的な通信網パスが絶たれたことで、帝都という巨大なシステムが、処理不能デッドロックに陥っている。


頼は懐の計算尺を指先でなぞった。


システムが停止しているなら、外部から「強制終了」をかけるしかない。


車輪が雪を噛む鈍い音だけを響かせ、黒塗りの車は、戒厳令下の重圧を切り裂くようにして、潮の香りが混じり始めた芝浦へとひた走った。

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