頼み
1934年(昭和9年)1月
上大崎の自宅に迎えた初めての正月は、抜けるような冬晴れとなった。
「あや、ぺんぺん! つぐも、ぺんぺん!」
居間の畳の上で、二歳の絢が、まだ寝返りも打てない継の横で、熱心に「土いじり」の真似事を教えている。
頼は書斎からその微笑ましい光景を眺めながら、万年筆を走らせていた。
宛先は、名古屋・熱田の実家。
そして、燈の両親が待つ熱田の家だ。
『継は順調に育っております。皆様お変わりないでしょうか。この新しい家族を連れて、熱田神宮へ参拝できる日を楽しみにしております』
書き終えた手紙を封じ、頼はふと、傍らの計算尺を手に取った。
家族の笑い声が聞こえるこの「城」は、コンクリートの壁と頼の計算によって、物理的には守られている。
だが、その外側、海軍という巨大な組織が抱える「歪み」は、頼の脳内にある未来の年表通り、確実に限界へと近づいていた。
二月
梅の香が漂い始めた頃、継がようやく首を据えた。
「重力を、克服したな」
頼が指を差し出すと、継はそれを力強く握り返し、頼をじっと見つめた。
その瞳の輝きに、頼は戦慄に近い使命感を覚える。
この子を、あの重油の匂いと鉄の軋む音の中へは行かせない。
そのためには、今、海軍の「嘘」を暴かなければならない。
海軍大学校での頼の講義は、一段と熱を帯びていた。
「諸君。艦政本部が公表している現行艦艇の復元性能数値を、もう一度疑え。重心(G)と浮心(B)の距離、その一点の誤魔化しが、数百の命を飲み込む」
教官室に集まる若手士官たちに、頼は密かに「再計算」という名の演習を課していた。海大の知性は、静かに、だが確実に艦政本部の「メンツ」という名の防壁を侵食し始めていた。
1934年3月12日
その報せは、海軍大学校の教官室で演習案を練っていた頼のもとに、雷鳴のごとく飛び込んできた。
「吾妻教官! 水雷艇『友鶴』が、演習中に転覆! 佐世保外海で、消息を絶ちました!」
教官室の空気が凍りつく。だが、頼だけは表情一つ変えず、ただ手にしていた万年筆を静かに置いた。
(最悪の形で、現実になったわけだ)
彼の脳裏には、数年前、巡洋艦「神通」の薄暗い艦内、重油と鉄の匂いが立ち込める中、山本五十六の私邸へと送るべく認めた、あの一通の機密レポートの内容が、鮮明に浮かび上がっていた。
「現状の船体構造を維持した場合、艦隊の戦闘能力に壊滅的な影響を及ぼす重大事故は、今後六年以内に発生する可能性九十パーセント以上と推定される。至急、設計の見直しが必須である。――吾妻頼」
あの時、山本はその数字を読み、深く沈黙したはずだった。頼は自らの命を賭け、組織のタブーを数字で抉ってみせた。
だが、巨大な海軍の慣性は、一教官が示した「死の統計」よりも、目先の砲塔の数を優先したのだ。
(「九十パーセント以上」か。計算通りだ。だが、、、計算通りか、、、)
頼の脳裏には、藤本喜久雄という天才造船官の顔が浮かぶ。
条約の制限下で重武装を詰め込まざるを得なかった、歪な設計。
それは、頼がこれまでの講義で「非合理な設計は、必ず海が裁く」と警告し続けてきた、その最悪の形での露呈だった。
数日後
艦政本部の会議室は、重苦しい沈黙と、責任転嫁の刺々しい空気に包まれていた。
「荒天が予想を超えていた」「操艦に問題はなかったのか」
居並ぶ将官たちの口から漏れるのは、現実から目を逸らすための空論ばかりだ。
その中央で、頼は一枚の図面と、計算尺をテーブルに叩きつけた。
「荒天のせいではありません。これは『人災』です」
頼の声が、会議室の温度を数度下げた。居並ぶ上官たちが色めき立つ。
「貴様、造船の権威である藤本大佐の設計を疑うのか!」
「一教官の分際で身の程を知れ!」
頼は、眼鏡の奥の瞳を鋭く細め、一段と低い声で言い放った。
「権威で船が浮くのなら、八八艦隊など造る必要はなかったでしょう。見てください。この復元モーメントの計算式を。この船体幅に、これだけの連装砲と魚雷発射管を積めば、重心がどこに来るか。子どもでも分かる理屈です」
頼は立ち上がり、黒板に激しい音を立てて数式を書き殴った。
それは、今の海軍が「精神論」という名の虚飾で塗り固めてきた、不都合な真実を暴く刃だった。
「私は以前、ある御仁を通じて、この危惧をデータとして提出しております。六年以内に九割の確率で起きる、と。海軍がその数字を無視した結果、百名以上の将兵が、設計の歪みに飲み込まれた。命を、数字の犠牲にしてはならない」
頼の脳裏に、上大崎の自宅で自分の指を握りしめてきた、継の小さな手の感触が蘇る。
あの小さな命を、いつかこんな「欠陥品」に乗せるわけにはいかない。
会議室の隅には、かつて三宅坂の私邸で頼の報告書を「確信」へと変えた山本五十六が、腕を組んで静かに座っていた。山本は何も言わない。
だが、その眼差しは、頼が突きつける「数字の刃」を、海軍を救うための「唯一の解」として認めていた。
「直ちに、現存する全艦艇の復元性能を再計算すべきです。これはお願いではありません。海軍省、そして国家への『頼み』です」
静まり返った会議室。頼の背後には、彼が海大で育ててきた、新しい世代の士官たちの静かな、しかし確固たる視線が集まっていた。
歴史の歯車が、一人の男の「怒り」と「計算」によって、大きく軋みながら回り始めた。




