空中分解と五分間
技師長が沈黙する中、頼は作業着の袖をまくり上げ、久保田に短く頷いた。
「久保田少佐、予定通り『部品の互換性』と『公差の抜き打ち検査』に入る。私は第一組立ラインへ。貴官は部品倉庫の在庫管理表を精査してくれ」
「了解。三菱さん、帳簿の数字と現物が一分一厘でも違えば、この規約に基づき『不適合』と判定しますよ」
そう言うと久保田が、管理部を伴って奥へと消える。
頼は、呆然とする技師長を置き去りにし、騒音渦巻く組立工場へと足を踏み入れた。
そこには、日本の最先端を行く機体の骨組みが整然と並んでいたが、頼の目はその華やかさには目もくれない。
彼が向かったのは、作業台の脇にある「端材」の箱と、工員たちの手元だった。
「そのボルト、どこから持ってきた」
頼は、作業中の若い工員の動きを止めた。
「えっ、、、あ、これは中島のいや、三菱の独自規格で、あっちの棚から、、、」
「棚を見せろ」
頼は棚の奥へ手を突っ込み、部品の山を一つかみした。
「やはりな。図面上はメートル法だが、実際の加工精度が追いついていない。おまけに中島から融通させたインチ規格の古い在庫が混じっている」
頼は、慌てて駆け寄ってきた現場責任者の胸元に、手に持ったボルトを突きつけた。
「このボルト一ダースのうち、三本が中島規格、九本が三菱規格だ。見た目では判別できないが、ピッチがわずかに違う。これを見逃して締め込めば、振動で金属疲労を起こし、空中で空中分解する。これが、あんたたちの誇る『三菱の品質』か?」
「そ、それは現場の判断で、足りない分を補填しただけで、、、」
「その『現場の判断』が、兵站を殺すんだ」
頼はポケットからマイクロメーターを取り出し、その場で次々と部品を測り始めた。
「久保田少佐! 倉庫のCブロックだ! 規格外の混入が常態化している。全在庫の差し押さえと、ラインの即時停止を検討してください!」
広大な工場内に、頼の怒号に近い指示が響き渡る。
三菱という巨大な組織が、一人の少佐が持ち込んだ「一本のボルトの狂い」によって、音を立てて揺らぎ始めた。
「ラインを止めろだと!? 貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか!」
第一組立ラインの喧騒を切り裂いて、三菱の製作所長が、血相を変えた幹部たちを引き連れて現れた。
海軍との太いパイプを自負する彼らにとって、一若手将校による「不適合判定」と「稼働停止」の宣告は、社史を揺るがす屈辱だった。
「吾妻少佐、言葉が過ぎるぞ。我々は海軍省首脳部とも合意の上で、この納期を守るべく、、、」
「その首脳部が承認したのが、この規約だ」
頼は、一歩も引かずに所長の言葉を遮った。
「所長。規約第十二条に基づき、主要部品の互換性が確保されない状態での組立継続は、国家財産の毀損とみなされる。
久保田少佐が倉庫で押さえた『規格外在庫』がラインに流れ続けている以上、現時点をもって、この工場から出荷される機体の品質は保証されない」
頼は、先ほど抜き取った規格違いのボルトを、所長の足元に叩きつけた。
「これを締めたまま納品するか? そして戦地で空中分解し、搭乗員が死んだ時、あんたたちは『納期は守った』と遺族に言い訳するつもりか」
「くっ、、、」
所長が絶句する中、隣で淡々と手帳を閉じた久保田少佐が、とどめを刺すように付け加えた。
「ちなみに所長。吾妻少佐が署名したこの不適合通知書が航空本部に届いた瞬間、三菱への次期支払いは自動的に凍結されます。停止を『検討』する時間は、あと五分も残っていませんよ」
久保田の通告に、幹部たちの間に戦慄が走った。
五・一五事件の混乱に乗じて頼が強行突破したあの「規約」には、現場にこれほどまでの絶大な執行権を与える一文が、密かに、だが確実に見落とされぬよう組み込まれていたのだ。
所長は震える拳を握りしめ、やがて力なく肩を落とした。
「ラインを、、、。第一から第三まで、全行程を一時停止させろ。部品の総点検だ、、、」
現場に「作業停止」のサイレンが鳴り響く。
日本の航空産業の頂点に君臨する三菱の心臓が、頼の持ち込んだ一通の書類によって、ついにその拍動を止めた。
「吾妻少佐。これで、明日からは死ぬ気で規格を統一せざるを得なくなりますね」
久保田が汗を拭いながら歩み寄る。頼は、停止した巨大な機械群を見つめ、短く息を吐いた。
「ああ。止めるのは一瞬だが、正しく動かすにはその百倍の労力がいる。明日からは地獄だぞ、久保田少佐」
工場の門を出た時、空は赤黒い夕焼けに染まっていた。
軍服も作業着も、三菱の油と鉄粉で真っ黒に汚れている。
二人は黙ったまま、市電の停留所へと歩き出した。
「吾妻少佐。今日は、ここまでにしましょう。明日の『再起動』のために、あなたも休む必要がある」
久保田の言葉に、頼は初めて硬い表情を緩めた。
視線の先には、熱田の杜の深い緑が見える。
戦場のような工場を離れ、ようやく一人の「息子」に戻る時間が近づいていた。




