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未来への頼み-アパートの鍵を握りしめたまま、オレは旧日本海軍士官になった-  作者: 山口灯睦
第5章 1930-

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33/54

同志

春の嵐が過ぎ去り、湿り気を帯びた夜。


頼は東京の隅にある目立たない料亭の裏口で、山本五十六との、極私的な会合を再び持った。


山本は、頼が提出した簡潔な報告書を静かに読んでいた。


そこには、特定の企業の不自然な予算の流れと、藤井大佐を中心とした人事異動の操作が、数字と構造で明確に示されていた。


「松原の件は深追いしなかったか」


「はい。金の流れを潰すより、その力を削ぎ、流れを変えることに集中しました。これにより、試作兵器への無駄な集中を緩和できます」


山本は、頼の冷静な判断に満足そうに頷いた。


「よろしい。君は正しい結論ではなく、『否定できない資料』を積み重ねている。その規格統一の仕事は、将来、軍備拡大を食い止めるための鎖となるだろう」


山本の眼差しは鋭く、先を見据えていた。


「しかし、人事の件は慎重に進めろ。藤井は単なる汚職ではない。彼は『精神論偏重』という、海軍の病巣を体現する者たちの中心にいる。君の技術的な合理化を、彼らは『魂を欠いた冷たい計算』として潰しにかかるだろう」


山本は、人事異動で不当に冷遇された士官の一人の名を頼に伝えた。


「彼と接触せよ。君の同志となる可能性がある」


翌週、頼は藤井大佐が冷遇したとされる士官の一人、兵器開発畑の久保田少佐との接触を図った。


久保田は、革新的な技術提言をした直後に、艦政本部の隅にある、誰も気にかけない閑職へと追いやられていた。


頼は、「兵装統一案」に関する意見聴取という名目で、久保田の執務室を訪れた。


部屋は埃っぽく、久保田の疲弊した顔には、かつての情熱の残滓だけが残っていた。


「吾妻大尉。あなたが、この部屋を訪れるとは思わなかった」


久保田は自嘲気味に笑った。


頼は提言書を久保田に見せながら、静かに、そして真剣に語りかけた。


「久保田少佐。私は、あなたの過去の新型魚雷の技術提言を拝見しました。あの論理は正しかった。なぜ、それが却下されたのか、私には理解できません」


久保田の目が、一瞬、諦めを破って光を放った。


「私の提言は『技術偏重で、士気の向上を妨げる』と、却下されましたよ。藤井大佐にね」


頼は、久保田の目に宿る技術者としての誇りを見逃さなかった。


「私は今、海軍の合理化を進めています。しかし、それは正しい技術を守るためです。松原少佐のような不正な資金の流れと、藤井大佐のような不当な人事を、数字で封じ込めるために」


頼は、初めて自らの任務の一端を明かした。


久保田は驚き、やがて深く息を吸い込んだ。


「あなたも、その『病巣』に気づいていたのか」


「はい。そして技術を正しく評価し、海軍の進むべき道を示すためには、久保田少佐、あなたの協力が必要です」


孤独な闘いを始めた頼は、この冷遇された久保田少佐を、最初の「組織内の仲間」に引き入れた。


頼の闘いの舞台は、数字の要塞から、人脈のネットワークへと広がり始めていた。


久保田少佐と言う同志を得た頼は、組織内部の新たな視点と、兵器開発の専門知識を手に入れた。


二人は、頼の「艦艇兵装の規格化・合理化案」を最終的な武器へと磨き上げた。


それは単なる効率化の資料ではなく、巨悪が推進する非合理的な計画を、理詰めで打ち砕くための強力な武器だった。


久保田少佐は、閑職に追いやられていたが故に、かえって自由に動くことができた。


彼は、頼の持ち込んだ予算資料や人事記録に基づき、藤井大佐が推進する特定の艦艇設計案に、構造的な重大な欠陥があることを技術的に証明した。


「この設計では、予定の速力を出すために必要な燃料が、カタログ値の1.5倍になる。つまり、航続距離が致命的に短い」


久保田の技術的な論理を、頼は「諸外国との戦力比較」という政治的に中立な名目で上層部に提出した。


この資料は、「技術偏重」ではない「緊急の提言」として扱われた。


この二重の報告により、藤井大佐の推進する計画は、「実用性のない高額な拡大路線」として、予算委員会で再検討を余儀なくされた。


頼の緻密な数字は、精神論を唱える藤井大佐の権威を、静かに、しかし確実に切り崩し始めた。


藤井の計画に再検討の命が下った数日後の夜。


頼が久保田の執務室を訪れると、彼は薄暗い電灯の下で、古い図面を熱心に修正していた。


「吾妻大尉。……こんな時間に、何か御用でしょうか」


久保田は顔を上げ、眼鏡を指で直した。


その口調は丁寧だが、どこか頼を試すような響きがある。


「藤井大佐が、次の予算委員会で我々の提出したデータを逆手に取ろうとしています。……久保田少佐、私は、あなたに火中の栗を拾わせてしまったのかもしれない」


頼がそう告げると、久保田はペンを置き、静かに立ち上がった。彼は窓の外、夜の海軍省の静寂を見つめる。


「火中の栗、ですか。……私は、自分の技術的な正しさが、数字によって証明されることを長らく諦めていました。私を冷遇したのは藤井大佐ですが、彼に同調し、目をつぶった組織そのものに絶望していたのです」


久保田は振り返り、頼を真っ直ぐに見据えた。


「ですが、吾妻大尉。あなたが持ってきたあの合理化案は、私に一つの事実を思い出させてくれました。……感情や政治でどれほど塗りつぶそうと、鋼鉄の強度は変わらず、燃料の消費量は嘘をつかない。私たちが信じるべきは、その揺るぎない理屈だけなのだと」


久保田は、頼の前に歩み寄り、机の上の計算尺を指し示した。


「私への気遣いは無用です。私は、私自身の誇りのために、あなたの『計算』に加担しているに過ぎません。……これからも、私を存分に使いなさい。その代わり、吾妻大尉。あなたも、最後までその『理』を曲げないでいただきたい」


久保田は、握手の手を求めるのではなく、ただ短く一礼した。


それは、馴れ合いや、単なる安っぽい友情ではない、技術士官としての「一蓮托生の契約」であることを示していた。


頼は、その静かな言葉に、自分と同じ「孤独な戦士」の覚悟を感じ取った。


「……承知いたしました、久保田少佐」


初夏の熱い夜気の中、消えることのない同じ火種を絶やさないための、静かな連帯だった

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