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未来への頼み-アパートの鍵を握りしめたまま、オレは旧日本海軍士官になった-  作者: 山口灯睦
第5章 1930-

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擬態

松原少佐の件は、山本の指示通り、ひとまず凍結した。


頼は、連絡役から渡されたメモに記された次のターゲット、藤井大佐の名前に焦点を合わせた。


藤井大佐は、艦政本部ではなく軍務局に籍を置く人物で、士官の昇進と予算配分に大きな影響力を持つ、組織の権力構造に深く食い込んだ重要人物だった。


そこで頼は、前回とは違う切り口、「兵装技術の革新に伴う士官の再教育プログラムに関する提言」という、より海軍全体の将来に関わる名目で軍務局への意見聴取を申請すると言う方法を計画し、接触を試みた。


技術士官という立場を最大限に利用し、特定の部署へ不自然なく踏み込む偽装工作だった。


数日後、頼は軍務局の藤井大佐の執務室を訪れた。


松原少佐が剥き出しの敵意を隠さなかったのに対し、藤井大佐は表面上は非常に丁寧で紳士的だった。


柔和な物腰で頼の提言書を受け取り、組織の改革を歓迎する姿勢を見せる。


だが、その目は決して笑っていない。


「吾妻大尉。君のような優秀な若手が、組織をより良くしようと意見を出すことは素晴らしい。しかし、あまり前のめりになると、古参の者たちが面子を潰されたと、不必要な摩擦を生みかねない」


藤井は、改革を促す言葉の裏で、暗に頼を牽制していた。


頼は、この人物こそが、松原少佐のような汚職を可能にしているシステム側の黒幕に近い存在だと直感した。


頼が、技術革新の必要性を論理で応酬すると、藤井は一瞬だけ表情を硬くし、「技術偏重は、軍人としての精神を歪める」と、技術軽視の姿勢を明確に示した。


藤井との面談は、成果と警戒心、両方を頼に残した。


しかし、その会話の端々から過去の不自然な、特定の士官に対する、不当に冷遇する人事異動に関する手がかりを掴むことに成功した。


窓の外では恐慌に喘ぐ国民の悲鳴が聞こえるようだったが、海軍内部では依然として、現実を無視した巨額の設計案と、それに群がる利権が渦巻いている。頼はその非合理に、静かな怒りを覚えた。


そして頼は、組織の核心にある権力構造と、藤井の言葉の裏から、技術よりも政治的な面子と権威を重視すると言う、海軍を蝕む巨大な論理が隠されている事を、肌で感じ取った。


艦政本部に戻った頼は、直ちに「次期艦艇計画に伴う制度・補給研究」という名目で、技術的な合理化に着手した。


彼が取り組んだのは、艦種ごとにバラバラだった砲弾規格、魚雷部品、そして整備工具の「統一案」だった。


一見地味なこの作業は、現場の混乱を解消するものであり、「現場は助かる」「会計は喜ぶ」と組織内の多くの部門から歓迎された。


上層部も、頼を「優秀な実務家」として評価した。


しかし、頼の目的は、単なる効率化ではない。


規格を統一し、無駄な消耗と補給ルートを整理することは、無理な軍備の拡大を物理的に抑える理屈を、海軍内部に埋め込むことに他ならなかった。


彼の積み上げた数字は、軍令部が見ようとしていなかった「継戦能力の絶対的な壁」を、容赦なく可視化するものだった。


それは、もし一線を越えれば、どれほど精神力を説こうとも、物理的な飢えと渇きによって全ての作戦が強制停止する瞬間が必ず訪れることを予見していた。


そして頼は、松原少佐の件で掴んだ「不自然な予算」を静かに操作した。


しかし彼は不正を告発したり、松原を失脚させたりもしない。


が、ただ、予算の執行プロセスの中で、特定の企業に集中していた発注額の一部を「基礎的な強度研究」などの名目に付け替えて「別部署」へと静かに流した。


これは腐敗を潰すのではなく、その組織的な力を削ぐ行為だった。


結果は徐々に表れた。


「吾妻の案は、現場からの苦情が減った」「数字が、なぜか合うようになった」「前年より、予算の使い切りが減った」——。


派手な成果ではない。


だが、この静かな変化によって、特定企業への発注集中が緩和され、試作・研究費が「実用重視」へと移り始めた。


頼は、この技術的・官僚的な功績により、海軍省内で特別な存在となった。


「技術が分かる。現場のことも理解している。数字にも強い。なのに政治色が薄い」この稀有な特質が、頼を組織内の意見交換の「緩衝材」へと押し上げた。


「あの吾妻に聞いてみろ」


「彼を通せば角が立たない」と、誰もが頼を通すことで、面倒な派閥争いを避けた。


頼は、この緩衝材となることで、組織の深層に眠る情報と人間関係を、密かに把握していった。


神通での艦隊勤務から東京へ、そして艦政本部での新たな任務。


慣れぬ中央の政争と、膨大な数字の迷宮。その中でただ必死に、一筋の活路を見出すべく駆け抜けてきた頼は、季節が移り変わる余裕さえ忘れていた。


しかし、ふとした瞬間に官舎の庭先から梅の香が漂っていることに気づき、足が止まる。


頼が積み上げた地味な数字の山が、硬いつぼみを綻ばせるように、組織の歪みをわずかに、だが確実に矯正し始めていたのだ。


それは周囲には、頼はただの「資料屋」のように映っていた。


だが、彼の机上の資料は、補給線の脆弱性、石油・資源の前提、作戦可能期間の限界といったそれらを、数字で可視化していく作業にほかならなかった。 


頼は、藤井大佐から掴んだ人事の手がかりを、この「静かな合理化」という偽装工作の裏で、着実に検証し続けた。


官舎で待つ燈の温もりと、海軍省の冷たい論理の狭間で、頼の孤独な闘いは、組織の深層へと潜り込んでいった。


彼の次の標的は、この複雑に絡み合った金と人事の糸を、誰にも気づかれずに解きほぐすことだった。

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