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第二話 最強幼女、クレープを買いに行く



翌日。


「雅様、こちらを」


朝食を終え、ソファでくつろいでいた雅の前に、紫苑が一着の服を差し出した。


純白のワンピースだった。


「何?」


「本日のお召し物です」


「いつもの服でいい」


「いつもの服は、先日ダンジョンの魔力で汚れてしまいましたので」


「洗えばいいでしょう」


「洗っても落ちなかったんです」


「そう」


雅は特に興味を示すことなく、差し出されたワンピースを受け取った。


白い髪に、白い肌。そして白い服。


ただでさえ人目を引く容姿だというのに、これではさらに目立ってしまうだろう。


もっとも、本人にその自覚があるのかは怪しいところだった。


「紫苑」


「はい」


「私は目立つ?」


「非常に」


「じゃあ、変装する」


「そうしていただけると助かります」


紫苑は即答した。


数分後。


着替えを終えた雅が、紫苑の前に姿を現す。


黒いウィッグを被り、一般的な子供服に着替えた姿。


赤い瞳はそのままだが、帽子を深く被れば多少は誤魔化せる。


少なくとも、先ほどの純白のワンピースよりは目立たないはずだった。


「どう?」


「……雅様」


「何?」


「その格好は、逆に目立つと思います」


「どうして?」


「美少女だからです」


「そう」


雅は特に気にした様子もなく、姿見に映る自分を眺めた。


そこに映っているのは、どこにでもいるような幼い少女。


もちろん、外見だけならば、だが。


「まあ、いいでしょう。行きますよ」


「うん」


こうして、二人は屋敷を出た。


◆


「人間は相変わらず騒がしい」


街中を歩きながら、雅が呟いた。


平日の昼間だというのに、駅前には大勢の人間が行き交っている。


会社員、学生、買い物客。


誰もがそれぞれの目的を持ち、忙しそうに歩いていた。


「そうですか?」


「そう。何をそんなに急いでいるのか理解できない」


「皆さん、それぞれ生活がありますから」


「脆い生き物なのに」


「……雅様」


「何?」


「公共の場です」


「聞こえていないでしょう?」


「聞こえていなくてもです」


紫苑は苦笑した。


雅にとって、人間の営みは不思議なものらしい。


限られた時間の中で生き、限られた力しか持たず、それでも何かを成し遂げようと必死になっている。


そんな人間たちを、雅はどこか理解できないものとして眺めていた。


もっとも、だからといって積極的に干渉するつもりもない。


興味がない。


ただ、それだけだった。


二人が向かったのは、都内にある大型商業施設だった。


休日には多くの人で賑わう場所だが、平日の今日は比較的落ち着いている。


雅は紫苑に連れられ、いくつかの店を見て回った。


服屋。


雑貨屋。


書店。


どれも、雅にとっては特別珍しいものではない。


並んでいる商品も、店内に流れる音楽も、行き交う人間たちも。


特筆するほど興味を引かれるものはなかった。


「紫苑」


「はい」


「あれは何?」


ふと、雅が足を止めた。


その視線の先にあったのは、商業施設の一角に店を構えるクレープ屋だった。


色とりどりの果物やクリームが並び、店頭には美味しそうな写真が飾られている。


「クレープですね」


「食べたい」


「では、買いましょうか」


「うん」


紫苑が財布を取り出す。


そのときだった。


「きゃあああああっ!!」


突然、商業施設内に悲鳴が響き渡った。


続いて、何かが派手に壊れる音。


二人が視線を向けると、商業施設の入口付近で一人の男が暴れていた。


「どけぇ!! 邪魔だぁ!!」


男の手には、身の丈ほどもある巨大な斧。


その身体には赤黒い魔力がまとわりつき、周囲の空気を歪ませている。


明らかに普通の人間ではない。


「探索者……?」


紫苑が目を細めた。


男の魔力は相当なものだった。


おそらくB級以上。場合によってはA級に届く可能性もある。


しかし、現在の男からはまともな理性が感じられなかった。


魔力暴走。


探索者が自身の魔力を制御できなくなり、身体能力や攻撃能力だけが異常に増幅される現象だ。


「くそっ! 誰か協会に連絡しろ!」


警備員たちが叫んでいる。


しかし、男は彼らの制止など聞く耳を持たない。


斧を振り回し、周囲の人間を無差別に威嚇していた。


逃げ惑う人々。


倒れ込む警備員。


泣き叫ぶ子供。


商業施設内は、一瞬にして混乱に包まれた。


そんな光景を眺めながら、雅がぽつりと呟いた。


「……邪魔」


「雅様?」


「クレープが買えない」


「…………」


紫苑は一瞬、返答に困った。


どうやら雅にとって、目の前で起きている騒動よりも、目当てのクレープを購入できないことの方が重大らしい。


「雅様、少々お待ちください。私が対処します」


「そう」


紫苑は雅の前に立ち、騒ぎの中心へと歩き出した。


その表情からは、先ほどまでの柔らかな雰囲気が消えている。


一色紫苑。


彼女もまた、探索者として名の知れた実力者だった。


そして、目の前の男を制圧する程度ならば、さほど難しいことではない。


もっとも。


「どけぇぇぇぇ!!」


男は紫苑を敵と認識したらしい。


赤黒い魔力を膨れ上がらせ、巨大な斧を振り上げた。


「死ねぇ!!」


斧が振り下ろされる。


周囲から悲鳴が上がった。


しかし。


紫苑は動かなかった。


正確には、動く必要すらなかった。


斧が彼女に届く寸前。


男の身体が、唐突に地面へと叩きつけられた。


「――え?」


男の口から、間の抜けた声が漏れる。


何が起きたのか、理解できなかったのだろう。


自分の身体が、突然動かなくなった。


それどころか、全身に異常な圧力がかかっている。


「がっ……!?」


魔力を解放しようとしても、何も起きない。


先ほどまで荒れ狂っていた魔力が、まるで最初から存在しなかったかのように霧散していく。


男は必死に顔を上げようとした。


そして、見た。


少し離れた場所に立つ、一人の少女を。


黒い髪。


赤い瞳。


幼い顔立ち。


どこにでもいそうな、ごく普通の少女。


ただ、その少女は男を見下ろしていた。


まるで、道端に落ちているゴミでも眺めるような目で。


「うるさい」


少女の口から、平坦な声が漏れた。


「私の時間を邪魔しないで」


その瞬間。


男の身体が、さらに地面へと沈み込んだ。


床に亀裂が走る。


男の魔力は完全に押さえ込まれ、周囲に漂っていた赤黒い光も消え失せていた。


「雅様」


紫苑が声をかける。


「何?」


「それ以上は、建物が壊れます」


「……そう」


雅は興味を失ったように視線を外した。


それだけで、男にかかっていた圧力が消える。


男はそのまま意識を失った。


周囲は静まり返っていた。


あまりにも突然の出来事だったため、誰もが何が起きたのか理解できていない。


男が勝手に倒れたわけではない。


紫苑が何かをしたわけでもない。


ただ、あの少女が男を見た。


それだけにしか見えなかった。


「雅様」


「何?」


「クレープを買いに行きましょうか」


「うん」


紫苑は何事もなかったかのように踵を返した。


そして、先ほどまでと同じ穏やかな声で尋ねる。


「いちごとチョコ、どちらにしますか?」


「両方」


「承知しました」


◆


それから数分後。


雅は購入したクレープを手に、商業施設のベンチに腰掛けていた。


「おいしい」


一口食べた雅が、ぽつりと呟く。


「それはよかったです」


紫苑は隣で微笑んだ。


先ほどまでの騒動が嘘のような、穏やかな時間だった。


もっとも、商業施設の一角では警察と探索者協会の職員たちが慌ただしく動き回っている。


現場に到着した彼らが最初に目にしたのは、奇妙な光景だった。


暴走した高ランク探索者が、床に大きな亀裂を作った状態で気絶している。


その近くには、怯えた様子の一般人や警備員たち。


そして、少し離れたベンチでは、幼い少女がクレープを食べていた。


その隣には、一人の女性。


女性は協会職員の姿を確認すると、ゆっくりと立ち上がった。


「お騒がせしました。あとはよろしくお願いいたします」


「あ、あの!」


職員の一人が慌てて声をかける。


「今回の件について、詳しい事情をお聞きしたいのですが……」


「申し訳ありません。これから予定がありますので」


「しかし、現場にいらっしゃったのであれば――」


「では、失礼します」


柔らかな笑みを浮かべたまま、紫苑は雅の手を取った。


「雅様、行きましょう」


「うん」


二人はそのまま歩き去っていった。


職員たちは、しばらくその背中を見送ることしかできなかった。


◆


その後。


探索者協会の調査によって、現場にいた女性の身元が判明した。


一色紫苑。


国内でも名の知れた実力者であり、探索者としての実績も申し分ない人物。


そして、彼女が保護者を務める少女の名前は――一色雅。


しかし。


「……情報が少なすぎる」


協会本部。


調査資料を確認していた職員が、思わず呟いた。


一色雅。


戸籍上の情報こそ存在するものの、過去の経歴や能力に関する情報はほとんど確認できない。


探索者としての登録もない。


魔力測定の記録もない。


そもそも、今回の事件に関する映像を確認しても、少女が何らかの能力を使用したという明確な証拠は見つからなかった。


「一色紫苑の保護対象ということ以外、ほとんど分からないな」


「ですが、現場の証言は一致しています。男が倒れる直前、あの少女が何かを呟いていたと」


「能力を使用した可能性は?」


「否定できません」


「……調べておけ。あの女性が保護している以上、何かしらの理由があるはずだ」


職員は資料を閉じた。


この時点では、まだ誰も深刻には考えていなかった。


一人の高ランク探索者を制圧した少女。


その程度の認識だった。


彼らは知らない。


自分たちが調べようとしている少女が、現在の人類の尺度では到底測れない存在であることを。


◆


その頃。


帰り道。


「紫苑」


「はい」


「さっきの男、死んだ?」


「いえ。気絶しただけです」


「そう」


「殺したかったんですか?」


「別に。生きていても死んでいても、どちらでもいい」


雅は残っていたクレープを一口食べる。


「ただ、うるさかったから黙らせただけ」


「そうですか」


紫苑はそれ以上追及しなかった。


雅にとって、あの男の生死など本当にどうでもいいことなのだろう。


「紫苑」


「はい」


「明日もクレープを食べたい」


「……承知しました」


「今度は違う味」


「何味がよろしいですか?」


「考えておく」


「かしこまりました」


紫苑は空を見上げた。


青い空に、白い雲がゆっくりと流れている。


今日も平和だ。


少なくとも、雅様が機嫌を損ねなければ。


それだけで、世界は存外うまく回る。


もっとも。


紫苑自身も、まだ知らなかった。


探索者協会が、すでに一色雅という存在に興味を持ち始めていることを。


そして、協会の上層部が彼女の正体に近づこうとしたとき。


この国の主神が、久方ぶりに動くことになるということを。


――人間たちの知らないところで、世界の均衡は少しずつ揺らぎ始めていた。





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