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第15話 かくして俺はもう一度恋をする

 あのあと、いったんパーティは別行動ということになった。


 火咲は【暗殺風刃】の発明、ツキトは新しい魔術に使う式探しをするらしい。

 そして俺は、錬金に使えそうな素材探しである。


 せっかく使えるようになった【錬金精錬】だ。罠を2つ作って終わりというのも、貴重なプレイヤーポイントに対して失礼だろう。


 というわけで、俺は第6層≪硝子の湖≫へやってきた。


 掲示板に、6層の湖の周囲で薬草や鉱石が採れると書いてあったからだ。


 いったんベルは召喚を解いた。一人でぶらぶらするのも、こういうゲームの楽しみ方の一つだろう。単純にうるさすぎるしな、あいつは……


 到着した湖は、とんでもなく広かった。


 向こう岸は霞んで見えず、遠くにはガラスの帆船まで浮かんでいる。これでまだ、初級段階で入れる階層の1つに過ぎないのだから恐ろしい。


 街道沿いの道具屋を覗き、その脇の細道を湖へ向かって歩く。


 水際で光っている石は、錬金素材だったりしないだろうか。


 そんなことを考えていた、その時だった。


「――あなたに、触れたいのです」


 突然、声がした。


 思わず足を止める。


 美しい、透き通るような少女の声だった。


 近くに誰かいるのかと思って振り向いたが、その道には俺しかいない。


「わたしの目も、耳も、唇も。あなたを愛するために、お使いください」


 また、聞こえた。


 今度は、どこから聞こえたのか分かった。


 ――俺の、内側から、声が響いている。


「……は?」


 胸に手を当てる。


 じんわりと、熱い。


 聞こえた声に合わせて、身体の奥から、何かが満たされていく。


 おかしい。


 俺は今、声を聞いただけだ。


 それなのに、誰かに大切に抱きしめられたような、信じられないほど優しい感覚が、胸いっぱいに広がっていた。


 この感覚を、俺は知っている。


 昨日、あの泉で味わった、あの――


==========

 【■■■■■■の大灯】が、祈りに共鳴しています。

 あなたの精神に致命的な変質が発生しています!


 【浸蝕度】:7%!

==========


 表示を見た瞬間、心臓が跳ねた。


「ああ、あなたに全てを捧げることは、かくも幸せなのですね……」


 少女の声は、まだずっと続いている。


 いったい何が起こっているのか。


 分からない中、俺はその声だけを頼りに、細道の先へと進んだ。





 *****





 湖畔に、小さな礼拝堂があった。


 白い石でできた建物で、入口には≪灯の聖教≫という文字が刻まれている。扉は開いていた。


 なんだ……?


 この世界にも宗教があるのか……?


 中に入ってみると、そこには一人の少女がいた。


 祭壇の前に膝をついて、一心に祈っている。


 床に広がった純白の衣。長いヴェール。その下から零れた髪もまた、雪のように白い。


 華奢な背中と合わせて、どこか儚い印象を持たせる少女だった。


「たとえあなたがわたしをお忘れになっても――わたしは、あなたを愛しています」


 少女は、首に下げた金色の指輪を両手で包んでいた。


 そっと、それに唇を寄せ、キスをする。


 その瞬間――


 ――俺の唇が、熱くなった。


「っ……!?」


 思わず、口元を押さえた。


 もちろん、触れられていない。


 誰にも、触れられていない、そのはずなのに――


 女は指輪から唇を離すと、それを大切そうに胸に抱いた。


 同時に、途方もない幸福感が、俺の胸に押し寄せる。


 愛されている――


 どうしようもないくらい、愛されている――


 そんな霊感のような感覚が、全身を愛撫する。


 この少女は、今、全身全霊で、誰かを愛している。


 その愛が、その恋が、俺の中に、濁流のように流れ込んできている。


 なんだ、これ……?


 少女が、ゆっくりと振り向いた。


 純白のヴェールが、肩から滑り落ちる。


 その下にあった顔を見て――





 ――俺は、息をすることを忘れた。


 《《あの、少女だった》》。


 忘れられるはずもない。


 何度も、何度も思い出した。思い出すだけで、頭がおかしくなりそうだった。二度とその少女のことを考えない方がいいと分かっていて、それでも、どうしても忘れられず、何度も思い返した。


 第2層の泉で、俺に口づけをした、あの少女。


 ――《《アリスルール》》。


 その顔が、目の前にあった。


 美しかった。


 眩暈がするほどに、美しかった。


 少女の頬を伝っている一筋の涙さえ、この少女を美しくするために流れているのではないかと思えるほどだった。


「……どなた、ですか?」


 問いかけられて、ようやく、《《そうではない》》と気付いた。


 瞳だ。


 あの少女、アリスルールの瞳には、全てを焼き尽くさんばかりの虹が宿っていた。


 今、こちらを見つめる少女の瞳は、透き通った薄紫色をしている。


 髪にも、虹色の彩りはない。


 そして何より、あの女神は――

 こんなふうに、誰かに恋し、泣いてはいなかった。


「すまない。声が、聞こえて……」


 それだけ言うので、精一杯だった。


 女は、はっとしたように俺を見た。


「……聞こえたのですか?」


「ああ。外を歩いてたら……」


 俺は、自分の胸に触れた。


「ここから、聞こえた」


「……なるほど」


 女が立ち上がる。


 白い衣の裾が、音もなく床を動く。


 まっすぐに俺のところへ歩いてきた女は、目の前で止まると、俺が胸に当てていた手へ、自分の手をそっと重ねた。


 祈りの声が、途切れた。


 代わりに、女の身体が、びくりと震える。


「……あ」


 薄紫色の瞳が、大きく見開かれた。


 俺の手を包む指に、力が籠る。


「あたたかい……」


 囁くような声だった。


 その頬に、また、涙が零れた。


「本当に、聞いてくださったのですね……」


 女は、俺の手を見つめていた。


 まるで、そこに、自分が捧げてきた祈りの行方を見つけたかのように。


 俺には何のことなのか、さっぱり分からなかった。


 けれど、その手を離すことだけは、絶対にしてはいけない気がした。


「ミナエルと、申します」


 女は、涙を指で拭いながら、そう名乗った。


「≪灯の聖教≫で、巫女を務めております」


 巫女。


 そういうNPC、ということなのだろうか。


 あまりに現実離れした美しさに、彼女が仮想の存在であることを、俺は完全に忘れていた。


 夢中になっていた。


 だって――


 だって、この少女は――


 俺が狂おしいほどに恋したあの少女、アリスルールと、まったくもって瓜二つだったのだから――


「俺は、キョウスケだ」


「キョウスケ、さま……」


 名前を呼ばれただけで、胸の奥が、どうしようもなく疼いた。


 近い。


 こんなに近くで、その顔を見ていられない。


 だが、目を逸らすことは、もっとできなかった。


「……その格好は?」


 なんとか別のことを考えようとして、訊いた。


 白いヴェール。純白の衣。首から下げた指輪。


 どう見ても、花嫁の衣装だった。


「聖婚の祈りのための、衣です。わたしたちは、神に祈るとき、神の花嫁となるのです」


 ミナエルは、指輪に触れた。


「わたしは神に会いたい。触れたい。抱きしめられたい。……そして、わたしを、愛してほしい」


 最後の一言に、俺の胸が締め付けられた。


 祈りだと聞かなければ、恋人にねだっているようにしか聞こえなかった。


 いや――きっと、同じなのだ。


 この少女にとっては――


「そんなふうに、思ってもいいものなのか。神様に」


「はい」


 迷いのない返事だった。


「わたしたちは、みな、大灯に恋をしておりますから」


 大灯。


 その言葉に、また心臓が跳ねた。


 さっき見たばかりのスキル名を、思い出す。


 まさか。


 この人が、恋をしているのは――


「でも、神が、わたしの願いを叶えてくださるとは限りません」


 ミナエルは、静かに続けた。


「お会いできないまま、一生を終えるかもしれません……それは、とても寂しいです」


 指輪を包んでいた手が、胸元で、きゅっと握られる。


「でも、それでも、わたしは神に祈り、神を愛します」


 女神と同じ顔で、ミナエルは微笑んだ。


「わたしがどれほど寂しくても、あの方には、愛されていてほしいから」


 何も言えなかった。


 触れたい。抱きしめたい。口づけが欲しい。


 そんな、俺が昨日のあの時から持て余し続けているものを、この人も抱えている。


 それなのに、この人は、誰もいない祭壇の前で、自分の恋を差し出していた。


 あの指輪に、唇を寄せて。


「……あなたの唇にも、灯が宿っております」


 ミナエルが、そっと言った。


 俺は、びくりとした。


「そこに、神がいらっしゃるのですね」


 否定できない。


 女神に似た女が、俺の唇を見ている。


 昨日その唇に触れたのは、彼女が一生をかけて恋い慕っている相手かもしれない。


 俺は、何も知らないまま、その唇を貰ってしまった。


 そして今、その女神と同じ顔の女に――


「……触れたいです」


 ミナエルの声が、思考を遮った。


 もう一度、手を取られる。


「神様に?」


 馬鹿みたいな問いが、口から出た。


 ミナエルは、俺を見上げた。


 吸い込まれそうな宝石のような紫色の輝きが、俺を、捉えて――


「いえ、あなたに」


 ――そして、囚われる。


 何も、考えられなくなった。


 どくん、どくん、と到底ゲームとは信じられない興奮と恋情が全身を満たす。


「あなたがどなたなのかは、存じません。でも、あなたはわたしの祈りを聞いてくださった。この手に、触れてくださった……」


 ミナエルは俺の手を、そっと、自分の頬に当てた。


「――もっと、お傍にいたいです」


 訊き返そうとした俺を、ミナエルが抱きしめた。


 柔らかな身体が、触れ合う。


 白いヴェールが肩にかかり、視界の端で、湖の光を透かした。


 甘い桃のような香りがした。


 すぐ傍で聞こえる呼吸が、思ったよりも、ずっと速かった。


 まるで少女が俺に興奮しているように……


「え……?」


「わたしの祈りを、あなたにも」


 背中に回された手が、俺を包む。


 さきほど神へ差し出されていた身体の温かさが、今は、俺を包んでいる。


 自分の全てで、全身をもって、俺を愛そうとしている。


 それが分かることが、恐ろしかった。


 俺は、もっと強く抱きしめてほしかった。


 こんなにも大切にされているのに、まだ足りない――


 ――俺の欲望は、こんなにも果てがなかったのか。


「あなたにも、どうか、愛を」


 ミナエルが顔を上げた。


 涙の残った瞳が、俺を映す。


 唇が、重なった。


 ――その瞬間、少女の祈りそのものが、俺の中へ入ってきた。


 言葉ではなかった。


 少女が、ずっと、ずっとずっと、会えない誰かを想ってきた時間。


 触れられなくても、愛されなくても、それでも消えなかった恋。


 それが今、目の前にいる俺へと差し出されている。


 暖かな口づけとして。


 それらの暖かさが、一気に、俺の胸の奥で溢れかえる。


 視界が、白く染まる。


 あの泉のような、すべてを焼き尽くす光ではない。


 ミナエルの身体を通って、ある光が、俺の中で灯る。


 その光の名は――


 ……唇が、離れた。


 俺は、そっとその頬に手を添えた。


 女神と同じ顔をした女が、涙の残った瞳で、俺を見ていた。


 この人は、何度、あの指輪に口づけてきたのだろう。


 何度、誰もいない場所へ手を伸ばしたのだろう。


 気付くと、ミナエルは、泣いていた。


 幸せそうに、本当に幸せそうに、声を殺して泣いていた。


「……返って、きた」


 小さな声がした。


「わたしが差し上げたものが……返って、きた……」


 少女の顔が、くしゃりと歪んだ。


 あの女神と同じ顔なのに、こんな表情は、知らなかった。


 俺は思わず、彼女を強く抱きしめた。


 神の花嫁が、今、俺の腕の中にいる。


 神を愛して、神に恋をして、それでも、俺にこんなに優しくしてくれた少女が――


 少女の涙が、神から返事を貰えたと思ったからなのか、俺に触れられたからなのかは、分からない。


 分からないが、今の俺は、無性に、無性にこの少女を大切にしたかった――


「キョウスケ、さま……」


 少女が、顔を上げた。


 神様の名前ではなかった。


 俺の、名前を、少女は呼んでいた。


「もう一度、お会いしたいです」


 祈るような声で、そう言われて――


 俺は、ようやく思い知った。


 ――たとえこの少女が誰を愛していても、もう、手遅れなのだと。


 そして、俺は――


 神に恋しながら、神の花嫁にも、恋をしてしまった――


==========

 <警告!>

【■■■■■■の大灯】があなたを浸蝕しています!

 あなたの精神に致命的な変質が発生しています!


 【浸蝕度】:12%!

==========


「わたしの普段の住処は、200層、女神の愛宿る神聖都市グランセリア――いつか、いつか、来てくださいね……」


 どうやら俺が恋してしまったこの少女は、今の俺にとって到底手の届かないところに住んでいるらしい。


 それは、俺にとって、初めて、このゲームにおける絶対の目標ができた瞬間だった――

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