4話 なぜだ?
放課後。
教室には、まだ何人かの生徒が残っていた。
帰り支度をしていたセフィラの前へ、
一人の影が立つ。
「……セフィラ嬢」
顔を上げる。
レオルが、ひどく険しい目でこちらを見ていた。
「レオル様……?」
「……少し、よろしいですか」
その目には、明らかな怒りが滲んでいる。
「貴方、アリス様に何をしたんです?」
セフィラが目を見開く。
「な、何も……」
「では、なぜです?
今まで、アリス様が貴方と関わったことがありましたか?」
周囲の生徒たちも、
思わず視線を向けていた。
レオルの瞳には、
焦りにも似た感情が滲んでいる。
「純粋な彼女に、
何を吹き込んだんです?」
「男の姿にまでなるなんて……
洗脳でもしたんじゃないですか?」
「……っ」
その一言に、
シェルドの眉が動く。
いつものレオルなら、
せいぜい嫌味を言う程度だった。
だが今日は違う。
感情を、抑えきれていない。
セフィラの瞳が、一瞬揺れる。
「私は、何もしていません」
「……この期に及んで、まだ否定を?
誰が、そんな言葉を信じるんです」
教室が、しんと静まり返る。
セフィラの指先が、
わずかに強張った。
だが。
「……何を言われようと」
セフィラはレオルを見つめ返した。
「やっていないことを、
認めることはできません」
レオルの表情が歪む。
「貴方のせいで……
アリス様まで、おかしくなったんだ!」
「――やめてください」
低い声が、教室へ落ちた。
入口に、金髪の青年が立っている。
ピンク色の瞳が、まっすぐレオルを見据えていた。
「アリス様……!」
レオルの顔色が変わる。
アレスは教室へ入り、セフィラの隣へ立った。
「聖女が、洗脳なんてされるわけないでしょう?
私は正常です」
レオルが言葉を詰まらせる。
アレスはそのまま、ゆっくり教室を見渡した。
「……貴方達は、
自分に都合のいいものしか見ないんですね」
しん、と空気が静まり返る。
「あの婚約破棄の件もそうです。
実際に、セフィー様が私を閉じ込めた瞬間を見た人はいるんですか?」
誰も、口を開かない。
「助けようとしていた彼女を、
勝手に誤解しただけでは?」
その言葉は、
教室の空気を鋭く切り裂いた。
「……行きましょう、セフィー様」
アレスが手を差し出す。
「あ、アレス様……」
セフィラは戸惑いながらも、
そっとその手を取った。
アレスはわずかに目を細め、
そのまま教室を後にする。
一瞬、沈黙が落ちる。
「……レオル」
シェルドの鋭い視線が、
レオルを真っ直ぐ射抜く。
レオルの肩が、びくりと揺れた。
「今回の件は、公爵へ報告させてもらう。
何の根拠もなく、
私の婚約者を貶めることは許さない」
「で、殿下……
私は、ただ……」
「自分の発言には、責任を持て」
空気が凍りつく。
シェルドはそれだけ言うと、教室を後にした。
夕暮れの門前。
馬車を待ちながら、セフィラは俯いていた。
「……ごめんなさい」
ぽつり、と呟く。
「アレス様まで、
巻き込んでしまって……」
「何を言うんですか」
アレスが目を見開いた。
「セフィー様は、何も悪くありません。
どちらかといえば、貴方を巻き込んだのは私の方です」
「そんなこと……」
セフィラが、驚いたように顔を上げる。
「……庇っていただいて、
嬉しかったです」
その言葉に、アレスの瞳が揺れる。
夕暮れの光が、
金色の髪を淡く染めていた。
「……セフィ」
低い声が落ちた。
セフィラとアレスが、同時に振り返る。
銀髪のシェルドが、まっすぐこちらを見ていた。
「シェルド様……?」
セフィラが目を見開く。
シェルドは数歩近づくと、セフィラを見つめた。
「……すまなかった」
「え……?」
「私は、お前が気にしていないのだと思っていた。
多少の嫌味程度、お前なら鼻にもかけていないと」
紫の瞳が伏せられる。
「だが……今日、初めて分かった。
お前は、あんな理不尽なことを言われても……
ずっと、耐えていたんだな」
セフィラの瞳が、わずかに揺れた。
隣では、アレスがどこか得意げに口元を緩める。
「……今更気づいたんですか?」
勝ち誇ったような声音だった。
シェルドの眉が、ぴくりと動く。
ピンク色の瞳が、
まっすぐシェルドを見た。
「……貴方は、
セフィー様自身を、見ようともしなかっただけでしょう」
一瞬、空気がぴりりと張る。
だが。
「……ああ」
シェルドは、素直にそれを認めた。
言い返す言葉は、一つも浮かばなかった。
「婚約者として、無責任だった」
「そんなことありません!」
セフィラが、思わず声を上げる。
二人の視線が、一斉に向いた。
セフィラは少し困ったように眉を下げる。
「私……昔から、誤解されやすかったんです。
この黒髪と、吊り目のせいで」
「でも、シェルド様は……
私が何を言われていても、ずっと変わりませんでした」
碧の瞳が、まっすぐ向けられる。
「だから……大丈夫です」
そっと、微笑む。
その瞬間、
シェルドの胸の奥が、妙にざわついた。
その笑顔を、こんなにも近くに感じたのは初めてだった。
「…………」
言葉が、出ない。
夕暮れの風が、三人の間を抜けていく。
「セフィラお嬢様!」
ふいに、門の向こうから御者の声が響く。
侯爵家の馬車が到着していた。
「あ……」
セフィラが、そちらを振り返る。
「では……
お二人とも、失礼します」
ぺこりと頭を下げると、
セフィラは小走りで馬車へ向かっていった。
扉が閉まる。
馬車が、ゆっくり夕暮れの街へ走り出す。
残されたのは、
シェルドとアレスだけだった。
シェルドの銀色の髪が、夕風に揺れる。
「……レオルの言葉ではないが、
お前……急にセフィのそばへ寄るようになったな」
紫の瞳が、まっすぐアレスを射抜く。
「……なぜだ?」
一瞬、アレスの息が止まる。
そして、少しだけ躊躇ってから、口を開いた。
「私……思い出したんです。
あの、婚約破棄で」
静かな声だった。
シェルドが、わずかに眉を寄せる。
「セフィー様が、
理不尽を受け入れながら、
それでも前を向いていたことを」
ピンク色の瞳が伏せられる。
「闘病生活の中で……
私は、どれだけあの人に救われたか分かりません」
「闘病生活……?
聖女が、病にかかるのか?」
アレスは伏せていた視線を、
ゆっくり上げた。
どこか、
遠いものを見るような眼差しだった。
「気にしないでください。
……ずっと、昔の話です」
その声音には、
懐かしむような響きがあった。
――その時。
二人の背後。
夕闇の奥で、
黒い靄がゆらりと滲んでいた。
まるで、
誰かの負の感情に惹かれるように。




