2話 母上とくっついてください!
鏡の向こうで、銀髪の少年が泣きそうな顔をしていた。
シェルドは、しばらく無言だった。
「……どういうことだ」
低い声が落ちる。
「お前は、誰だ?」
『僕はセイルです!』
少年が、必死な顔で身を乗り出した。
『父上の未来の息子です!!』
信じ難い話だった。
だが、荒唐無稽だと切り捨てるには、少年の姿があまりにも現実味を帯びていた。
銀色の髪は、自分と同じ。
そして、吊り気味の碧の瞳は――セフィラによく似ていた。
きつく見えそうな顔立ちなのに、
今にも泣き出しそうで、そんな風には見えない。
(……何を分析しているんだ、私は)
頭痛を堪えるように、シェルドは眉間を押さえた。
その時。
『父上! 異常事態です!』
『僕の存在が、消えかかってます!』
「……なんだと?」
シェルドの眉が、ぴくりと動いた。
『本来の歴史なら、あの婚約破棄がきっかけで、父上と母上の距離が縮まるはずだったんです!』
『でも、未来が書き換わり始めて……!』
『あの聖女のせいです!』
「待て」
シェルドが、低く制止する。
「つまり、何が言いたい」
『だから!
あの人に、母上を取られないでください!!』
セイルが、半泣きのまま叫んだ。
「取られるも何も……
聖女は女だろう」
『だから、それは――』
セイルの身体が淡く光る。
『え!? もう時間!?』
その姿が、徐々に薄れていく。
消えかけた姿のまま、セイルは必死に叫んだ。
『父上!!絶対、母上を離さないでください!』
『また連絡します!!』
「おい――」
次の瞬間、鏡の光がふっと消えた。
静寂だけが残る。
シェルドは、しばらく無言のまま姿見を見つめていた。
***
翌朝。
鏡の前に、一人の青年が立っていた。
肩まで伸びた金髪。
整った顔立ち。
だが、その表情は完全に固まっている。
「……え、ほんとに成功した」
ぽつり、と言葉が漏れた。
***
セフィラは、学園へ続く石畳を歩いていた。
普段は馬車で通っている。
だが今日は、少し一人になりたかった。
昨日の騒ぎは、ひとまず収まっている。
けれど、
胸の奥は、まだ落ち着かなかった。
もし、アリスが止めてくれなかったら――
その時だった。
濡れた石畳に、足が滑る。
「危ない!」
気づけば、強い腕に抱き止められていた。
金色の髪が、さらりと揺れる。
目の前に、整った顔があった。
「……怪我はありませんか?」
低い声が、すぐ近くで落ちた。
ピンク色の瞳が、真っ直ぐこちらを見つめている。
「……っ」
胸が、大きく跳ねた。
「だ、大丈夫です……」
頬が、ほんのり熱くなる。
男性に、こんな近くで触れられたことはなかった。
「セフィラ」
その時。
門の方から、低い声が響いた。
はっと振り返る。
銀髪の王太子――シェルド・アークレインが、こちらを見ていた。
紫の瞳が、金髪を後ろに束ねた青年を真っ直ぐ捉えている。
「……お前、いつまで抱きしめているつもりだ。
彼女は――私の婚約者だ」
セフィラが目を見開く。
一方で、青年は動じなかった。
「昨日、セフィー様を助けられなかった人が、何を言ってるんです?」
むしろ、少しだけ笑う。
「貴方より、私の方が彼女に相応しい」
迷いのない声だった。
だが。
……どこかで。
シェルドが、わずかに眉を寄せる。
何かが引っかかった。
「……お前、誰だ?」
金髪の青年は、一瞬だけ目を丸くした。
それから、くすりと笑う。
「……アリスです」
「…………は?」
シェルドが固まる。
セフィラも、大きく目を見開いた。
言われてみれば、面影はある。
特に、あのピンク色の瞳。
青年――アリスは、口元へ指を添えた。
「男で“アリス”は、ちょっと変ですし」
少し考えるように首を傾げる。
「……アレスって呼んでください。
セフィー様」
柔らかく笑う。
そのまま、そっとセフィラの手を持ち上げた。
甲へ、軽く口づけが落ちる。
「……っ」
セフィラの頬が、一気に赤く染まった。
その光景を見つめながら。
理由は分からない。
でもシェルドの胸は、ひどくざわついていた。




