10話 あいつのせいだ
二人は並んで校舎へ入った。
朝の廊下は、いつも通り生徒たちで賑わっている。
だが、どこか空気が重い。
すれ違った男子生徒同士が、
軽く肩をぶつけ合っていた。
「おい、今のは――」
「そっちが避けろよ」
ぴり、と妙な空気が走る。
少し離れた場所では、
令嬢たちがひそひそと何かを囁いていた。
その視線が、一瞬だけセフィラへ向く。
シェルドの紫の瞳が、静かに細められた。
その時。
「あっ――」
廊下を歩いていた女子生徒が、
突然バランスを崩した。
抱えていた教科書とプリントが、
床へばさりと散らばる。
「きゃっ……!」
反射的に、セフィラが駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「え……?」
女子生徒が、きょとんとセフィラを見つめる。
すると、周囲から小さな舌打ちが聞こえた。
ざわざわと、不穏な声が広がっていく。
セフィラの表情が曇る。
胸の奥が、少しざわつく。
理由は分からない。
けれど、何かがおかしい。
プリントを集める手が止まる。
ふいに、ぐい、と後ろから腕を引かれる。
「……離れるな」
シェルドが、セフィラを自分の側へ引き寄せていた。
「シェルド様……?」
「行くぞ」
二人はそのまま歩き出した。
背後では、まだ小さなざわめきが続いている。
「…………」
シェルドの眉間に皺が寄る。
――やはり、
あいつの影響か。
昼休み。
窓の外では、柔らかな風が木々を揺らしていた。
シェルドは、当然のようにセフィラの隣へ座っている。
「……殿下。何故そこに?」
「席を変えてもらった」
「は?」
周囲が、ざわりとざわめいた。
未だに、セフィラは状況を理解できていない。
だが、教室の空気はどこか落ち着かない。
「だから、今のはそっちが――」
「……別に、そこまで言わなくてもいいだろ」
前方の席で、小さな言い争いが起きていた。
周囲の生徒たちも、
どこか苛立ったように視線を逸らしている。
セフィラはわずかに眉を寄せた。
その時。
「セフィ」
低い声が落ちる。
隣では、シェルドがまっすぐこちらを見ていた。
「顔色が悪い」
「え?」
セフィラが、ぱちりと目を瞬く。
「だ、大丈夫です」
「……無理をするな。
具合が悪いなら、保健室へ送る」
「そこまでじゃないです!
本当に、平気ですから……!」
すると、教室の後方で誰かが小さく舌打ちした。
「ちっ……」
一人の男子生徒が、苛立ったように机を蹴る。
「……何なんだよ、今日」
普段ならこんな態度を取る生徒ではない。
シェルドが、後方へ視線を向ける。
その足元で、一瞬だけ。
黒い靄のようなものが、ゆらりと揺れた気がした。
放課後。
結局、大きな騒ぎは起きなかった。
だが、シェルドは最後まで警戒を解かなかった。
「本当に、大丈夫です」
セフィラが困ったように笑う。
「馬車も来ますし……」
「何を言っている」
シェルドが眉を寄せた。
「こんな空気の中、放っておける訳がないだろう。
これからは、毎日送る」
「でも……」
「気にするな。婚約者として当然だ」
セフィラは思わず息を吐いた。
「……もう、慣れてきましたね」
そんな会話を交わしながら、
二人は教室を出る。
その背中を、教室の中から、じっと見つめる影があった。
「…………」
レオルの瞳が、暗く揺れる。
「あいつのせいだ……。
今日、アリス様が来られなかったのも……」
ぎり、と拳が強く握られる。
「あいつが、アリス様を惑わせたから……」
その苛立ちは、もう自分でも止められなかった。
次の瞬間、黒い靄が、ゆっくりとレオルの影へ溶け込んだ。




