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第4話 いつもどおりの木曜日。

翌朝、目を覚ますと同時に、十二億円のことを思い出した。

いや、思い出したというより、最初から頭の中にあった。

テーブルの上には、昨夜読んだ小冊子と、書きかけのノートが置いてある。

『その日から読む本』

表紙の題名を見て、昨日のことが夢ではなかったと、改めて思った。

銀行で確認してもらった。

当せん金を口座に入金してもらう手続きも済ませた。

当せん金支払証明書の発行も依頼した。

それでも、まだ現実感があるような、ないような、少しフワフワした不思議な気分だった。

「これが浮ついた、地に足がつかない、フワフワした気分なのか。」

一人で面白がった。

今日は木曜日。

整体院の営業日だ。

朝食をとり、いつもと同じ時間に身支度を始めた。

鏡に映った自分の顔を見た。

昨日までと、特に変わったところはない。

鏡の中の自分に、にっこり笑いかけ、

「普通にしていようね。」

と囁いた。

整体院に着くと、入口を開け、看板を出した。

室内の空気を入れ替え、ベッドやタオル、フェースシート、お客さんの荷物入れなどを順に整えていく。

いつもと同じ朝の準備だった。

1週間後には、銀行口座に十二億円が入ることになっている。

それだけが、まったくいつもと違っていた。

午前中、最初の予約客がやって来た。

長く通ってくれている常連の女性だった。

「先生、今日は何だか機嫌がいいですね。」

受付をしながら、いきなりそう言われた。

「えっ、そうですか。」

「ええ。いつもより、顔が明るいですよ。」

そんなに顔に出ているのか。

一瞬、どきりとした。

「昨日は休みだったので、少しゆっくりできたからでしょう。」

私はそう答えた。

嘘ではない。

喫茶店にも寄ったし、家でゆっくりとお茶を飲んだ。その夜は、ゆっくり眠れた。

午前中は緊張して疲れた。

午後はゆっくりできたように思えたが、言葉に出さずに考え事をするのにも、少しは疲れたかもしれない。

それでも、なぜか今朝は元気で、明るい気分だった。

施術を始めると、自然に仕事へ集中していった。

身体の状態を確認し、話を聞きながら、いつものように手を動かす。

しばらくすると、十二億円のことは考えなくなっていた。

施術が終わると、女性は身体を動かしながら言った。

「楽になりました。また来ますね。」

「はい。無理をしないようにしてください。」

女性を見送ってから、私はベッドを整えた。

もう、働かなくても生活には困らない。だが、大金が入ることになったからといって、この仕事を辞める気持ちはまったくない。

大学に通いながら専門学校にも通い、整体の資格を取った。

大学卒業後は就職し、結婚し、妻と死別し、一人で子供を育てた。

今思えば、必死に、一生懸命にサラリーマンをやってきた。

誰も褒めてくれないから、自分で褒めてあげる。

「うん、偉いぞ、君は。」

こういうのを、インナーチャイルドというんだっけ。違ったかな。

最近は、いちいち確認もしなくなった。言葉は正確に使わないといけないんだけど。

また脱線した。

オジさんは、すぐに脱線する。

でも、戻ってこられるから、俺は偉い。

さて、整体の仕事をするという夢を諦めたのではなかった。

心の隅にしまっていた夢を、定年になって、ようやく実現したのだ。

まあ、確かに、整体院の経営が順調だとはいえない。

予約がほとんど入らない日もある。

それでも、来てくれた人から「楽になった」と言われるとうれしかった。

いろいろな理由で続けられなくなるまでは、頑張っていこうと思う。

午前中の予約が終わり、昼休みになった。

私は弁当を食べたあと、昨夜のノートを取り出した。

ノートを開くと、最後に書いた二つの文章が目に入った。

――しばらく、何も急いで決めないこと。

――しばらくは、いろんな思い付きを、小さくまとめることなく書き連ねていき、あとで調べて、まとめていく。

新しいページを開き、思いつくままに書き始めた。

子供たちに話す。

お金を安全に置く方法を調べる。

税金について調べる。

信頼できる専門家を探す。

マンション。

投資。

家族旅行。

健康のために使うお金。

神社への寄進。

整体院をどうするか。

会社を作る?

思いついた順に書いていくと、ページはすぐに埋まった。

見事なくらい、順番も何もない。

マンションの次が投資で、その次が家族旅行。そのあとに健康、神社、整体院の今後と続いている。

「脈絡がないけど、まあ、今はこれでいいか。」

まだ、まとめる必要はない。

それぞれについて調べてから、あとで考えればいい。

ただ、この中で最初にしなければならないことは、もう分かっていた。

子供たちに話す。

私は、その言葉を丸で囲んで、文頭に①と書き込んだ。

当せんしたことは、まだ誰にも話していない。

だが、娘と息子には話しておきたい。

妻が亡くなったあと、三人で暮らしてきた。

今は二人とも成人して働いている。

一緒に住んではいるが、それぞれ自分の収入で生活している。そういう意味では、二人とも一応、自立している。

一緒に生活しているかぎり、私が十二億円という大金を持っていることは、いずれバレるだろう。

たぶん。

他人にバレないようにするには、家族の協力が必要になる。

何より、このお金を家族に使わずして、誰に使うのかと思う。

ただ、電話やメッセージで話すようなことではない。

今晩、二人に話そう。

いや、まだ早いかな。どうしよう。

そうだな。今度の休みに、ゆっくり話をしよう。

美味しいものでも一緒に食べに行って、そのあとでサプライズだ。

うん、それでいこう。

決まると、少しホッとした。

午後の予約も、いつもどおりに終わった。

最後の客を見送り、室内を片づけた。

売上だけを考えれば、よい一日ではなかった。

それでも、今日は整体院を開けてよかったと思った。

仕事をしている間の私は、昨日までの私と変わらなかったから。

入口の看板を中に入れ、戸締まりをした。

車に乗ってから、スマートフォンを取り出した。

娘と息子も入っている家族のグループトーク画面を開いた。

少し考えてから、文章を入力した。

『今度の休みに、三人で外で食事をしよう。話しておきたいこともあるし。』

読み返してから、送信した。

しばらくすると、娘から返信が来た。

『何かあったの?』

続いて、息子からも届いた。

『俺は大丈夫だけど。何の話?』

やはり、心配させたらしい。

いい話だとは思わないらしい。

だからといって、ここに「宝くじで十二億円が当たった」と書くわけにはいかない。

そう考えると、思わず笑いそうになった。

私は、二人に同じ返信を送った。

『心配するようなことじゃない。どちらかというと、いい話。食事のときに話すから。』

送信してから、もう一度読み返した。

これでは、かえって気になるかもしれない。

「まあ、いいではないか。フフフ。」

スマートフォンを鞄に入れ、車のエンジンをかけた。

子供たちにどう話そうか。

どこまで話そうか。

そんなことを考えながら、家へ向かった。


この表題をつけた時、浜田省吾にこんな曲なかったかなと思って検索したんだけど、「もう一つの土曜日」でした。曜日さえもかぶっておらず、一人で笑ってしまいました。

オジさんで、わかってくれる方いらっしゃいますか?いらっしゃらないですよね。

林家三平ではないけど、「どうも、すみません。」です。

本作品は、「カクヨム」にも掲載しています。


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