「夏の影」
「何か怖い体験とかしたことないの?」
友人のMさんにそう尋ねると、彼女は少し考えてから答えた。
「幽霊とか全く信じてないんだけどさ。一回だけ、変な経験をしたことがあるよ」
高校時代、猛暑の中で部活の練習中、友人二人と並んでグラウンドを走っていたときのことだという。
ジリジリと照りつける太陽のもと、ふと足元に目をやると、自分と右側の友人の影はハッキリと前方に伸びていた。
ところが、真ん中を走る友人の影だけが見当たらない。
(えっ……なんで?)
不審に思ってよく観察すると、その友人だけ、影が真後ろに向かって伸びていた。
同じ太陽の下にいるはずなのに、一人だけ影の向きが完全に逆転しているのだ。
「見て! 影!」
指を差して声をかけると、走っていた二人は「なに?」と首を傾げた。
影を見るよう促すと、当の友人は「なんでー?」と面白がり、くるくるとその場で動き回った。
だが、彼女がいくら向きを変えても、影だけは頑なに反対方向へ伸び続けていたという。
その異様な光景に立ち尽くしていると、遠くから先輩の怒鳴り声が響いた。
「何サボってんの! ちゃんと走りなさい!」
「違います、影が……!」
慌てて足元を指し示したが、再び目を落としたときには友人の影は前に戻っており、二人と同じ方向へ伸びていた。
結局、「暑さで熱中症でも起こしかけて、ぼーっとしてたんだろう」ということになり、その日は三人で練習を免除されて「ラッキーだった」とMさんは笑う。
「不思議な経験って、本当にそれ一回きりなんだよね」
「いや、そんな体験一回で十分でしょ」
横で話を聞いていた別の友人が即座に突っ込み、自分も心の中で深く同意したのだった。




