『観測者』
奈々の手から受け取ったスマホは、妙に軽かった。
だが、その向こうにいる存在は――重い。
「……久しぶりだな」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。
あの日の恐怖は、確かにあった。
だが今は、それとは違う何かが胸の奥にある。
理解してしまった側の、静けさ。
『ああ』
男の声は、相変わらず平坦だった。
『久しぶりだ、桐生』
その一言で、確信が強まる。
こいつは、覚えている。
あの日のすべてを。
自分の“選択”を。
『いい顔になったな』
「……見えてるのか?」
『当然だろ』
短い返答。
奈々が、小さく震える。
周囲は変わらず雑踏に包まれているのに、この一点だけが異様に浮いている。
『前と同じだ』
男が続ける。
『お前は今、舞台の上にいる』
「……で?」
徹は視線を上げる。
ビルの屋上。
看板の影。
ガラスの反射。
だが、見つかるはずがない。
「今回は何をさせる?」
奈々が、はっと顔を上げる。
「てつさん……やめて……」
その声に、わずかに目を向ける。
涙でぐしゃぐしゃの顔。
震える肩。
――少し前までの自分。
だが、もう違う。
『いいな』
男が、くぐもった笑いを漏らす。
『順応が早い』
一拍。
『今回のルールは簡単だ』
嫌な予感は、もう恐怖じゃない。
ただの“予測”だ。
『お前は今から、“観測者”になる』
「観測者……?」
『ああ』
男の声が、わずかに弾む。
『選ぶ側じゃない。見る側だ』
意味が分からない。
だが、次の瞬間。
奈々のスマホが、再び震えた。
別の着信。
画面には――非通知。
「……え?」
奈々の呼吸が止まる。
『出ろ』
男が命じる。
『スピーカーでな』
奈々が、震える手で通話を取る。
「……もしもし……?」
次の瞬間。
別の声が流れた。
『動くな』
同じ言葉。
同じトーン。
だが――
違う。
微妙に。
わずかに。
“温度”が違う。
徹は、目を細めた。
『今から、お前は質問に答える』
奈々の体が、小さく揺れる。
「……いや……」
『嘘をついたら、撃つ』
その瞬間。
徹は理解した。
これは――
同じゲーム。
だが。
“別のプレイヤー”。
『桐生』
耳元で、元の男が囁く。
『よく見ておけ』
背筋に、冷たいものが走る。
『これが、“もう一人のお前”だ』
「……は?」
奈々の通話が続く。
『そいつとの関係を言え』
「……つ、付き合ってます……」
震える声。
嘘じゃない。
だが。
徹は、気づく。
あの日と同じだ。
同じ質問。
同じ構造。
『いい』
別の男が言う。
『次だ』
そして。
元の男が、低く笑う。
『分かるか?』
「……何がだ」
『お前はもう、“そっち側”じゃない』
一瞬、理解が遅れる。
だが。
次の言葉で、完全に腑に落ちた。
『こっちだ』
呼吸が、止まる。
「……は」
笑いそうになる。
いや。
もう、笑っていた。
「なるほどな」
視線を奈々に戻す。
怯えている。
壊れかけている。
あの日の、自分と同じ顔。
『どうだ?』
男が問う。
『何を感じる?』
少しだけ考える。
だが、答えはすぐに出た。
「……何も」
静かに言う。
「何も感じないな」
奈々の顔が、さらに歪む。
「てつさん……?」
助けを求める目。
だが。
徹は、もう動かない。
助ける理由が、ない。
『いい』
男が、満足げに呟く。
『それでいい』
一拍。
『次は、お前の番だ』
「……何をする」
『簡単だ』
男の声が、低くなる。
『“評価”しろ』
奈々の通話が続く中で。
徹の役割が、変わる。
『こいつの“声”が、本物かどうか』
ぞくり、とする。
それは。
あの日、自分がされたこと。
「……不合格なら?」
あえて聞く。
答えは分かっている。
『撃つ』
即答。
迷いも、感情もない。
『だが』
一拍。
『判断するのは、お前だ』
沈黙。
奈々の声が震える。
嘘と本音の間で揺れている。
徹は、それを見て――
初めて、はっきりと理解した。
これは。
“選別”だ。
人間を。
声で。
ふるいにかける。
そして、自分は――
その側に、立っている。
第7話『選別者』
奈々の声が、震えていた。
「……いない……他には……」
かすれた否定。
だが、その一瞬の間。
視線の揺れ。
呼吸の乱れ。
徹には、分かる。
――嘘だ。
『どう思う?』
男の声が、耳元に落ちる。
試すように。
誘導するように。
だが。
徹は、迷わなかった。
「……嘘だな」
奈々の体が、びくりと跳ねる。
「ち、違う……!」
すぐに否定する。
だが遅い。
もう、遅い。
『理由は?』
男が問う。
興味深そうに。
楽しむように。
「間があった」
淡々と答える。
「あと、目だな。逸らした」
奈々が、完全に崩れる。
「やめて……お願い……」
涙が、止まらない。
だが。
徹は止まらない。
「それに」
一拍。
「俺のことも、隠してたろ」
奈々の顔が、凍る。
図星。
それが分かる。
『……いいな』
男が、低く笑う。
『よく見ている』
評価される。
それが、妙に心地いい。
あの日とは、逆だ。
完全に。
『では』
一拍。
静寂。
『不合格だな』
引き金の気配。
「やめて!!」
奈々が叫ぶ。
だが。
徹は、動かない。
ただ、見ている。
その瞬間。
時間が、伸びる。
音が、消える。
そして――
パシィッ――!!
乾いた音。
奈々の体が、後ろに揺れる。
倒れない。
だが。
肩から、血が噴き出した。
「……あ……?」
遅れて、悲鳴。
膝が崩れる。
『……半分だ』
男が言う。
『まだ生きてる』
徹の目が、わずかに細くなる。
『最初はな』
一拍。
『殺さない』
「……なんでだ」
自然に、口が動く。
『簡単だ』
男の声が、楽しげに歪む。
『続けたいだろ?』
心臓が、強く打つ。
否定できない。
『完全に壊れるまでが、本番だ』
奈々が、地面に崩れ落ちる。
血が、広がる。
周囲が、ようやく異変に気づき始める。
ざわめき。
悲鳴。
だが、遅い。
すべてが、遅い。
『桐生』
男が、静かに呼ぶ。
『どうだ?』
一瞬だけ、考える。
だが。
答えは、もう決まっていた。
「……悪くない」
正直な感想。
それ以上でも、それ以下でもない。
『だろうな』
満足げな声。
『お前は、そういう人間だ』
否定しない。
する意味もない。
『だから選んだ』
その一言に、引っかかる。
「……最初からか?」
『ああ』
即答。
『最初から、お前だけだ』
背筋が、ぞくりと震える。
偶然じゃない。
無差別でもない。
最初から――
“狙われていた”。
『次で、分かる』
一拍。
『なぜお前なのか』
通話の向こうで、何かが動く気配。
新しい準備。
次の舞台。
『また連絡する』
いつもの言葉。
だが、今回は違う。
確実に、“先”がある。
通話が切れる。
現実が、一気に戻る。
悲鳴。
足音。
誰かが叫んでいる。
「救急車!」「血が……!」
奈々が、倒れている。
意識はある。
だが、遠い。
徹は、それを見下ろす。
そして。
ゆっくりと、スマホをポケットに戻した。
「……なるほどな」
小さく呟く。
理解した。
少なくとも、一つは。
これは。
ただの殺人じゃない。
これは――
“選別”だ。
そして自分は。
選ばれた側。
残す側。
その事実が。
妙に、しっくりきていた。
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