『選別』
「……俺は」
徹の声は、異様に静かだった。
美咲が震えている。
だが、もうその震えすら――どうでもよくなっていた。
『どっちだ』
男が促す。
短く。
逃げ場を塞ぐように。
赤い点が、徹の額と美咲の胸を、ゆっくりと往復する。
生と死が、目に見える形で揺れている。
「……簡単だな」
徹は、ぽつりと呟いた。
美咲が、はっと顔を上げる。
「え……?」
「選ぶ必要、ないだろ」
その一言で。
空気が、凍った。
『……ほう?』
男が、興味を示す。
ほんの少しだけ。
「どうせ撃つんだろ?」
徹は、笑った。
さっきまでの緊張が、嘘みたいに消えている。
「だったらさ」
一歩、前に出る。
美咲との距離を――自分から詰める。
「近くで見た方が、面白いんじゃないか?」
「……徹さん?」
理解が追いつかない顔。
当然だ。
徹自身も、少し前まで分かっていなかった。
だが今は、はっきりしている。
――どうでもいい。
本当に。
何もかも。
「ほら」
手を伸ばす。
美咲の肩を、掴む。
「やめて……何してるの……」
「動くな」
低く言う。
さっきの男と同じ声で。
美咲が、固まる。
その体を。
ゆっくりと――
自分の前に引き寄せる。
盾のように。
重ねるように。
赤い点が、二人の体をまたぐ。
心臓の位置が、重なる。
『……なるほど』
男の声が、わずかに弾む。
『そう来たか』
「どっちに当たるか」
徹は言う。
「運だな」
美咲の息が、完全に止まる。
「……うそ……でしょ……?」
「安心しろよ」
耳元で囁く。
「一瞬だ」
自分でも驚くほど、優しい声だった。
「なあ」
視線を上げる。
見えないはずの“相手”を、確かに見据える。
「これでどうだ?」
笑う。
はっきりと。
「満足か?」
数秒の沈黙。
その間に。
美咲の涙が、頬を伝って落ちる。
服に染み込む。
それすら、感じていない。
『……いい』
男が、ゆっくりと言った。
『いいな、それは』
興奮している。
明らかに。
『自分が助かるかもしれない位置にいながら、完全に他人を巻き込む』
一拍。
『最高だ』
その言葉と同時に。
引き金の気配が、空気を裂いた。
――撃たれる。
そう確信した瞬間。
徹は、ほんのわずかだけ――
体を、ズラした。
意図的に。
ほんの数センチ。
だが、確実に。
美咲の方へ。
パシィッ――!!
乾いた音。
衝撃。
温かい何かが、頬にかかる。
「……あ」
声が、漏れた。
美咲の体が、崩れる。
腕の中から、力が抜ける。
スローモーションみたいに。
地面へ。
落ちる。
胸の中心。
赤い染みが、広がっていく。
「……ああ」
徹は、見下ろした。
ただ、それだけ。
何も感じない。
何も、浮かばない。
ただ一つ。
確かなことがある。
――自分は、生きている。
『……完璧だ』
男の声が、震えていた。
喜びで。
『今の、見えたぞ』
心臓が、ゆっくりと動く。
『最後、動いたな』
否定しない。
する必要もない。
「……ああ」
小さく答える。
「動いた」
『最高だ』
笑い声。
抑えきれない歓喜。
『お前、最高だよ』
街のざわめきが、一気に戻る。
誰かの悲鳴。
ようやく、周囲が気づき始める。
遅すぎる。
『合格どころじゃない』
一拍。
『“当たり”だ』
通話の向こうで、何かが弾ける音。
興奮している。
本気で。
『次が楽しみだ』
徹は、動かない。
逃げない。
ただ、立っている。
血の匂いの中で。
『また連絡する』
「……ああ」
それだけ、答えた。
通話が切れる。
静寂。
いや。
もう静かじゃない。
悲鳴と、混乱と、ざわめき。
だが。
徹の中だけが、異様に静かだった。
足元。
美咲の目が、開いたまま止まっている。
何かを言いたげに。
だが、もう何も言わない。
「……そうか」
徹は、呟いた。
「こういうことか」
ポケットの中で、スマホが震える。
取り出す。
新着メッセージ。
非通知。
開く。
『次は、お前の“仕事”だ』
その一文を見て。
徹は――
初めて、笑った。
ほんの少しだけ。




