『本当の声』
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時間が、削れていく。
美咲の呼吸が荒い。
妻の無言が、スピーカー越しに重くのしかかる。
そして、あの男は何も言わない。
待っている。
“声”を。
「……俺は」
徹の喉が、ようやく動いた。
「俺は……最低な人間だ」
美咲が息を呑む。
妻は、何も言わない。
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「……浮気は、初めてじゃない」
ざわめきが、遠くで揺れる。
だがこの場所だけ、時間が濃く淀んでいる。
「三人……いや、もっとだな」
「……え?」
美咲の声が、崩れる。
「お前だけじゃない。誰にも本気じゃなかった」
「やめて……」
首を振る。
だが、止まらない。
止められない。
「楽だったんだよ。バレなきゃいいって思ってた。家庭も、仕事も、全部」
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妻が、静かに言った。
『……それが、本音?』
その一言で、何かが切れた。
「違うな」
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カウントが、止まった。
だが――撃たれない。
赤い点も、動かない。
徹は、ゆっくりと息を吐いた。
「それは“言い訳”だ」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「本当はな……」
目の前の美咲を見る。
震えている。
崩れそうな顔で、こちらを見ている。
スマホの向こうには、妻がいる。
帰る場所。
守るべきもの。
――だったはずの場所。
「俺は」
言葉が、はっきりと落ちる。
「誰のことも、どうでもいい」
沈黙。
街の音が、一瞬だけ遠のいた気がした。
「家庭も、お前も、全部だ」
美咲の目が見開かれる。
涙が、ゆっくりと零れた。
『……徹』
妻の声が、低くなる。
「俺はな」
徹は続ける。
「“失いたくない”って思ったことがないんだよ」
自分で言って、理解した。
これが――本音だと。
「バレたら終わるなって思うだけで、守りたいとか、愛してるとか、そういうのは……一回もなかった」
美咲が、かすれた声で言う。
「嘘、だよね……?」
徹は、首を横に振った。
「いや」
はっきりと。
「これが本当だ」
スピーカーの向こうで、何かが落ちる音がした。
妻だろう。
何かを、取り落とした。
その音だけで、十分だった。
『……そう』
短い声。
それ以上、何も言わない。
通話は、切れない。
ただ、そこにいる。
聞いている。
終わりを。
美咲の手が、離れた。
一歩、後ずさる。
「……最低」
小さく、呟く。
「本当に……最低」
だが。
徹の胸は、不思議と軽かった。
初めて、何も隠していない。
何も取り繕っていない。
ただ、言っただけだ。
自分を。
その時。
『……いいな』
男の声が、戻ってきた。
ぞくり、と背筋が震える。
『今のは、良かった』
楽しげだ。
本当に、楽しそうに笑っている。
『やっぱりな。人間は追い詰めないと、本当の声を出さない』
赤い点が、ゆっくりと動く。
美咲の胸から、離れ。
再び――徹の額へ。
「……終わりか?」
徹が言う。
妙に落ち着いていた。
『いや』
男が答える。
『ここからが、本番だ』
嫌な予感が、全身を走る。
『テストは合格だ』
一拍。
『だから――選ばせてやる』
「……何を」
『簡単だ』
男の声が、わずかに歪む。
『どっちを、撃つ?』
心臓が、止まる。
『お前か』
赤い点が、額で揺れる。
『それとも――』
ゆっくりと、横に滑る。
美咲の胸へ。
『この女か』
「……は?」
『一発で終わる。楽な方を選べ』
静かな声。
だが、その奥に狂気がある。
『十秒やる』
カウントが、再び始まる。
『十』
ありえない。
『九』
ふざけている。
『八』
だが、撃たれる。
それは分かる。
『七』
「待て……」
声が漏れる。
『六』
選べと?
自分か、他人か。
『五』
そんなの――
『四』
決まってるはずだ。
普通なら。
『三』
だが。
徹は、気づいていた。
さっきの“声”を聞かれている。
『二』
これは。
ただの選択じゃない。
『一』
試されている。
――“本当の人間”を。
「……俺は」
徹が、口を開く。
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