『監視』
取調室の空気は、乾いていた。
白い壁。無機質な机。
正面には、見慣れた刑事が座っている。
「……桐生徹」
低い声。
「今回の件、どう説明する?」
机の上には写真が並んでいる。
血。
倒れた男。
林一男。
目の前で撃たれた、刑事。
徹は、その写真を見下ろした。
「……何度も言ってるだろ」
視線を上げる。
「俺は何もしてない」
「だが、現場にいた」
「偶然だ」
「前回も、前々回もか?」
言葉が詰まる。
だが、すぐに吐き出す。
「……知らねえよ」
刑事の目が細くなる。
「知らない、で済むと思ってるのか?」
沈黙。
時計の音だけが響く。
コツ、コツ、と。
時間が削られていく。
「……あんたらだって、分かってるだろ」
徹が言う。
「俺じゃないって」
刑事は、すぐには答えない。
数秒の間。
じっと、徹を見ている。
「……分かっている」
低く、吐き出すように。
「だがな」
一拍。
「“関係がある”ことも、分かっている」
空気が、わずかに張り詰める。
「お前は、あの事件に“巻き込まれている”んじゃない」
視線が突き刺さる。
「“関わっている”」
徹は、何も言わない。
言えない。
言葉にすれば、何かが壊れる。
「……今日はここまでだ」
刑事が椅子を引く。
「だが、まだ終わりじゃない。連絡は取れるようにしておけ」
「……分かってる」
徹も立ち上がる。
扉が開く。
外の空気が、やけに軽い。
――だが。
自由じゃない。
分かっている。
監視されている。
常に。
どこでも。
背中に、視線を感じる。
駅。
コンビニ。
交差点。
どこに行っても、同じだ。
警察。
尾行。
監視。
「……チッ」
小さく舌打ちする。
だが、それすら見られている気がする。
夜。
アパートの一室。
明かりはつけていない。
ソファに座り、スマホを見つめる。
静かすぎる。
何も起きない。
何も――
起きない。
「……」
指が、無意識に動く。
着信履歴。
非通知からの着信履歴はない。
だが。
期待している自分がいる。
鳴ることを。
また、始まることを。
「……は」
小さく笑う。
自分でも分かる。
おかしい。
完全に。
だが。
止まらない。
あの瞬間。
あの“感覚”。
選ぶ側。
見る側。
裁く側。
――あれが、忘れられない。
その時。
――ブブッ。
スマホが震えた。
心臓が、跳ねる。
即座に画面を見る。
非通知。
口元が、わずかに歪む。
「……遅えよ」
通話を取る。
耳に当てる。
「待ってたぞ」
自分でも驚くほど、自然な声だった。
一瞬の沈黙。
そして。
『……やっぱりな』
あの声。
低く、平坦で。
だが、どこか楽しげな。
『いい顔になった』
「監視されてるぞ」
徹は言う。
「警察が張り付いてる」
『知ってる』
即答。
迷いがない。
『鬱陶しいな』
ほんの少しだけ、苛立ちが混じる。
『余計な目が増えると、つまらない』
「じゃあ、やめるか?」
試すように言う。
だが。
すぐに否定される。
『いや』
一拍。
『やる』
迷いはない。
『むしろ、いい』
ぞくり、とする。
『観客が増える』
背筋が冷える。
「……狂ってるな」
『今さらだろ』
軽い調子。
『お前も』
否定できない。
する気もない。
「で?」
ソファにもたれかかる。
「今回は何だ」
静かな部屋。
外の音は遠い。
完全に、切り離されている。
『簡単だ』
男が言う。
『お前の“近く”だ』
眉が、わずかに動く。
「……何?」
『安心しろ』
一拍。
『今回は、逃げられない』
意味が分からない。
だが。
次の瞬間。
――コンコン。
部屋のドアが、ノックされた。
体が、固まる。
ゆっくりと視線を向ける。
こんな時間に?
「……誰だ」
声をかける。
返事はない。
ただ。
もう一度。
コンコン。
ノック。
『開けろ』
耳元で、男が囁く。
心臓が、強く打つ。
「……警察かもしれないぞ」
『違う』
即答。
『開けろ』
短い命令。
徹は、数秒だけ迷う。
だが。
足が動いた。
ドアへ向かう。
ノブに手をかける。
一瞬だけ、止まる。
そして――
開けた。
そこに立っていたのは。
「……は?」
言葉が、漏れる。
見慣れた顔。
見間違えるはずがない。
「……なんで」
喉が、乾く。
「お前が、ここに……」
その人物は。
静かに、笑った。
そして。
ゆっくりと、口を開く。
「久しぶり」
その声を聞いた瞬間。
全身の血が、凍りついた。
スマホの向こうから、笑い声が響く。
『言っただろ』
一拍。
『逃げられないって』
視界が、揺れる。
現実が、歪む。
『さあ、桐生』
男が、静かに言う。
『次のゲームだ』
目の前の“そいつ”が、一歩踏み込む。
部屋の中に入ってくる。
逃げ場は、ない。
完全に。
閉じられた。
徹の喉が、わずかに動く。
だが、声は出ない。
その代わりに。
口元だけが――
わずかに、歪んだ。
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