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第71話 間に合わなかったのは

 三度目の審議の議場は、朝から満ちていた。


 傍聴の席まで埋まっている。二度の審議の中身は、写しと噂の両方で王都を巡っていた。証言席には今日も職人代表が座り、その隣に南区の詰所の長が並んだ。


 秋の増水から、七日。


 七日のあいだに、書役たちは突き合わせを終えていた。南区から宛先付きで上がった現場の記録と、王宮に残った手配の記録。二つの束から刻限を拾い、一枚の表に写す。作業にあたった書役は四人、検算に二人。表の末尾には六人の名が作の順に書いてある。


 誰が読んでも同じ表になるように、作った者の名ごと残す。それが、この王宮の紙の作法になっていた。


 今日も、読み上げから始まった。


「――南区詰所、水位上昇の報。三日目の夜、四つ」


 抑揚のない声が、刻限を並べていく。


「四つ半、東の杭、打ち増し開始。五つ、西へ移行。五つ半、水位、板下にて停止」


 一拍。


「なお、この記録は南区の現場より、宛先を付して提出されたものでございます。王宮側の資材手配の記録と、突き合わせ済み。刻限の食い違いは――ございません」


 議場が、静かにどよめいた。


 下から上がった紙と上に残った紙が、同じ形をしていた。同じ様式で書かれているから、突き合わせられる。


 証言席では、職人代表と詰所の長が小さく目を見交わしていた。読み上げられているのは、自分たちの夜だ。雨の中で歪んだ字で書いた紙が、いま、議場の作法で読まれている。


 読み上げは、続く。


「同夜、非常時特例の布告が起草されております。桟橋補強費の即時拠出。起草、五つ。使者の南区着が――五つ半の、半刻後」


「……」


「以上の刻限より」


 読み上げ役は、そこで一度、紙を置いた。


「補強の完了は、布告の到着に、半刻、先んじております」


 言い方は、それ以上ないほど丁寧で、丁寧なまま、決定的だった。


 間に合わなかったのは、今度も、命令のほうだった。


「……」


 オルデン卿は、目を閉じて聞いていた。


 手元の写しは、開かれてもいなかった。刻限の表は、届いた日に読み終えているのだろう。読んだ上で、今日ここに座っている。そういう座り方だった。


 やがて立ち、一礼した。


「……起草したのは、私でございます。夜半、一刻で書きました。我ながら、悪くない文面でした」


 議場に、乾いた笑いが少し起きた。


「それでも、遅かった。……この事実は、認めます。認めた上で、最後の問いを、この議場に置かせていただきたい」


 卿は、議場を見渡した。


「今回は、現場が正しかった。春も、正しかった。……では、現場が間違う日は、来ないのでございますか」


「……」


「来ます。人は間違う。私どもの机が書面を二月半眠らせたように、現場もいつか、間違う。そのとき、誰が止めるのです。検証は、事の後にしか参りません。命令だけが、事の前に立てるのです」


 最後の柱だった。


 事実で組み上げた、最後の、いちばん硬い柱。


「――よろしくて」


 声が、上がった。


 セレナ・アルカディアが、立っていた。


「アルカディア家の名において、一言」


 議場が、静まる。彼女がどちら側に立つのか、この数日誰もが測りかねていた。


「オルデン卿。あなたの憂いは、本物ですわ。わたくし、疑っておりませんの」


「……恐れ入ります」


「現場は間違う。人は間違う。そのとおりですわ。――では、伺います」


 扇が、閉じられた。


「命令は、間違いませんの」


「……」


「間違いますわね。人が出すのですもの。現場の間違いは、隣の者が見ています。記録が残り、検証が入り、宛先が答えます。……では、絶対の命令が間違ったとき、誰が止めますの」


 一拍。


「誰も止められない。それを、わたくしたちは昨年の春に見ましたわ。この議場の、誰よりも近くで」


「……」


「あなたの条項は、検証を『別に定める』と畳んでおいでです。命令から検証を外せば、残るのは、間違えても止まらない声。……オルデン卿」


 セレナは、静かに言い切った。


「検証に耐えない権威は、権威ではありませんわ」


 議場が、揺れた。


 権威の側の家名から出た、権威の定義だった。


 どちらの陣営も、この一撃の受け取り先を持っていなかった。


 書役の筆が、二本とも止まっていた。記録の手が止まるのを、この議場は久しく見ていない。誰かが小さく咳払いをして、筆は慌てて追いついた。


「……」


 オルデン卿は、長いことセレナを見ていた。


 やがて、ゆっくりと一礼した。


「……アルカディア家のご令嬢は」


 低く、言った。


「権威の何たるかを、ご存じでいらっしゃる」


 皮肉には、聞こえなかった。


 その日、採決は行われなかった。


 卿の側から、続審の申し出があったからだ。


「――一晩だけ、頂戴したい」


 それが、退出の間際に卿が残した、唯一の言葉だった。

数字が最初の柱を折り、突き合わせが二本目を折り、最後の柱はセレナが折りました。

「検証に耐えない権威は、権威ではない」――第28話で言い負けた人が、あの夜から自分で鍛え直してきた刃です。

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