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第67話 読み上げの順序

 二度目の審議の朝、ミレイユは議場の設えを検分していた。


 議場の支度は、前日の夕方から始まる。写しの部数を数え、刷りの掠れを検め、席の右肩に置く。発言順の札を並べ、証言席の椅子を運び、書役の筆と替えの筆を確かめる。朝には、窓の開き幅と、灯りの要不要を決める。


 どれも、係の仕事だ。ミレイユは、その一つ一つを、係の後ろからもう一度だけ見て歩く。


 直すことは、ほとんどない。直させ方も、覚えた。間違いを指で示すのではなく、正しく直したものを一つ、黙って隣に置く。係が自分で気づけば、明日からは係の目が一つ増える。


 派手なことは、何もしない。


 席次。写しの部数。回覧の順。読み上げの順序。


 それだけを、整える。


「南区の職人代表の席は、証言席の並びに。日照の側です」


「日照の……?」


「午前の議場は、あちら側の顔がよく見えます。見える顔の言葉は、届きます」


 係の文官は、意味を測りかねながら、そのとおりにした。


 全体の動線の起点に立って、同時に見る。崩れないための余白を、先に仕込む。


 教わった型だった。教えた人は、この場にいない。


 ――いないままで使えるのなら、それは型が根付いたということだ。


 ミレイユは、そう思うことにしている。


「――開会いたします」


 審議は、記録の読み上げから始まった。


 これが、ミレイユの整えた順序だった。弁の応酬の前に、まず記録を全員の耳に通す。


 春の増水の時系列。現場判断の刻限。命令経路の刻限。


 読み上げる者は、抑揚をつけない。数字と日付が、淡々と議場を渡っていく。


「……もし命令を待った場合、許しが南区へ達するのは夕刻。水位が板を越えたのは、その一刻前――」


 議場が、静かになっていく。


 事実には、事実の重さがある。


 続いて、費えの決裁の巡り。受領印の列。三度の催促。二月半。


 どの机で、何日。


 それも、名を呼ばずに、日付だけが読まれた。


 名を呼ばない読み方は、ミレイユが決めた。名を呼べば、議場は人を見る。日付だけなら、議場は仕組みを見る。見てほしいのは、仕組みのほうだった。


「……」


 オルデン卿は、自席で目を閉じて聞いていた。


 読み上げが終わってから、ゆっくりと立った。


「……見事な記録でございます」


 最初の一声が、それだった。


「私の申した『三月の空白』の中身を、これほど正確に残しておられたとは。……敬服いたします」


 嫌味ではない。この男は、記録を貶さない。


「その上で、申し上げます。――二月半、書面が留まったのは、財務の机でございます」


 議場が、ざわめいた。


 突かれる前に、自分で言った。


「隠しても、棚が言うことでございましょう。ならば私の口から申すのが順序」


 一拍。


「そして、これこそが、私の申し上げてきたことでございます」


「……」


「留めた者を、責めるのはたやすい。ですが考えていただきたい。あの書面には、決めるべき者の名がなかった。誰の責めでもない書面は、誰の机でも眠れるのです。……私どもの机は、たまたま、いちばん奥にあっただけのこと」


 巧い。


 ミレイユは、手元の紙を握った。


 自分の傷を、自分の論の証拠に変えた。責任の宛先がないから書面は眠る――それは、こちらが答えに使うはずだった理屈だ。


「ゆえに、命令でございます。名を持つ一人が、決め、責めを負う。……条項を、お通しいただきたい」


 卿は、深く一礼した。


 崩れない。事実の上に立っている者は、事実で殴られても崩れない。


「――発言を」


 声が上がった。


 証言席。日照の側。


 南区の職人代表だった。桟橋の修繕の見積もりを書いた、当の本人。


 日に焼けた首に、議場のために慣れない襟を付けてきたのが、遠目にも分かった。立ち上がるとき、椅子の音を立てまいとして、かえって大きな音を立てた。議場の空気が、少しだけ和らいだ。


 男は、懐から折り畳んだ紙を出した。見積もりの控えだった。開く手つきだけは、椅子のときと違って、まるで迷いがなかった。


「あっしらの見積もりは、名前を書いてます」


 議場に、素朴な声が通った。


「誰が測って、誰が値を付けたか。全部です。眠ってた書面に名前がなかったってのは……あっしらの名前は、載ってたんですがね」


「……」


「名前のある紙が、名前のない机で眠った。そういう話じゃ、ないんですかい」


 静かな議場に、その一言は、よく届いた。


 オルデン卿は、職人のほうへ体を向け、丁寧に一礼した。


「……ご無礼を。仰るとおり、皆さまの紙には名がございました」


 認める。この男は、事実を認めることを恐れない。


「であれば、なおのこと。名のない机を、なくさねばなりません。――その方法が、私と皆さまとで、違うだけでございます」


 議場は、割れたままだった。


 結論は、出なかった。


 散会の後、ミレイユは息を吐いた。


 勝ってはいない。


 だが、負けてもいない。記録は全員の耳を通り、職人の声は日照の側から届いた。


 ――今日はそれで十分です、と。


 あの人なら、たぶんそう言う。

席次と読み上げの順序だけで戦う回です。彼女の手法を、彼女なしで使えるか。

そして卿は、自分の傷まで論の材料にしてきます。決着は、まだ先です。

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