第57話 宰相がいなくても
女が去る前に、一つだけ、確かめたいことが、あった。
作った、というだけでは、足りない。
回る、と、確かめるまでは。
「……宰相閣下」
女は、言った。
「……試して、みませんか」
「……何を」
「……あなたが、いなくなっても、回るかどうか」
「……」
しばらく、間が、あった。
グレンは、女を、見た。
冗談を、言う女ではない。……それを、彼は、知っていた。
「……私が、単一点でなくなったか、を、確かめる、ということか」
「……ええ」
「……作り直したと、言っても」
女は、続けた。
「……確かめなければ、わかりません」
「……あなたが、三日、王宮を、空ける」
「……その三日で、綻びが、あなたのところへ、戻ってこなければ」
「……仕組みは、本当に、あなたにも、依存していません」
「……」
グレンは、しばらく、考えた。
自分が、綻びの、最後の受け皿になっている。
その自覚は、彼にも、あった。
断る理由を、探すようにも、見えた。
見つからなかった、という顔で。
それから、うなずいた。
「……いいだろう」
――
三日、彼は、王宮を、離れた。
視察という、名目で。
誰にも、本当の理由は、告げずに。
女は、残って、それを、見ていた。
口を、挟まずに。
直したくなる手を、膝の上で、押さえて。
一日目。
東棟で、席の余りが、出た。
二席。……いつかの、あの数だった。
来客係は、記録を見て、自分で、直した。
名を、残して。……誰かに、聞くまでもなく。
二日目。
厨房で、仕入れが、遅れた。
古参の者が、隣の区画から、借りた。
台帳に、一行だけ、書き足して。
手順は、もう、身についていた。……慌てる者は、いなかった。
三日目。
侍女の交代に、ずれが、出た。
侍女頭は、迷って――
一度、東棟の方を、見た。
宰相の、いるはずの方を。
それから、グレンを、探さなかった。
自分の、下の者に、聞いた。
そして、決めた。
誰も、宰相を、探さなかった。
誰も、「あの女」を、探さなかった。
王宮は、二人が、いなくても、回っていた。
「……」
女は、その三日を、見届けた。
かつて、彼女が、いなくなった途端に、止まった王宮だった。
叫び声が、廊下を、走った王宮だった。
誰もが、誰かを、探していた。
一人の名を、口々に、呼んでいた。
今は――
宰相が、いなくなっても、止まらなかった。
誰の名も、呼ばれなかった。
「……果たされましたね」
ミレイユが、言った。
「……あの日の、約束が」
「……ええ」
女は、静かに、うなずいた。
「……王宮を、作り直す。……やっと、本当に」
「……」
――
三日後、グレンが、戻ってきた。
机には、書類が、積まれていなかった。
彼が、いない間に、溜まるはずの、山が。
どれも、片付いていた。
彼の、手を、借りずに。
「……どうだった」
グレンが、問うた。
「……あなたを、探した者は」
「……一人も、いません」
女は、答えた。
「……三日間。……誰も、あなたを、必要としませんでした」
「……」
言葉は、静かだった。
突きつける響きは、どこにも、なかった。
グレンは、その言葉を、聞いた。
自分が、要らなくなった、という言葉を。
長く、この王宮を、支えてきた男が。
なぜか、それは、寂しい言葉には、聞こえなかった。
肩から、何かが、下りたようだった。
むしろ――
「……そうか」
彼は、静かに、言った。
「……なら、私も」
一拍。
「……いつか、ふらりと、出かけても、いいわけだ」
冗談の、口ぶりだった。
けれど、目は、笑っていなかった。
「……」
女は、その言葉に、少しだけ、目を、細めた。
初めて、見る顔だった。
国に、と言った男が。
外を、口にした。
「……ええ」
静かに、答えた。
「……困っている場所は、王宮の外にも、いくらでも、あります」
それは、誘いでは、なかった。
ただ、事実を、置いただけだった。
グレンは、何も、答えなかった。
答えは、いつか、で、よかった。
あらすじの約束――「王宮を作り直す」が、やっと、本当に果たされました。かつて、彼女がいなくなった途端に止まった王宮が、今は、宰相がいなくなっても止まらない。
グレンが三日空けて、それを証明します。誰も彼を探さなかった。それは寂しい言葉のはずなのに、なぜか、そうは聞こえませんでした。
「なら、私も、いつか出かけてもいい」――彼の依存も、解けました。
次話、最終話。第2部の、区切りです。




