第46話 端が切れる
ロヴィスの改革は、速かった。
「情報が、多すぎます」
彼は、そう言った。
「すべての現場が、すべてを知る必要はない。混乱の元です」
言葉に、迷いはなかった。
「必要な者に、必要な分だけ。それで、判断は速くなる」
正しく、聞こえた。
東棟の来客係は、席次の全体を、見なくなった。
自分の受け持ちだけを見て、あとは、ロヴィスに上げる。
厨房も、仕入れ全体を、追わなくなった。
困れば、ロヴィスに、聞く。
迷いが、消えた。
みな、口を揃えて、言った。
「楽になった」
「考えなくて、済む」
考えなくて、済む。
グレンは、その言葉を聞くたびに、机の端の椅子を、見た。
誰にも座らせていない、あの椅子を。
――間違っていても、従う。疑問があっても、止めない。それが命令です。
彼女が、いつか言った言葉だった。
あの時、彼女は、それを"依存の始まり"だと言った。
「……」
情報共有が絞られてから、グレンの手元には、あの控えの束が、回ってこなくなった。
だから、気づけなかった。
東棟が二つ余らせた席が、今度は、三つになっていたことに。
その三つが、翌週には、来客の取り違えを、生んでいたことに。
小さな綻びが、次の綻びを、呼んでいたことに。
誰も、全体を見ていなかった。
ロヴィスだけが見ていて、そのロヴィスは、他の百の判断を、同時に抱えていた。
――一人が、見る。
一人が見るということは。
一人が見落とせば、誰も気づかない、ということだった。
「宰相閣下」
その朝、駆け込んできたのは、久しぶりに見る顔だった。
息を切らした侍従が、震える声で、言う。
「西棟で……配膳が、止まりました」
「……何?」
「来客の数と、席の数が、合わず……担当が、ロヴィス様に指示を仰ぎましたが、ご不在で……」
「……」
久しく聞かなかった、あの足音だった。
廊下を駆ける、切迫した足音。二季のあいだ、絶えていた音。
崩れる、という音の、始まりだった。
グレンは、立ち上がった。
控えの束を、探す。
ない。
ロヴィスが、一箇所にまとめている。
そのロヴィスは、別の領へ視察に出て、今日は、戻らない。
「……」
グレンは、思い出そうとした。
東棟の余りが、いつから、いくつになっていたか。
西棟が、どこを、削ったか。
思い出せなかった。
自分が、見ていなかったからだ。
二季のあいだ、黙って埋め続けてきた綻びを、この数週間、手放していた。
楽だった。
ロヴィスがいれば、自分が余白でいる必要は、ないと思った。
その、つけだった。
「……崩れる前に、片付ける、か」
グレンは、低く、呟いた。
「……片付ける端が、もう、見えていない」
彼は、初めて、理解した。
二季のあいだ、王宮が静かに回っていたのは、仕組みが完成していたからでは、なかった。
自分が、彼女の代わりに、端を埋め続けていたからだ。
誰にも言わず。数えることを、やめずに。
あの控えの束の、合わない数字を、一枚、また一枚。
――依存は、移っただけ。
セレナの言葉が、今度こそ、はっきりと、胸に落ちた。
王宮は、彼女に依存しない仕組みを、確かに手に入れていた。
その代わりに――グレン・ヴァルドール、ただ一人に、依存していた。
そして今、その一人が、端を、手放した。
「……」
窓の外で、鐘は、鳴らなかった。
鳴らす者が、配膳の列に、駆り出されていた。
Block A、締めです。「よく根付いた」と思っていた仕組みは、実は完成していませんでした。彼女に依存しない代わりに――宰相グレン、ただ一人に依存していた。
その一人が端を手放した瞬間、綻びが表に出ます。
次話から、視点が変わります。崩れかけた場所に、必ず現れる人の話です。




