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第45話 移っただけ

 セレナ・アルカディアが王宮を訪れたのは、それから数日後だった。


 薄桃色の髪は、以前のままだった。


 春の花びらのような微笑みも。


 ただ、その目だけが、少しだけ、変わっていた。何かを、確かめに来た目だった。


「お久しぶりです、宰相閣下」


「……アルカディア嬢」


 グレンは、警戒を、隠さなかった。


 彼女は、かつての論敵だった。


 あの女の――リディアの提示した条件に、最後まで抗った人間だ。


 王族の権威を制限するなど、認められない、と。あの席で、ただ一人、退かなかった。


「何をしに」


「見に来たのです」


 セレナは、廊下の窓から、中庭を見下ろした。


 文官たちが、ロヴィスの周りに、集まっている。


 指示を仰ぎ、うなずき、散っていく。また戻り、また仰ぐ。


「よく、回っていますこと」


「……ええ」


「みなさん、迷いがない」


 セレナは、微笑んだまま、言った。


「一人に聞けば済むのですもの。楽でしょうね」


「……」


 グレンは、答えなかった。


 セレナは、しばらく、中庭を見ていた。


 扇の先で、ゆっくりと、欄干をなぞりながら。


 それから、ぽつりと、言った。


「宰相閣下。あなた、以前おっしゃいましたわね」


「何を」


「あの女の作った仕組みは、誰にも依存しない、と」


「……言った」


「では、これは何でしょう」


 セレナは、中庭の一点を、扇で指した。


 その先に、ロヴィスがいた。


 あらゆる報告が、彼のもとへ、流れていく。


 あらゆる判断が、彼から、返っていく。


 水路が、一本に、束ねられていくように。


「みんな、あの方に依存しています」


 セレナの声は、静かだった。


「依存は、消えていませんわ。宰相閣下」


「……」


「ただ――移っただけ」


「……」


 グレンは、言い返せなかった。


 彼女の言う通りだった。


 それは、ロヴィスが来る前から、薄々、感じていたことだった。


 ただ、言葉に、していなかった。


 しなければ、なかったことに、できる気がして。


「なぜ、それを、あなたが言う」


 グレンは、問うた。


「あなたは、依存しない構造など認めない側だったはずだ。一人に集まる今の方が、あなたには都合がいいのでは」


「そうですわね」


 セレナは、あっさりと、認めた。


「わたくしは、権威が一箇所にあるべきだと、今でも思っておりますわ。命令は、絶対であるべきだと」


「なら――」


「でも」


 セレナは、扇を、閉じた。


 小さな、乾いた音が、廊下に落ちた。


「あの方の集め方は、権威では、ありません」


「……」


「権威なら、責任も一緒に集まる。命令した者が、結果を背負う」


 薄桃色の睫毛が、静かに、伏せられた。


「……あの方のは、判断だけを集めて、責任は現場に置いたまま」


「……」


「あれは、権威ではなく――ただの、詰まりですわ」


「……」


 グレンは、彼女の横顔を、見た。


 この女が、何を考えているのか、読めなかった。


 味方なのか。


 敵なのか。


 それとも、ただ、正しさを言っているだけなのか。


「……あなたは、何がしたい」


 グレンの問いに、セレナは、微笑んだ。


「さあ。何もしませんわ、わたくしは」


 そう言って、彼女は、踵を返した。


 衣擦れの音が、遠ざかりかけて、止まった。


「ただ――そろそろ、あの女が来る頃だと思っただけ」


「……」


 グレンの心臓が、静かに、跳ねた。


「崩れかけた場所には、必ず現れる方でしょう?」


 セレナは、振り返らずに、去っていった。


 残されたグレンは、しばらく、中庭を見下ろしていた。


 ロヴィスのもとへ、報告が、流れていく。


 一本の水路へ、また一つ、また一つ。


 ――依存は、移っただけ。


 その言葉が、耳から、離れなかった。

セレナ再登場。第1部では"依存しない構造こそ正しくない"と抗った彼女が、今度は誰より早く"依存は移っただけ"と見抜きます。味方か、敵か――まだ、読めません。

そして彼女の最後の一言。崩れかけた場所には、必ずあの人が来る。

次話、綻びが表に出ます。

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