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タネも仕掛けもある異世界召喚  作者: 九重 桜花


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5/6

迷える羊は秘密の針子

天音がこの国に「聖女」として迎え入れられた翌日のことだ。


豪奢な天蓋付きのベッド、眩いばかりのシャンデリア、そして跪く5人の侍女たち。

その中の一番年配の女性が、静かに話し出した。


「初めまして。聖女様。わたくしは、侍女頭のマーサと申します。今後、聖女様のお世話をさせていただく侍女を紹介させていただきます」


マーサと名乗ったその女性は、深く、淀みのない礼を見せた。白髪の混じった髪をきっちりと結い上げ、隙のない身のこなし。その穏やかな微笑みは、一見すると慈愛に満ちている。しかし、天音の目は騙せない。


(……この人、目が笑ってないわね。典型的な『管理職』の目だわ)


「皆様、よろしくお願いいたします。不慣れな身ですので、至らない点があれば教えてくださいね」


天音は、鏡の前で何千回と練習した「万人受けする完璧な笑顔」を浮かべた。

すると、マーサの背後に控えていた4人の若い侍女たちが、一斉に顔を上げた。


「……っ、なんというおいたわしいお言葉!」

「私たちのような者にまでお気遣いをくださるなんて、やはり本物の聖女様ですわ!」


彼女たちの反応は過剰だった。天音が口を開くたびに、それがどんなに些細な挨拶であっても、彼女たちは感極まったように身を震わせる。


マーサが一人一人を紹介していく。

元気いっぱいに「聖女様をお守りします!」と誓う少女や、感極まって涙ぐむ者。彼女たちは皆、天音という「存在」ではなく、天音が背負わされた「聖女」という記号を歓待していた。


そして、最後に紹介されたのが彼女だった。


「――そして、最後に控えしはリリア。まだ若輩者ですが、裁縫の腕だけは確かでございます。お召し物の修繕や、身の回りのお手伝いをさせていただきます」


リリアは、他の侍女たちから少し離れた位置で、深く頭を垂れていた。

一歩前に出た彼女の姿は、驚くほど細い。頬はこけ、侍女の制服の袖口から覗く手首は、折れてしまいそうなほど痛々しかった。


「リリアです。……よろしくお願いいたします」


その声には、他の4人のような熱狂も、マーサのような野心も混じっていない。ただ、ひたすら凪いだ湖面のような冷たさがあった。


リリアは天音の足元に膝をつくと、移動中に少しだけ汚れてしまったドレスの裾を、そっと指先で摘んだ。


「……汚れております。今すぐ、落とさせていただきます」


すっと立ち上がり退出すると、濡れたハンカチを握りしめて戻ってきた。

そのまま、天音の足元に跪き、スカートの汚れを取り除いた。

天音は、自分を見上げようともしないリリアの、その機械的な手捌きを凝視した。


(あの子……。私の『聖女の力』なんて、これっぽっちも信じていないわね)


「……終わりました」


リリアが顔を上げた瞬間、天音と目が合った。

その瞳は、信仰に燃える他の侍女たちのそれとは正反対の、濁った、それでいて射抜くような冷徹さを湛えていた。



その夜。天音は鏡の前で自分の髪を指で弄びながら、背後の影に語りかけた。


「クロ。侍女たちの中に、一人『こちら側』に引き入れたい子がいるの」


影が揺れ、クロの低い声が返る。


「……へえ。神官長の息がかかったあの『羊』どもの中に、使い物になる奴がいるのか?」


「ええ。侍女のリリアよ。彼女、この前私のドレスの綻びを直してくれたけれど、その腕が確かだったわ。ただ器用なだけじゃない。限られた端切れで、元の模様と寸分違わず繋ぎ合わせる……今後、聖女としての『お役目』を果たしていく上で、ドレスへの仕込みは必要になるわ。ドレスへの細工ができ、なおかつそのドレスを周囲から隠す協力者がいるのよ。それに、彼女だけ随分痩せていて、隠しきれない生活の苦労が顔に出ているわ」


天音は鏡越しに、冷ややかな微笑を浮かべた。


「飢えている子ほど、現実的な『対価』に弱いはずよ。彼女の身辺を洗って。きっと、神官長には埋められない『綻び』があるはずだから」


「……ハッ、相変わらず性格の悪い女だぜ。いいだろう、その羊の尻尾、掴んでやるよ」


翌日。天音がカミラからこの世界の歴史を学ぶ勉強会に出かけた午後、静まり返った聖女の私室で、侍女のリリアは音もなく動いていた。


彼女は祈りを捧げるような敬虔な仕草をしたあと、天音のクローゼットを弄り、ベッドの隙間を探る。そして、机の上に置かれた果実――カミラへのマジックで使われ、そのまま部屋に置かれていたポムを手に取った。

リリアは、その赤い皮を爪で弾き、微かな魔力の残滓がないか、あるいは中に不浄な呪具が仕込まれていないかと、鋭い眼光で観察していた。


だが、彼女は気づかない。天井の梁の暗がりに潜むクロが、死神のような冷ややかな笑みを浮かべて自分を見下ろしていることに。


(……ハッ、必死だな。教会の忠実な羊だと思っていたが、魔術師団のネズミだったか。マジックの残骸のポムまで突っついて聖女のボロを必死に探してやがる。)


クロが『ネズミ』と吐き捨てたその正体は、教会側の侍女に紛れ込んだ魔術師団のスパイだった。


その日の夕刻。

戻った天音のもとへ、クロが再び影から姿を現した。彼はリリアの家捜しの一部始終を記したメモと、一冊の薄汚れた手帳を天音の机に放り出した。


「お前、気づいてたのか?リリアが部屋をひっくり返して、ポムを探ってたぜ。魔術師団への報告書に、よっぽど書くことがなくて焦ってるらしい。……それから、これを見な。教会から『借りて』きた裏帳簿だ」


天音が帳簿を開くと、そこには侍女たちの給与から「祈祷料」として七割以上が中抜きされている記録があった。


「ひどいわね。特にリリア……。妹さんの病を治すための祈祷料で、ほとんど手元に残っていないわ」


「あいつの部屋も見てきたが、ひでえもんだぜ。病気だっていう妹は、呪いじゃなく、ただの飢えだ。あばらが浮き出るほど痩せこけて、寝床から起き上がる力もねえ。あいつ、自分の食事まで妹に回して、自分は王宮の残飯を漁ってようやく立ってやがる。神官長の『祈祷』なんて、あの妹には毒にも薬にもなってねえよ」


「そこまで……。給与がほとんど手元に残っていないどころか、食事まで削っているのね」


「ああ。あいつら、自分たちが搾取されてる理由が『神の慈悲』だと本気で信じ込まされてる。……思考を放棄して、見えもしねえ奇跡に縋り付くだけの思考停止した『羊』どもだ。祈ってりゃ腹が膨れると教え込まれた、哀れな家畜だよ。……おっと、その熱心な『羊』が、またあんたの毛を整えに来たぜ」


ドアがノックされ、リリアが、何食わぬ顔で入室してきた。


「アマネ様、お召し替えの時間でございます」


彼女は天音の髪を梳かしながら、鏡越しに天音の表情と、机の上のポムを再び観察し始めた。天音は完璧な「営業スマイル」を崩さない。


髪を梳かしてもらいながら、リリアの入れた紅茶を一口飲み、天音はそっとささやく。


「リリア。今日の紅茶、少し苦いわね。……まるで、焦がした『ポム』のような味だわ」


リリアの手が、ピタリと止まった。


天音はそれには構わず、黄金色に輝く蜂蜜をスプーンで掬うと、自分の紅茶へとゆっくりと垂らした。粘り気のある甘い糸が、静かにカップの底へ沈んでいく。天音はそれを、銀のスプーンでぐるぐると、円を描くようにかき混ぜた。

茶葉の渦が、リリアの動揺を飲み込んでいく。


「……恐れながら、アマネ様。神官長様からは、聖女様の健康を第一にと仰せつかっております。焦げたものが聖女様のお口に入ることはございません」


「『健康』ではなく『家捜し』でしょう? 貴女がさっきまで、私の部屋でポムを弄り回していたのは知っているわ」


天音は、静かに立ち上がり、テーブルの上に帳簿の写しを置いた。


「神官長は、貴女の妹さんの病を『呪い』だと言って祈祷料を奪っているけれど……。あれ、ただの栄養不足よ。……リリア、貴女の手で、妹さんを救う『秘薬』を作ってみないかしら?」


天音は、机の上にあったポムと、水、そして先ほどの蜂蜜を用意させた。天音の指示通りにリリアが調理を始めると、部屋の中に濃厚で瑞々しい香りが立ち込める。


「これは身体を内側から温める、生きた糧。……リリア、貴女が自分の手で作ったこの『秘薬コンポート』を、妹さんに毎日少しずつ食べさせてあげて。明日から魔術師団には、私が望む通りの報告を演じてちょうだい。貴女が『三重スパイ』として動くなら、この糧を毎日分け与えるし、私の側付きとして侍女の将来も保障するわ。……これは、今の仕事よりずっと『割に合う』契約だと思わない?」


リリアは震える手で瓶を握りしめ、その場に膝をついた。


「……本当は、気づいていました。神官長様の祈祷に、妹を救う力などないことに。……ただ、祈祷の後に、慈悲として与えられるわずかなパンが必要だったのです。それすらなければ、妹は今日にも飢え死んでいたでしょうから……」


「…気づいていたのね。では、祈祷をやめて、そのお金でパンを買えばよかったじゃない」


リリアは力なく首を振り、深く頭を垂れた。


「神官長様は、私たちを使い捨ての駒としか見ておられませんでした。祈祷が必要ない侍女は、この城にはおりません。すぐに祈祷が必要な侍女が雇われ、城をでていくことになるのです…」


リリアの絶望に満ちた告白。しかし、天音はその肩を優しく抱くようなことはしなかった。

天音は椅子の背にもたれかかり、濁りのない、しかし底の知れない瞳でリリアを見下ろした。


「一つ、教えてあげる。リリア」


天音の低い声が、密室のような静寂に響く。


「貴女が調べていた通りよ。私は、貴女たちが崇める『聖女』なんかじゃない。 奇跡も、慈悲も、神の加護も……そんなものは一つも持っていないわ。私はただ、この世界で生き残るために、聖女の皮を被っているだけの偽物よ」


リリアが息を呑み、顔を上げる。


「私が偽物だとバレれば、私は奴隷として売られる。あるいは、嘘を吐いた大罪人として、もっと惨めな死が待っているでしょうね。……でもね」


天音はテーブルに身を乗り出し、リリアの耳元で冷ややかに囁いた。


「…… 私が聖女として君臨し続ける限り、貴女の妹には『秘薬』と『聖女の側仕えとしての地位』が与えられる。でも、私の正体がバレれば、貴女たちは今までのまま、静かに飢え死にを待つだけになるわ」


天音は微笑んだ。慈愛に満ちた聖女の微笑みではない。獲物の首に鎖をかけた、詐欺師の笑みだ。


「貴女が守るべきは、教会への信仰ではない。魔術師団への忠誠でもない。私の『正体』よ。……これを、お互いがこの世界で生きていくために必要な命を賭けた契約だと思えないかしら?」


リリアは数秒の間、呼吸を忘れたように天音を見つめていた。

しかし、その絶望的な瞳の奥に、初めて「生を掴もうとする意志」が宿る。リリアは深く、深く頭を垂れ、天音の足元の床に額をつけた。


「……承知いたしました。貴方が何者でも構いません。聖女様。……いえ、アマネ様。この確かな『糧』で妹を救ってくださるなら、私は……」


ぐっと唇を嚙み締めたあと、リリアは毅然と顔をあげる。


「私は、この命をアマネ様に捧げ、『嘘』を永遠に守り抜く、貴女様の針子となります」


天音はその言葉に、ゆっくりと微笑んだ。


「その言葉、信じるわ。これで契約は成立ね」


リリアが去った後、クロが再び姿を現した。


「……ハッ、傑作だったぜ。マジックのポムを疑ってた『ネズミ』が、『煮たポム』で簡単に寝返るとはな」


クロはリリアが磨き上げた鏡を冷ややかに見つめた。


「搾取されることにも、パン一切れで飼い慣らされてる惨めさにも気づきながら、『救済を待つ羊』の皮を被ってたわけだ。……だが、今日からは違う。あんたの耳目として、今度はあいつが神官長を食い散らかす番だ。笑いが止まらねえな」


「言い過ぎよ、クロ。彼女は王宮の『壁の耳』なの。これで、教会側と魔術師団側がどこで誰と密談しているか……すべて筒抜けよ」


「ああ。さらにお前の使ったポムは処分できるし、今後の仕掛けの準備もできるわけか。」


「そう。これで、私のドレスには誰にも気づかれない『仕掛け』が縫い込まれる。……彼女の針の一刺し一刺しが、私を守る鎧になるのよ」


天音は、リリアが淹れた冷めかけの紅茶を飲み干した。


「内堀は完全に埋まったな。……さてアマネ。次は、何をしようか」

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