第三ステージ~最高に理不尽な舞台に灯る炎(ライト)~
「……失礼いたします。聖女アマネ様」
翌朝、客間に現れたカミラ・アーノルドは、一分の隙もない鉄紺色の魔術師正装に身を包んでいた。彼女の瞳は、天音を敬うどころか、外科医が傷口を観察するかのような冷徹な光を湛えている。
彼女は挨拶もそこそこに、部屋の四隅に黒い石を配置する。
「本日の『勉強会』に先立ちまして、一つお願いがございます。……この国の魔術師団では、魔力干渉を一切排除した環境で聖女様の清らかな魔力を正確に観測し、その実力を見極めた後、聖女様に適した内容の『勉強会』を行うのが通例となっております」
カミラは感情の読めない声で告げると、すっと杖を振り上げ、鋭い瞳で天音を見つめる。
「アマネ様。貴女が本当に『神により遣わされた聖女』であるならば、この術式下でもその奇跡を維持できるはずです」
続いて、カミラは淡々と詠唱を始める。
「世界の理を定義する魔力の流れを、ここに命じて強制抽出する。
対象領域を完全隔離し、逃げ場なき空を刻め。――『魔力排気の方陣』」
振り上げていた杖を床に突くと、重苦しい圧力と共に、部屋の空気が一変する。
天音には見えないが、異世界の人間であれば誰もが感じる「呼吸のような魔力の流れ」が、この部屋から完全に吐き出された。
フッと部屋の魔導具のランプが全て消え、部屋の中は窓の外からの日の光しか残らない。
魔力が消え失せたその空間で、カミラは無機質な声で告げた。
「この陣の中では、いかなる術式も、魔導具も塵に等しい。さあ、見せていただきましょう。貴女が本物の『聖女』という証を」
天音は、平然と椅子の背にもたれたまま、優雅に脚を組んだ。
両手の手のひらをカミラに向け、何も隠していないことを誇示するように広げて見せる。
「理屈で世界を測ろうとするのは、若さゆえの傲慢かしら、カミラ。……いいわ。貴女が信じているその『理』が、いかに脆いものか教えてあげる」
天音は、テーブルの上にあった一組のトランプを手に取った。
「今、この部屋に魔力はありません。そうね?」
「……ええ。一滴たりとも」
「では、これは何かしら?」
天音がトランプを宙に放ると、それは落ちることなく、カミラの目の前で静かに浮遊し始めた。
磁石を使い、トランプの中に仕込んだ極薄の鉄片が、磁力によって引き上げられている。
カミラの瞳が、驚愕に大きく見開かれる。
「なっ…… 浮遊魔術!? ありえない、この中では魔力の粒子も観測できないはず……!」
カミラは動揺を隠すように、懐から銀の眼鏡を取り出し、素早く装着した。それは対象の魔術構造を解析する魔導具だったが、レンズに映る数値は「ゼロ」を指したまま微動だにしない。
「いいえ、カミラ。貴女が見ているのは『ただの魔術』ではなく、『聖女の奇跡』であり『大魔術師の魔法』よ」
天音は不敵に微笑んだ。
カミラは内心の動揺を押し殺し、掠れた震える声で詠唱する。
「……世界の理の力よ、我が指先に灯れ――小さな炎(パルヴス・フラム)……っ」
しかし、方陣のせいで術式は霧のように霧散する。呆然とするその姿は、まるで行く当てのない迷子のようだった。
「カミラ。ここに魔力が『ない』のではなく、『あなたたちの把握できない魔力がある』ことが『真実』だからよ」
(よし、食いついたわね……。クロ、合図よ)
天音がトランプのスペードのAをテーブルの上に置いた。
その瞬間、部屋のシャンデリアが不自然に揺れ、カミラの影が大きく伸びた。
「なっ、次は空間魔術!? 陣の安定性が……!」
「いいえ、揺れているのは世界ではなく、貴女の心よ」
天音がそう告げた瞬間、彼女の背後から、無数のポムが溢れ出し、重力を無視して宙に浮遊し始めた。それはカミラを取り囲むように輪を描き、静かに回転を始める。
実際には、カミラが「魔力」の消失に意識を奪われている隙に、クロが天井の梁から極細のワイヤーでポムを吊り下げ、照明の屈折でワイヤーを不可視化していた。
魔力がないという極限状態。しかし、事前に準備された物理的仕掛けがあちこちにあるこの部屋こそが、天音とクロが仕掛けた「最高に理不尽な舞台」だ。
天音はさらに畳みかける。部屋にある消えた魔導具のランプを指差した。
「このランプは、今、光を失っているわ。貴女の理屈では、魔力なしに光を灯すことは不可能でしょう?」
「当然です。それは世界の摂理……っ」
「あら、そうかしら?」
天音がランプに手をかざすと、ランプは赤く、強烈な光を放ち始めた。
「なっ……光った!? なぜ……術式も魔力供給もないのに!?」
カミラはパニックに陥る。
天音は事前にろうそくの火で明かりが灯るランプを部屋に準備し、特定の方向に進む光を通す「偏光板」を90度にずらした状態で二枚重ねてランプに設置していた。
2枚を同じ向きに重ねると光を通し、90度ずらすと光が消えるようになっている。手をかざす動作で一枚をわずかにずらし、遮断されていた光を透過させる。魔力ではなく光の性質を利用した、物理トリックである。
しかし、魔導師として「理論主義者」のカミラにとって、魔力のない場所で何かが起きること自体が、思考が停止するに等しい衝撃だった。
「……これ以上は、私の理解を……世界の摂理を超えています……」
カミラは力なく膝をついた。
「……私の負けです、聖女アマネ。貴女の『奇跡』は、私が解体できるような代物ではなかった」
カミラの瞳から鋭いトゲが消え、そこには未知の存在に対する畏怖だけが残っていた。
(……勝った。営業時代に培った『相手の思い込みを利用する』戦術、異世界でも通用するわね)
天音は内心で大きくガッツポーズをしながらも、顔には慈愛に満ちた笑みを浮かべ、カミラの肩に優しく手を置いた。
「いいのよ、カミラ。ただ、世界には理屈では測れない『神の力』がある……それを忘れないで」
その様子を、天井の隙間から見ていたクロが、誰にも聞こえない声で低く笑った。
「……完璧だ、アマネ。さて、これで魔術師団の鼻柱は折った。次は、あんたの身辺を漁ってる『ネズミ』どもをどう料理するかだな」




