嘘つき聖女と影の演出家(ディレクター)
目の前で、国王が黄金色に輝くリンゴのような果実を、震える手で受け取っている。魔術師たちは、もはや「真実の結界」の維持も忘れて、腰を抜かさんばかりに驚愕していた。
「……信じられぬ。魔力の波動が、欠片も、一瞬たりとも観測できなかった。術式を超越した、正真正銘の奇跡か……」
白髭の老魔術師が、ガクガクと膝を突きながら呟く。
当然だ。天音が行ったのは「魔術」ではなく、重力と死角、そして人間の心理を突いた「物理現象」なのだから。
「面を上げなさい。貴方の『結界』はよくできていましたわ。ただ……太陽の光を虫取り網で捕まえようとするのは、少々無理があるだけですわ」
「……素晴らしい。大魔術師、いや、聖女アマネよ」
国王は、手にした「黄金のリンゴ」を大切そうに掲げた。
「我が国の危機を救うのは、貴殿のような神により遣わされた聖女に違いない。……今夜は、貴殿を歓迎する祝宴を催そう。そこで、我が国の現状を詳しくお話ししたい」
(……祝宴。つまり、ここからが本当の『聖女の仕事』ってわけね)
「かしこまりました。しかし、召喚されたばかりで、この国のことを何も知りません。少しこの国のことを勉強させていただくお時間をいただきたいと思います」
「さすが偉大な大魔術師だ。確かに今晩の祝宴は早急であるな。よし、分かった。では、明日以降にこの国の魔術師を派遣しよう。よいな、シルヴァ」
「かしこまりました。明日、魔術師の中でも優秀な若者を派遣いたします」
白髭の老魔術師は、膝をつき、国王に向かって頭を下げる。
しかし、天音からは、老魔導師の歪んだ表情がはっきりと見えていた。
「寛大なお言葉、感謝いたします。では、数週間後――星が昇る頃に、またお会いしましょう」
天音は優雅に一礼し、騎士たちの先導で客間へと戻った。
重厚な石造りの扉が閉まり、侍女たちが下がったのを確認した瞬間、彼女はスーツのままベッドに倒れ込んだ。
「……はぁぁぁぁぁ、死ぬ。本当に死ぬ……!心臓が持たないわよ!!」
アドレナリンが切れ、一気に襲ってくる疲労感。競合他社との大規模コンペを勝ち抜いた時以上の消耗だ。天音は震える手で、スーツのポケットからトランプの束を取り出した。
マジシャンとしての技術もさることながら、毎秒「バレたら死ぬ」という極限状態でのポーカーフェイス。もはやこれはマジックではなく、命がけのコンフィデンス・ゲーム(詐欺)だ。
ふと、部屋の隅にあるドレッサーの鏡に視線をやる。
そこには、先ほどまで演じていた「大魔術師」の高貴な女ではなく、ただの疲れ切ったアラサーの女が映っていた。
「『勉強』なんて言ったけど、まずはこの国の『常識』と『仕掛け』を把握しないと」
天音は起き上がり、部屋の中を注意深く見渡した。
すると、豪華なシャンデリアの隙間に、一瞬だけ赤い光が点滅した。
(……やっぱりね)
天音は、その光に向かって、中指を立てる代わりに、華麗な手捌きでトランプを一枚出現させて見せた。
それは、「ハートのJ」。
トランプの意味は、「誠実な若者」、あるいは「使い走り」。
「見てるんでしょ、誰かさん。黄金のリンゴの仕掛けを見ながら黙っていたということは、何かあるんでしょう? これからのことを打ち合わせしましょう」
天音の呟きに、笑い混じりの声が返ってきた。
『……ハハッ。いい度胸だ。いいだろう。少し話し合おうじゃないか。聖女様』
「まず姿を見せなさい。姿の見えない相手と会話をするつもりはないわ」
天音の断固とした声が、静まり返った客間に響いた。
営業において、相手の顔が見えない交渉ほど不利なものはない。主導権を握らせないという、彼女なりの牽制だった。
しばしの沈黙の後、部屋の隅にあるクローゼットの扉が内側からゆっくりと開いた。
「……やれやれ。これだから、場数を踏んだ人間は扱いづらい」
そこから姿を現したのは、一人の男だった。
黒いタイトなインナーの上に、多数のポケットがついた黒いベストを羽織った服装に身を包み、腰のベルトには見たこともない工具や端末をいくつもぶら下げている。二十代後半ほどに見えるその男は、頭を掻きながら天音の前に歩み出た。
「俺はクロ。召喚の『舞台裏』を仕切っている雑用係だ。召喚の準備から今の部屋の監視まで、現場の全責任を負っている」
クロは不敵な笑みを浮かべ、恭しく、しかしどこか馬鹿にしたような動作で一礼した。
「召喚でここに呼んだのは、本来ならもっと『扱いやすい』小娘のはずだったんだ。だが、来たのは計算高い自称・大魔術師の『聖女』様。……まあ、いい。結果的に、あんたのあの『黄金のポム』のアドリブが、予算以上の効果を叩き出したからな」
クロはふーっと深く息を吐いた。
「いいか、アマネ。この国は今、崖っぷちだ。100年以上『聖女』が『召喚』されていないもんだから、民衆を繋ぎ止める『奇跡』が枯渇している。神官は『聖女』を召喚して国民の信頼を回復し、失った権威を取り戻したいと考えている。だが、魔術師側は『聖女』により神官に主導権を握られたくないと考えている」
「神官と魔術師の権力争いってことね?」
「そうだ。だから俺たちのような裏方が呼ばれ、あんたのような『小娘』が召喚された。魔術師の連中は、あんたが本物の聖女であることを全員疑っている」
「魔術師により、『聖女』は召喚できないように妨害されているのね…。では、なぜ貴方は『黄金のポム』のことを報告していないのかしら?監視を任されているということは、あのシルヴァという魔術師側の人間でしょう?」
天音の素朴な疑問に、クロはニヤニヤと笑う。
「さあ。そうとも言えるし、違うとも言える。ただ、今のところはあんたの『黄金のポム』をシルヴァのじじいに伝えるつもりはないから安心しな。まあ、あんたの小手先のマジックだけじゃ、魔術師連中をいつまでも騙し通せるとは思えないがな。俺が報告するまでもなく、そのうちボロが出てあんたが『聖女様』じゃないことはバレるのがオチだろ」
それは、天音が一番恐れていることである。なるべく長く聖女として生きていくためには、一人でできるマジックには限界があるため、絶対にこの世界に事情を知る味方を作る必要がある。
だからこそ、監視役は確実に味方にしておきたい。
「…それは、どうかしらね」
なんの根拠もないハッタリだが、相手の目的が分からない以上弱みをみせるのは危険である。
「すぐに剥がれるメッキでも、俺の『演出』を合わせれば、それは神の奇跡に化ける」
先程までのニヤニヤした笑いはなく、クロは天音に真っ直ぐに向き合う。
天音はスーツの襟を正し、クロを見つめ返した。
「……いいわ。最高の演出を用意しなさい。私は一滴の魔力も使わずに、魔術師全員に私を『聖女』として信じさせてみせる。その代わり、私の身の安全は、絶対に守ってもらうわよ」
クロの目的は分からない。ただ、天音には選択肢がなかった。
「……話が早くて助かる。よし、作戦会議を始めようか、『聖女』様」
深夜の客間。天音とクロの視線が交差する。
「さて、まずは明日の『刺客』についてだ」
「『刺客』、ね。明日派遣されるのは、魔術師の講師のはずだけど?」
老魔術師シルヴァの表情を思い出し、ふっと天音は苦笑いをする。
それを見て、クロは肩をすくめた。
「あのじじいが、あれだけで諦めるわけねえだろ」
クロは懐から、古びた羊皮紙の束を取り出した。しかし、その紙面には文字ではなく、まるで生きているかのように明滅する不思議な紋様が浮かんでいる。
「明日派遣されるのは、魔術師団の若き天才、カミラ・アーノルドだ。シルヴァが『優秀な若者』と言っていたのは彼女のことだろう。だが、気をつけろ。彼女は『魔力解体』の専門家だ。術式を物理的な最小単位まで分解して理解しようとする、理屈の塊みたいな女さ」
天音は腕を組み、羊皮紙の上に浮かび上がる、鋭い目つきをしたカミラの似顔絵を見つめた。
「『魔力解体』……。つまり、マジックのタネを論理的に解明しようとするタイプね。一番やりづらいけれど、逆に言えば、彼女の理論で説明できないことを見せつければ、魔術師たちを一気に掌握することができるわ」
「言うね。だがカミラは、明日の『勉強会』と称した尋問で、この部屋の全ての魔力を空にする『魔力排気の方陣』を持ち出すつもりだ。そうなれば、この世界の常識である魔法的な仕掛けは一切機能しなくなる。……あんた、どうする?」
天音は不敵に微笑み、スーツのポケットから一組のトランプを広げて見せた。
「望むところよ。私のマジックは、もともと一滴の魔力も使わない『純粋な物理現象』。魔力が遮断された空間でこそ、私の『奇跡』はより際立つわ。……クロ、彼女の『魔術理論』を『解体 』してあげましょう。彼女が一生かかっても解けない、最高に理不尽な舞台でね」
クロは声を殺して笑った。
「ハハッ、いい根性だ。気に入ったよ。理屈屋の鼻を明かすのは、裏方の特権だからな。カミラの『解体』が届かない舞台へ、あんたをエスコートしてやる。……じゃあ、具体的な『演出』の打ち合わせに入ろうか」
鏡の中の「聖女」と、影の協力者。
カミラ・アーノルドとの対決に向け、ろうそくの炎が揺れる静寂の中で、二人の「共犯者」による打ち合わせが本格的に始まった。




