聖女のお役目
「歴史とは、積み上げられた過去の記録です。まずは、この国の建国神話と現在の王家についてご説明いたします」
朝の光が差し込む図書室で、若き天才魔術師カミラは、重厚な古文書を宙に浮かせながら講義を始めた。天音と対面しながらも、その視線には隠しきれない緊張と畏怖が混じり、彼女の視線は、天音と合うたびに微かに泳ぐ。
「五百年前、この地は神に棄てられた不毛な「嘆きの荒野」でした。無秩序な数多の部族が互いの血を流し奪い合い、焼き尽くす、天を衝く怒号と絶望の悲鳴が止まぬ、生ける修羅の国です。
絶望の時代に教会の祖となる予言者が現れ、一人の孤独な男に「神託」を授けます」
カミラは古文書の挿絵を指し示しながら、淡々と語る。
「『北の果ての洞窟に、神が涙を溜めた聖なる泉がある。その水を飲み、加護を得る時、混沌を終わらせる真の王となるであろう』。
予言に従い、その男は数々の苦難を乗り越え、泉へ辿り着きました。人を従える力も、武力もなかった男が『聖なる泉』の水を飲むと、その魂は神と繋がり、荒野を鎮める奇跡の力を得たのです。
――彼こそが、後の初代国王アルフレッド様でございます。
予言者は神の命を受け、その「聖なる泉」の守護者となりました。以来、王が代替わりする度、後継者は必ず泉の水を飲み、神の加護を得ます。
王の命は泉と共にあり、泉の水は教会の祈りによってのみ保たれます。
そして、フェクトリス王国の歴史の大きな転換期には、必ず『予言』により神官長から神の声が届けられます」
現在、カミラは聖女の「教育係」を任されており、「奇跡」を目の当たりにして以来、彼女は天音を『聖女』として敬い、真面目に講義をしている。
「聖女としてのお役目の中で何より重要なのは、聖女様が祈りを捧げ、泉そのものを浄化することです。泉の水は教会により保たれますが、浄化ができるのは聖女様だけでございます。」
「……分かったわ。続けて。その後の王家の話も聞きたいわ」
天音の前で手元の羊皮紙を開き、緻密にかかれた家系図を見せる。
「現在、フェクトリス王国は、コンスタン国王が治めておられます。コンスタン国王には王妃アンナベル様と二人の側妃がいらっしゃいます。アンナベル様には、第一王子アルバン殿下と第二王子ユスティン殿下、お二人の姫君のお子様がいらっしゃいます。第一側妃のエレオノーラ様には、第三王子テオドール殿下、第二側妃のフェリシア様には、まだお子様はいらっしゃいません
……最近、教会から告げられた予言は、三年前ですね。神官長は、聖女召喚の失敗が続き『聖なる泉』の穢れが溜まり続けているため、『聖なる泉』の水を穢れを抑えるため、第一王子アルバン殿下に神官となり神にその身を捧げよと神託を受けられたそうです。
聖女様の役割の一つに、『招かれた乙女は王と結ばれ、その身を捧げることで、王家が溜め込んだ不浄をすべて引き受け、血脈を浄化せねばならない』と言い伝えられております。聖女が王の『毒』を飲み干し、王の器を浄化する時、国は再び延命を許される。これが、国を救う『水鏡の契り』でございます。アマネ様は、聖女としてのお役目を終えられた後、次代の王と婚姻し、血脈を浄化していただく必要がございます」
「……なるほど」
俯いて家系図を見るふりをしながら、天音はぎゅっと眉根を寄せる。
(勝手に結婚を決めないでほしいんだけど。しかも露骨な権力争いでしょ)
「聖女」の役目は、天音にとってはあまりにも理不尽な「生贄のシステム」そのものだった。
「……ねえ、カミラ。その『聖なる泉』について、もう少し詳しく教えてくれない?」
カミラは説明を遮られたことに戸惑い、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「『聖なる泉』、ですか? 泉は神の涙であり、王家の命の源。五百年、絶えることなく湧き続けている聖域ですが……」
「私が知りたいのは建国神話ではないわ」
「まず、泉の水を飲むのは、即位の時だけ? それとも定期的な儀式があるの?」
「……ええ。即位時の『大誓約』のほか、王家の人間が洗礼式を迎える際に行われる『水鏡の審判』がございます。泉のほとりに設けられた『水鏡の祭壇』に洗礼式を迎える王家の子女が立ち、汲み上げた泉の水を銀の杯に満たします。その際、正当な王家の人間であれば、杯に『聖痕』と呼ばれる特定の文様が浮かび上がるのです。その杯の水を浴びることで、成人した王家の一員であると認められることになります」
「『水鏡の審判』、ね。じゃあ、次。泉の清濁の判断基準について聞きたいんだけど。泉の清濁は教会の祈りによってのみ保たれるって、誰がどうやって泉の清濁判定をしてるの? 泉の水が変色するとか、味が変わるとか、具体的な基準はあるわけ?」
カミラは一瞬、言葉に詰まった。
「それは……神官長様が泉の波紋を読み、神の声を聴くのです。我々には見えませんが、聖女様には、その目で水面の穢れが見えるそうです。また、不浄がある者が泉に近づけば、水面は黒く濁り、清らかな音は止むとされています」
「……ふーん」
天音は、冷ややかな笑みを浮かべた。
「貴女のその天才的な魔術をもって、儀式のときに魔力の動きは観測できたの?」
「私は、第一王子の『水鏡の審判』の場に同席はしていましたが……。聖域に魔力計測器を持ち込むことは不敬として厳格に禁じられています。確かに、水面が揺れたのは見えました。ですが、聖域には常に強大な魔力が満ちており、個別の動きを検知することは不可能です……」
「……そうなの。よく分かったわ」
その夜、天音の私室は、わずかな蝋燭の火だけが灯る密室と化していた
目の前にはテーブルのお菓子をつまみ食いしているクロが、興味深そうに天音を観察している。
リリアにドレスの採寸をしてもらいながら、天音はクロに話しかける。
「つまり、『判定基準は神官長の胸三寸』。第三者が確認できる方法もなければ、根拠のある試験方法もない。一番不透明な評価制度ね」
「なっ、神の言葉を疑うのですか!? この五百年、一度も誤ったことは……」
採寸の手を止めたリリアが驚きの声を上げるが、天音はそれを優しく制した。
「リリア、落ち着いて。私が疑っているのは、その制度を運用している『人』よ」
天音は立ち上がり、カミラが置いていった古文書の一頁を指差した。
「いい? 王の命が泉に依存していて、その泉の清濁を判定する権利を教会が握っている。これ、教会側が『この王子は偽物だ』って言えば、いつでも王室の後継者をすり替えられるってことでしょ?
……ねえ、三年前の予言の時、泉は本当に『予言』はあったの? 」
「それは……」
リリアの視線が泳いだ。彼女は教会と魔術師のことを盲目的に信仰していないが、『聖なる泉』を見たこともないのだ。根拠のない事象を鵜呑みにすることへの違和感を、彼女自身も心の奥底に抱えていた。
「あるいは、誰かがこっそり石を投げ込んだとか、ね」
クロは呟きながら、暗く笑う。
天音は家系図の「第一王子」の名を指でなぞった。
「教会の『聖なる泉』を盾にした、悪質な強請の可能性があると思うの。……この泉のこと、一度調べる必要がありそうね。『波紋』の正体を見極める必要があるわ」
聖女を名乗る目の前の女性が、神聖な建国神話をただの「話」として解体していく様に、クロはそれ以上の抗いがたい知的好奇心を感じていた。
テーブルの上には、王宮から支給された最高級の絹や、銀の刺繍糸が乱雑に置かれている。
「……いい、リリア。これから貴女に頼むのは、美しい服を作ることじゃないわ」
天音は、手元にある一枚の薄い絹布をリリアに差し出した。
「ここに、外側からは絶対に見えない『隙間』を作ってほしいの。でも、私がこの場所を指でなぞった時だけ、中のものが滑り落ちるように……。一ミリのずれも許されない、精密な滑り台をドレスの中に作るのよ」
リリアは、震える手でその布を受け取った。
彼女が今まで教わってきた裁縫は、綻びを隠し、服を飾り、主人の威厳を保つためのものだった。しかし、天音が求めているのは、観客の目を欺くための「舞台装置」だ。
「……アマネ様。それは、魔術師様方の目を欺くための『盾』になるのですか?」
「ええ。そして、神官たちの心臓を貫く『剣』にもなるわ」
天音は、リリアの目の前で小さな銀のコインを取り出した。それを手の平に乗せ、握り込む。次の瞬間、手を開くとコインは消えていた。
「……っ!」
リリアが息を呑む。天音は悪戯っぽく笑い、自分の肘のあたりからコインを取り出してみせた。
「今の動きを、もっと大きなもの、例えば『杖』や『魔術書』でやるためには、貴女の針仕事が必要なの。……リリア、貴女の腕を信じていいかしら?」
リリアの瞳に、初めて侍女としての義務ではない、一人の職人としての火が灯った。
「……やってみます。いえ、必ず、成し遂げてみせます」
そこから、リリアの孤独な戦いが始まった。
彼女は、天音の腕の長さ、指の関節の動き、そしてドレスが揺れる際の手足の角度を、何度も何度も計測した。
「アマネ様、失礼します。……ここ、あと二ミリだけ袖口を広げます。そうすれば、中のものを落とす際に布が擦れる音が消えるはずです」
リリアの集中力は凄まじかった。
空腹で震えていたはずの指先は、針を持った瞬間、吸い付くように安定する。
彼女は、本来なら補強のために使うはずの「芯地」を、あえて滑りの良い裏地と組み合わせ、筒状の通り道を作る。さらに、ボタンの代わりに、特定の方向に力を入れた時だけ外れる「隠し糸」を編み込んだ。
(……信じられない。このお方は、魔法も魔力も持たないと言いながら、誰よりも緻密に『奇跡』を設計している)
リリアは針を刺しながら、隣でマジックの道具を点検する天音を盗み見た。
天音は、プレゼン資料の一文字のミスも許さなかった。その徹底した段取りの姿勢が、今、この異世界でリリアという侍女を職人へと成長させている。
深夜、ようやく一着のドレスが完成した。
見た目は、清廉な白を基調とした、どこにでもある淑女のドレスだ。だが、その内側には、天音の指示に基づいた無数の「仕掛け」が張り巡らされている。
「……できました。アマネ様」
リリアが、憔悴しながらも晴れやかな顔でドレスを差し出す。
天音はそれを試着し、鏡の前で何度か腕を振った。
――シュッ。
音もなく、天音の手の中に、隠していた一輪の花が現れる。
「……完璧よ。リリア、貴女は天才ね」
天音がリリアの細い肩に手を置き、鏡越しに微笑みかけた。
リリアは、その言葉に胸が熱くなるのを感じた。教会で「お前たちは代わりのきく消耗品だ」と言われ続けてきた彼女にとって、自分の技術が誰かの唯一無二の力になったのは、生まれて初めてのことだった。
「これがあれば、明日も私の独壇場ね。……さあ、リリア。仕上げに、王族の皆様を魅了する『とっておき』を仕込みましょうか。仕上げに、王族の皆様を魅了する『とっておき』を仕込みましょうか。仕上げに、少し仕掛けを仕込みましょうか」
天音はリリアに、指示した。
「……はい、アマネ様。すべて、仰せのままに」
リリアは深く、深く頭を垂れた。
その背中には、もはや飢えに怯えるネズミの影はなかった。
彼女は、自らの意思で「偽の聖女」を本物へと作り変える、大魔術師の弟子となったのだ。
天音は窓の外、明日の舞台となる薔薇の園を見つめる。
「(さあ、ターゲットは……この国の王妃よ)」




