64.不意打ち
慌ただしく通り過ぎていった足音が、完全に聞こえなくなる前に。輝夜が御門に向き直る。
「御門くん」
扉の隙間から差し込む光が、御門の顔を照らし出す。拍子抜けするほど、いつもと変わらぬ、不機嫌そうな顔だった。
緊張の色はなく、ただ不遜に、面倒そうに眉を吊り上げ、眉間の皺を深く刻んだまま、短く告げる。
「行くぞ」
落ち着いた声音に、鏡花が小さく、息を吐いた。強張っていた肩から力が抜け、ようやく、深く息を吸う。
「緊張とかしないの?」
「して解決するなら幾らでも」
「うわ、ドライ」
でも、だから頼りになるんだよね。京が肩をすくめて、扉に手を掛ける。
「本当、予定って大抵上手くいかないよね……」
「こういう時は特に、な」
扉が、音を立てずに開いた。廊下には人影も、獣の影も全くなく、玉座の間まで邪魔をされることはなさそうだ。
「わ、全然いない」
御門、京、輝夜と順に部屋から出て、三人が足を止める。
未だ足が動かない鏡花を、御門が見遣る。手を差し出すわけではない。慰めの声を掛けるでもなく、ただ、一言。
「__眞金」
短く、名前を呼ばれて。鏡花は、無言で背筋を伸ばした。体の横で拳を握り、喉に力を入れ、はっきりと答える。
「大、丈夫。行ける」
口に出すことで、体が従い、動き出す。一歩、踏み出した足がドア枠を越えると、次の一歩は軽かった。
御門は鏡花から視線を逸らし、前を向く。もう振り返る必要もない、と迷いのない足取りで扉へと進み、短く、最後の確認をする。
「気付かれる前に、最大火力を叩き込む。不意打ち上等、失敗すれば負けと思え」
もう、誰も返事はしなかった。
玉座の間の前に立っても、勇者たちの対応に追われた魔族たちがくることはない。
「……八月一日くん」
鏡花が手渡した紙を、京が受け取る。魔王城への潜入を決めた日から、持っておいた隠蔽の魔法陣だ。
描く際にその辺の魔石を使ったため、魔力の消費は通常に比べて激しい。魔法が効かない魔王に、効果があるかもわからない。
それでも、気休めがわりにはなるだろう。念には念を入れるべきだ。【強欲】により魔法陣が発動すると同時に、先頭の御門が、重厚な扉を掌で押した。
「…………」
音はない。造りが良いのか、重たい扉は主張することなく、人間一人分の隙間を作った。
赤い絨毯の先、城の壁より一段濃い黒で作られた玉座に座る魔王は、浅黒い肌から黒いもやを発している以外、思いの外、人間に近い外見をしている。
黒と金を基調とした、豪奢な衣服に身を纏った状態で、玉座に肘を付き目を閉じていた。離れた位置でも表情が見えるため、体躯は人間の倍あるだろう。
勇者たちの様子を見ているのか、それとも、休息をとっているのか。どちらにせよ、今が好機だ。
御門が、魔王を、鋭く指差す。
それが、作戦開始の合図であった。
「……こんばんは。初めまして、魔王陛下」
一足早く、隠蔽魔法陣の効果範囲から出た輝夜が、【色欲】を発動させたまま呼び掛ける。
知性があるなら、異世界人のスキルなら、魔王にも効くことは確認済みだ。ゆるりと顔を上げた魔王は、目があったのだろう。
不意をついた甲斐もあり、【色欲】の洗脳がわずかに掛かる。
「じっとしててね」
輝夜が微笑むと、玉座から離れかけていた肘が、空間に縫い止められる。
動きが、止まった。
確認すると同時に、走り出すのは鏡花と京だ。鏡花が右から、京が左から、槍と剣を手に、スキルを発動させながら迫る。
「【憤怒】!!」
玉座に座ったままの魔王を、右側から袈裟斬りにするように。只人には不可能な速度で、京が剣を振り抜いた。
やはり、実体はないらしい。肉の抵抗がないように、予想以上の速度で剣を振った京が、後ろに飛び退く。
魔王は止められたままの表情か、それとも物理攻撃が効かない故の余裕か、微笑みを称えたまま、剣戟の跡から黒いもやを溢れさせるだけだ。
だが、それは予想していたこと。本命は、この次だ。
「【嫉妬】」
翡翠の焔を纏った槍先が、黒いもやを掻き消していく。緑の光は、闇を食い潰すように、もやを切り裂いて進み。
魔王の心臓部を、確かに捉えた。コツン、と今日の指先に、硬いものに触れた衝撃が伝わる。
魔王の目が見開き、玉座に添えられていた指が強張り鈍い、鉱石がひび割れる音がする。
「お願い!!」
確かに、核がある。ならば、きっと。柄を握る手に力を込め、スキルを意識して更に焔を燃え上がらせる。
「【怠惰】」
御門は、輝夜が支える手筈だ。鏡花は槍を引き抜き、大きく一歩、京の隣まで下がり距離を取る。
一拍遅れて、黒いもやが爆発するように散り。白い光が、玉座の間を埋め尽くした。




