61.願い
「さて」
馬車が止まる。鏡花が荷台から顔を出してみれば、紫色の空と青白い月を背景にして、ダークグレーの城がそびえ立っていた。
目的地、魔王城である。窓の部分からは薄緑の光が漏れ出ており、浮き上がるシルエットから多く魔族が城の中にいることがわかる。
現在いる場所から、緩やかな坂を登った場所にあるその城は、想像よりも現実的な形状をしており。
「ホーエンツォレルン城に近いな」
「そういえば、学会でドイツ行ってたね」
確かに、外観が近い気がする。鏡花は頷いたが、残りの二人は建築に興味がないのか、首を傾げていた。
「御門くん、意外と建築詳しいよね」
「そうでもないと移動が辛いだけだろう」
お前が現地食材を食べに行くのと似たようなものだ、と言われると、輝夜も納得したらしい。改めて城を眺めて、一つ、溜息を吐いた。
「もっとおどろおどろしいこと思ってた」
「色は暗めだけど」
「なんていうか、技術が同じくらいだなって」
魔王の城と、王国の城。大きく構造は変わらない。技術が同程度なら、個体として強い魔族に対して人間の勝ち目は少ないかもしれない、と思ったのだろう。
勇者が、いなければ。
「で、どうする?」
色々と王国の裏事情を考えそうになったが、それを断ち切るような京の言葉に、意識を目の前の城に戻す。
城は、もう少し先。このまま直進すれば正門に辿り着くだろう。
「取り敢えず、正門以外からだな」
「なら、あっち側かな」
勿論、正面突破などする気のない鏡花たちは、迂回して関係者用の通用門を目指す。だが、正門ほどではないとしても、門には魔族が幾らか配置されているはずだ。
「今日は下手に近付かず、この辺りで休息を取るか」
「そうだね」
ここまでは順調だったが、いよいよ明日からは敵の本拠地だ。しっかり眠れるのは、今日が最後かもしれない。
各々、真剣な顔で頷き、野営のための準備を始める。輝夜が食事を用意し、京が周辺の警戒、御門が馬を休ませ、鏡花は荷台の中で眠れるように整える。
「よいしょ……」
いつも通り布を移動させていると、ぎしり、と荷台の端が軋む音がした。視線を上げると、目に入るのは黒い影。
「眞金」
御門である。馬の世話は終わったのだろう。だが、普段なら輝夜の準備が終わるまで外にいるはずの御門が、わざわざ荷台に入ってきた。
「先に、聞いておこうと思ってな」
他の二人がいないところでするのは、多分、鏡花への気遣いだ。だから、鏡花は素直に口を開く。
「……魔法陣のこと、だよね」
「理解しているなら」
早く言え、と圧を感じて、鏡花は首を緩く横に振った。御門が求めるものでないと知っていても、先に、言い訳じみた言葉を並べた。
「帰れない、とかは心配ないよ」
「だろうな」
「ちゃんと、召喚された直後の時間、場所に戻れるはず」
鏡花は、病院付近の歩道橋に。他の三人は、何処にいたのか知らないけど。職場か、家か、直前までいた場所に戻れるはずだ。
「それで?」
御門が、作業のために置いておいた魔法陣の本を手に取る。紙の挟まったページを開けば、時間に関するページの間に、鏡花が描いた魔法陣のメモ。
そのメモと、事前に受け取った報告書の魔法陣を見比べ、御門は顎だけ軽く動かし、鏡花の口から説明しろと急かした。
「……上手くいけば、それより前に、戻れると思う」
「時間遡行か。それで、何をするつもりだ?」
十分程度巻き戻せば、鏡花は歩道橋の階段から落ちずに済むかもしれない。だが、鏡花が描いた魔法陣で遡る時間は、そんな短いものではない。
三年。本に書いてある時間の例が、それしかなかったわけではない。五分や、一時間と言った指定もできる中で、鏡花は三年も巻き戻そうとしていたのだ。
「召喚直後、お前は明らかに衰弱していた」
当然、魔法陣の本を読んで気付かない御門ではない。元々、鏡花の様子がおかしいことにも気付いて、それでも、今まで聞かずに待っていた。
下手に聞けば、鏡花が使い物にならなくなると、直感的に感じていたからだろう。
「召喚前、何があった?」
鏡花は、薄く、唇の端だけを上げ、表情の読めない笑みを浮かべた。
魔法陣を使う前に、きちんと話しておくべきことだ。随分と前に感じられるようになった出来事に、感情の整理も追いついてきたところだ。
「……だから、って思うかもしれないけど」
鏡花は、ぽつりぽつりと召喚される直前の状況を溢していく。父の病気、工場の合併、上手くいかない仕事、召喚前の夢により体力が限界に達したこと。
御門は、口を挟むことはなく、静かに話を聞いていた。
「__それで、病院に行く時に」
階段から落ちて、そのまま、この世界に落ちていたのだ。そこまで、時系列に、起こったことだけを並べていって。
御門が、何も言わずに聞いてくれるものだから。ふと、視線を上げて顔を見ると。
真っ直ぐに、その目が向けられていたから。
「……もし、過去に戻れたら。お父さんの病気、なんとかならないかな、って、思ったの」
思わず、希望が、口から溢れた。




