56.フラグ
びゅうびゅうと風を切る音に、コココココ、と嘴を鳴らす様な音が混じる。馬車は影が掛かったり消えたりを繰り返し、薄紫の空を見上げれば黒い影が一つ、二つと増えていく。
馬車の中からも視認できる、大きな鳥の影。先程、やけに大きく聞こえていた鳴き声の主だろう。縄張りに入ってしまったか、それとも、餌として認識されたか。
__何にせよ。
「完璧な前振りだったね」
「……ごめん」
輝夜が悪いわけではないが、タイミングが良すぎる。鏡花は少しだけ目を閉じてから、体の横に置いてある槍をしっかり握った。柄をぶつけないように、膝で荷台の中を移動する。
「黛くん、馬車は__」
「先に見える木の影に止める」
すぐに降りられるようにしておけ、という指示に荷台の逆側、馬車の後方へと向かう。発言を気にしているのか、輝夜もナイフを構えていた。
「止めるぞ!!」
馬車が、鳥のものではない影に包まれる。同時に減速が始まり、体が慣性の法則に従い後方へ傾く。勢いそのまま、鏡花は荷台の縁を蹴り、走る。
後ろで、二人分の足音。輝夜と京だろう。
「あれは__」
国境の城壁を攻撃していたのと同じ、大型の鳥の魔物だ。数は三。一匹は他と比べて一回り小さいので、子供なのだろう。
小さいとはいえ、その脚で人間一人簡単に握りつぶせそうな魔物は、馬車から出てきた鏡花を見つけるや否や、小柄な影が、喉がつぶれたような叫びを上げつつ急降下を始めた。
「鏡花ちゃん、いける?」
「……大丈夫」
鏡花は、槍を上空に向けて突き立て、思い出す。鮮やかな、勇者たちの戦い方を。自分達では到底敵わない強さを考えれば、ズキリ、と心臓が痛みを発した。
その痛みを堪えず、そのまま、口に出す。
「【嫉妬】」
瞬間、暗い木々の葉より鮮やかな、緑の焔が舞い上がる。鏡花めがけて一直線に落ちていた魔物は、立ち上る焔を避けることができずに突っ込んで来た。
完全に焼かれる前に鏡花を仕留めようと思ったのか、知能が低く何も考えていなかったのかは不明だが。
「わぁ、こんがり」
「というより、消し炭?」
血気盛んな魔物は、鏡花の【嫉妬】の焔によって、黒焦げになって地面に落ちた。ジュ、と地面が音を立てるが、水気を含んだ草に火が付くことはなさそうである。
「あと二匹だね」
輝夜がそう言うが、残りの二匹は旋回するだけで一向に降りてくる様子はない。
「警戒された?」
一瞬で同族が黒焦げになったのだ。本能的に、突っ込むのは不味いと判断したのかもしれない。お陰で、馬を狙われることはなくなったが、このまま上空に留まられるのは良くない。
今、見えている魔物自体は知能が低くとも、旋回する魔物を見かけた敵に居場所を知られてしまう。とはいえ、【嫉妬】の焔を空まで飛ばすことはできない。余計目立つし、そもそも可能かもわからない。
「これだと、手出しが……」
不味い、と京が口に出すと同時だった。
「八月一日、馬車に戻れ!!」
御門の鋭い指示が飛び、三人が振り返る。走りながら此方に近付く御門の瞳は、少し距離があってもわかるほど、金色に輝いていて。
馬車に向かって走り出した京と一緒に、鏡花と輝夜も頭上の影から逃げるように走り出す。
「墜ちろ__!!」
唸る様な、低い声と同時に、風の斬る音が止まる。次いで、ズドン、という音と共に地面が揺れ、鏡花から十歩もしない場所に二匹の魔物が落ちた。
「あぶなっ!!」
「し、心臓が、痛い……」
「うるさい。迅速な対応だろう。感謝しろ」
声変わり前の若い声で返した御門は、スキルの反動で十二歳程度の見た目に若返っていた。余った袖を面倒そうに折りたたみながら、墜ちた魔物に歩み寄って行く。
【嫉妬】の反動と、全力疾走と、驚きで痛む心臓を押さえながら、鏡花はその様子を見守った。
「止めを刺した方が良いな。蓬莱、ナイフを__」
伸ばした御門の手が止まる。どうしたの、と声を掛けようとした輝夜が、視線で制された。どくり、と心臓が一際跳ねる。
遠くから、馬を駆る様な音が聞こえる。
「…………見つかったか」
数本、木が生えているとはいえ、視界を遮るものは少ない、開けている道。横には大きな鳥の魔物。うっすらとだが視認できる、馬に乗って向かってくる影。一見、人間のように見えるが、形が人に近いだけだろう。
「逃げる?」
「どちらにせよ警戒される」
逃げれば、不審に思われること間違いなし。即座に援軍を呼ばれる可能性もある。しかし、近付けば鏡花達が仲間でないことも明らかな訳で。
どちらもリスクの高い選択だ。差し迫った状況で、御門に三人の視線が集まる。鋭い舌打ちが響き、短く指示が告げられた。
「全員、外套を被れ。蓬莱はこっちに」
外套のフードを被れば、遠目には顔も体格もかなり誤魔化せる。個人を判別しようと思うと、それこそ、顔が見える距離まで近付かなければならない。
「え、まさか……」
一歩、後退りそうになった輝夜の腕に、頭一つ以上小柄な御門が絡みつく。下がることは許さない、とでも言うように。
「そのまさか、だ。発言の責任は取れよ」
若干、口の端を引き攣らせながら、それでも御門は笑って言った。
「救援を呼ばれるより早く、洗脳するぞ」




