【第475話:残された痕跡】
黒い術式のある場所から離れた二人は、再び森の奥へ向かって歩いていた。
先ほどまで聞こえていた人の声は、木々に遮られて次第に聞こえなくなっていく。
「それにしても、あの術式は妙だったな」
イエガンが後ろを振り返りながら呟いた。
その表情には警戒が残っており、先ほど見た三人の姿を頭の中で思い返しているようだった。
「うん。魔力を集めているだけじゃないと思う」
ルーニーは歩きながら、腰に下げた袋へ視線を落とした。
中には先ほど回収した黒い欠片が入っている。
「この欠片も、あの術式の一部だった可能性が高い」
「なら、持って帰って詳しく調べるか?」
「それも必要だけど、その前に魔力がどこへ向かってるのか確認したい」
ルーニーは前方へ視線を戻した。
森の奥へ進むほど、周囲に漂う魔力は少しずつ濃くなっている。
イエガンもその変化を感じ取ったのか、自然と歩く速度を落とした。
二人の間に会話がなくなり、代わりに足元の枝を踏む音だけが静かに響く。
しばらく進んだところで、ルーニーが再び足を止めた。
目の前には大きな岩があり、その側面に不自然な傷がいくつも残されている。
「これ、最近ついた傷だね」
ルーニーが岩へ近づき、指先をかざした。
傷の周囲には僅かな魔力が残っている。
「獣がつけたのか?」
「たぶん違うと思う」
ルーニーは首を横に振った。
爪で引っ掻いたようにも見えるが、傷の深さと間隔が一定すぎる。
「何かを引きずった跡に近い」
イエガンは地面へ目を向けた。
岩の横から森の奥へ向かって、細い溝のような跡が続いている。
「こいつは……何かを運んだ跡か」
「そうかもしれない」
二人はその跡を追うことにした。
先ほどの黒い術式とは別の経路だったが、魔力の反応は僅かに重なっている。
森の中を進むにつれて、溝は次第に深くなっていった。
地面にはところどころ黒い粉のようなものも落ちている。
「これも同じ魔力だ」
ルーニーが魔力を近づけると、黒い粉が僅かに震えた。
それを確認した瞬間、彼の表情が変わる。
「……かなり近い」
「何がだ?」
「魔力の発生源」
ルーニーは森の奥を見つめた。
先ほどまでとは比べものにならないほど、はっきりとした魔力を感じ取っている。
「この先に何かある」
イエガンは拳を握った。
それから周囲を見回し、敵の気配がないことを確認する。
「行くぞ」
「うん」
二人は慎重に先へ進んだ。
しかし、しばらく歩いても目立った建物や洞窟が現れることはなかった。
それでもルーニーは足を止めなかった。
魔力の流れだけは確実に濃くなっているからだ。
やがて、森の中に小さな崖が現れた。
高さはそれほどないものの、その下は木々に覆われていて先が見えない。
「ここから下に魔力が流れてる」
ルーニーが崖の縁へ近づいた。
下を覗き込むと、木々の間から僅かに黒い岩肌が見える。
「降りられそうか?」
「僕なら大丈夫。でも、下に何がいるかは分からない」
「なら俺が先に行く」
イエガンはそう言って崖へ足をかけた。
ルーニーが止めるより早く、慎重に下へ降りていく。
「足元に気をつけて」
「分かってる」
イエガンが崖を下り、しばらくして地面へ着いた。
その後をルーニーも魔術で身体を軽くしながら降りていく。
二人が崖下へ到着すると、先ほど感じていた魔力がさらに強くなった。
そして、岩壁の一部に小さな穴が開いているのが見える。
「洞窟……か?」
イエガンが穴を見つめた。
入口の周囲には黒い粉が散らばり、内部から僅かな魔力が漏れ出している。
「間違いないと思う」
ルーニーは慎重に入口へ近づいた。
しかし、そこで足を止める。
「待って」
「どうした?」
「中から風が出てる」
ルーニーが手をかざした。
確かに洞窟の奥から、僅かな風が吹き抜けている。
「行き止まりじゃないな」
「うん。奥に続いてる」
二人は顔を見合わせた。
ここまで来れば、さらに奥を調べる価値は十分にある。
だが、洞窟の中から感じる魔力には、これまでとは違う重さがあった。
まるで、何かがこちらの存在を待っているような感覚だった。
「……慎重に行くぞ」
イエガンが声を落とした。
ルーニーも頷き、魔術媒体を手に取る。
二人は洞窟の入口へ足を踏み入れた。
その先に待つものをまだ知らないまま、暗闇の奥へと進んでいった。




