【第470話:森の奥へ】
ルーニーは地面に残された僅かな魔力を確認したあとも、すぐには立ち上がらなかった。
残された痕跡が何を示しているのかを考えながら、周囲へ視線を巡らせている。
「……この程度じゃ、まだ何も判断できないね」
ルーニーはそう呟き、魔術媒体を懐へしまった。
イエガンも急いで結論を出すつもりはなく、周囲の木々へ目を向けていた。
「だったら、もう少し奥まで見てみるか」
「うん。ここで戻るより、その方がいいと思う」
二人は先ほど見つけた場所を離れ、さらに森の奥へ進んでいった。
足元には細い獣道すらなくなり、枝や草を掻き分けながら慎重に進んでいく。
「この辺りまで来ると、さすがに人の気配もねえな」
イエガンが周囲を見回しながら呟いた。
先ほどまで聞こえていた鳥の声も少なくなり、森の奥には妙な静けさが広がっている。
「でも、魔力の流れは少し変わってきたよ」
ルーニーが立ち止まり、周囲へ意識を集中させた。
目には見えない何かを探るように目を細め、しばらく黙ったまま動かない。
「強い反応じゃないけど、さっきの場所より僅かに濃い」
「同じ奴が残したもんか?」
「まだ分からない。ただ、方向は近いと思う」
ルーニーは森の奥へ顔を向けた。
その視線の先には、木々が密集しているだけで目立ったものは何もない。
イエガンは一度だけ頷くと、先へ進むよう手で合図した。
二人は互いの距離を保ちながら、慎重に歩みを進めていく。
しばらく進んだところで、ルーニーが再び足を止めた。
今度は先ほどよりも明らかに表情が険しくなっている。
「……少し待って」
「どうした?」
「前の方に、何かいる」
イエガンの表情も変わった。
すぐに腰を落とし、木々の隙間から前方を確認する。
そこには大きな獣の姿があった。
黒褐色の毛に覆われた身体は通常の獣より一回り以上大きく、鋭い爪を持つ四本の脚で地面を踏みしめている。
獣は二人に気づいている様子はなく、しばらく地面の匂いを嗅いでいた。
しかし、次の瞬間にはゆっくりと頭を上げる。
「……気づかれたか」
「みたいだね」
ルーニーが魔術媒体を構えた。
イエガンも拳を握り、獣との距離を測る。
「先に仕掛けるぞ」
「分かった。僕が動きを止める」
イエガンが地面を蹴った。
ほぼ同時にルーニーが魔力を解放し、獣の足元へ魔術を展開する。
獣は低い唸り声を上げながら飛び退いた。
拘束の魔術を力任せに振りほどくと、そのままイエガンへ向かって突進する。
「おっと!」
イエガンは横へ跳んで攻撃を避けた。
巨大な身体がすぐ横を通り抜け、木の幹へ激しくぶつかる。
「思ったより速えな!」
「気をつけて! 普通の獣じゃない!」
ルーニーが魔力を集中させる。
複数の光弾が獣へ向かって飛んだが、獣は身体を捻ってその多くを避けた。
それでも一発が前脚へ当たり、獣の動きが僅かに鈍る。
その隙を逃さず、イエガンが一気に距離を詰めた。
「そこだ!」
拳が獣の身体へ叩き込まれた。
しかし、手応えはあったものの、獣は倒れずにその場で踏みとどまった。
「硬ぇな……!」
獣が身体を反転させ、鋭い爪を振り下ろす。
イエガンは腕で受け流したが、その勢いに押されて数歩後退した。
「イエガン!」
「まだ大丈夫だ!」
イエガンが踏みとどまる。
その直後、ルーニーが獣の周囲へ魔力を集中させた。
「今だよ!」
地面から伸びた魔力の鎖が獣の四肢へ絡みついた。
完全には動きを封じられないものの、一瞬だけ獣の動きが止まる。
「助かったぜ!」
イエガンが地面を蹴った。
そのまま真正面から距離を詰め、渾身の一撃を獣へ叩き込む。
大きな身体が地面へ転がった。
それでも獣は起き上がろうとしたが、ルーニーの魔術が再びその動きを封じる。
「これで終わりだ!」
イエガンの攻撃が決まり、獣はようやく動かなくなった。
周囲に再び静けさが戻ってくる。
「……強かったね」
ルーニーが息を整えながら呟いた。
イエガンも荒く息を吐きながら、倒れた獣へ目を向ける。
「普通の獣じゃねえのは間違いねえな」
「うん。身体そのものに魔力がかなり馴染んでる」
ルーニーは獣の身体へ近づき、慎重に魔力を調べ始めた。
すると、獣の体表に僅かな魔力の残滓が付着していることに気づく。
「……これ、さっきの場所で感じたものと少し似てる」
イエガンが振り返った。
「本当か?」
「完全に同じとは言えないけど、系統は近いと思う」
ルーニーは獣の周囲をさらに調べた。
すると、少し離れた地面に小さな黒い欠片が落ちているのを見つけた。
「これは……」
「何だ?」
ルーニーは欠片を拾い上げず、魔術で浮かせた。
黒い欠片からは、獣の身体に残っていたものと似た魔力が僅かに感じられる。
「この欠片、自然にできたものじゃないと思う」
「つまり、誰かが何かをしたってことか?」
「まだ断定はできない。でも、調べる価値はあるよ」
イエガンは欠片を見つめた。
ようやく、これまでの調査とは違う手掛かりが見つかった。
「なら、こいつを持ち帰るか」
「そうしよう。僕ならもう少し詳しく調べられると思う」
ルーニーは欠片を慎重に包み、腰に取り付けた袋へしまった。
二人は周囲をもう一度確認してから、その場を離れることにした。
まだ森の奥には何があるのか分からない。
しかし、ここから先へ進めばさらに危険が増える可能性も高い。
「今日はここまでにするか」
「うん。今の情報を持って帰る方がいいと思う」
二人は森を抜ける方向へ歩き始めた。
その足取りには疲労が残っていたが、調査へ出た時とは違う確かな手応えがあった。
すぐにクロナへ報告するわけではない。
まずは安全な場所まで戻り、今回得た情報を整理してから帰還する必要がある。
イエガンは森の奥を一度だけ振り返った。
まだ何かが潜んでいるような気配が、微かに残っている。
「……まだ終わっちゃいねえな」
「うん。むしろ、ここからが本番かもしれないね」
二人はそれ以上言葉を交わさず、森の出口へ向かって歩き続けた。
そして、この先で待ち受けるものを知らないまま、次の調査へ繋がる道を進んでいった。




