【第467話:魔術師の隊長】
イエガンがクロナの部屋を出ると、静かな廊下を爪部隊の詰め所へ向かって歩き始めた。
クロナから与えられた任務を思い返しながら、その足取りには迷いがない。
今回の調査では、相手の戦力が未知数である以上、一人で動くよりも誰かを連れていく方が安全だった。
その候補としてクロナが名前を挙げたのが、ルーニーだった。
イエガンにとっても、それは悪くない選択だと思っている。
自分とは違った形で戦える人間が同行すれば、調査の幅も広がるはずだった。
そう考えながら、イエガンは詰め所の扉を開いた。
「さて……あいつはいるかねぇ」
中では何人かの兵士たちがそれぞれの仕事をしており、突然入ってきたイエガンへ視線を向ける者もいた。
その中の一人が立ち上がり、イエガンへ声をかける。
「隊長、どうしたんですか?」
「ルーニーを呼んでくれ。クロナ様から任務を預かってきた」
イエガンがそう告げると、兵士は詰め所の奥へ視線を向けた。
ルーニーがどこにいるのかを確認するように少し考えたあと、すぐに答える。
「ルーニー隊長なら、たぶん奥にいると思います」
「そうか。なら俺が直接行くとするか」
イエガンは軽く手を上げ、そのまま詰め所の奥へ進んでいった。
奥の部屋へ近づくにつれて、何かを読み上げるような小さな声が聞こえてくる。
扉の前まで来たところで、イエガンは遠慮なく扉を開いた。
部屋の中央では、一人の男が机に向かっていた。
長い耳を持つエルフ族の男で、細身の身体には魔術師らしい装束を身につけている。
机の上にはいくつもの紙が並べられており、その一枚には複雑な魔術式が描かれていた。
淡い色の髪が肩口へ流れ、その男は扉の音に気づいて顔を上げる。
「やあ、イエガン。珍しいね、君がこっちまで来るなんて」
男は口元に薄い笑みを浮かべながら、手にしていた紙を机へ置いた。
それが爪部隊を率いる隊長、ルーニーだった。
「よう、ルーニー。クロナ様から任務を預かってきた」
「へえ、クロナ様から?」
ルーニーは興味深そうに眉を上げると、机の上に広げていた紙を一枚ずつまとめていった。
その仕草には慌てた様子がなく、突然の任務にも落ち着いて対応している。
「それなら、僕にも関係のある話なのかな」
「ああ。少し前から調べてる件について、もう一度現地を調べることになった」
イエガンは腕を組みながら、これまでの調査で確認された内容を簡潔に伝えた。
相手の存在は確認できているものの、まだ戦力や目的についてはほとんど分かっていないことも説明する。
さらに、普通のものとは異なる魔力の痕跡が確認されていることも付け加えた。
ルーニーは途中で口を挟まず、最後まで黙って話を聞いていた。
「なるほどね。それなら僕を連れていく意味はありそうだ」
「そういうこった。クロナ様も、お前なら何か分かるかもしれねえと考えたんだろう」
イエガンがそう言うと、ルーニーは少しだけ考えるように目を細めた。
やがて机の上へ手を置き、ゆっくりと立ち上がる。
「僕としても、未知の術式や魔力を調べられるなら興味はあるよ」
「お前ならそう言うと思ったぜ」
ルーニーは小さく笑いながら、机の上に置かれた道具を確認し始めた。
魔術の媒体や簡単な調査道具を一つずつ手に取り、必要なものだけを腰へ取り付けていく。
「準備するから、少し待って」
「おう。俺も急かすつもりはねえよ」
イエガンは壁へ背を預け、ルーニーの準備が終わるのを待った。
その間もルーニーは黙々と道具を確認し、最後に一つの魔術媒体を手に取った。
「これで大丈夫かな」
「忘れ物はねえか?」
「たぶんね。現地で必要になったものは、その場で魔術を使えばどうにかなるよ」
「相変わらず便利な奴だな」
イエガンが笑うと、ルーニーは肩をすくめた。
二人のやり取りには、隊長同士で長く付き合ってきた者たち特有の気安さがあった。
「それで、現地ではどう動くつもり?」
ルーニーが尋ねると、イエガンは少しだけ表情を引き締めた。
これまでの調査を思い出しながら、今回の方針を頭の中で整理する。
「まずは前回確認した場所を調べ直す。そこから先は、何か見つかれば追うつもりだ」
「分かった。それなら僕は魔力の痕跡を重点的に見るよ」
「頼んだぜ。俺じゃあ、そういう細けえことは分からねえからな」
イエガンが笑いながら言うと、ルーニーも小さく息を吐いた。
自分の得意分野を任されることについては、特に異論がないらしい。
「そこを僕が補うんだろうね」
「そういうこった」
二人は準備を終えると、詰め所を出た。
城の中を進みながら、イエガンは今回の調査について改めて考えていた。
これまでに分かっている情報は少ない。
だからこそ、焦って相手へ接触するのではなく、まずは周辺を調べて情報を集める必要がある。
城門へ近づくにつれて、外から吹き込んでくる風が少し強くなった。
ルーニーは足を止めることなく歩きながら、周囲へ意識を向けている。
「何か気になるのか?」
「いや、まだ何もないよ。ただ、こういう場所では念のため周囲の魔力を見ておきたいだけ」
「そうか。なら任せるぜ」
イエガンはそれ以上何も聞かなかった。
細かな魔力の変化を読み取ることについては、自分よりルーニーの方が遥かに詳しいと理解しているからだ。
やがて二人は城門を抜け、調査地点へ続く道へ入っていった。
後ろに広がるグリムファング王国の城を振り返ることなく、二人は静かに歩みを進めていく。
まだ、目立った異変は起きていない。
それでも今回の調査が、これまでとは違う何かへ繋がる可能性を二人とも感じていた。
イエガンは前方を見据えながら歩き、ルーニーは周囲に残る僅かな魔力の変化へ意識を向けていた。
二人の調査は、こうして静かに始まった。




