【第459話:山道の監視者】
翌朝、イエガンは集落を発った。
店主から聞いた北の山を目指し、街道を外れて細い山道へ足を踏み入れる。
山道は人一人がようやく通れるほどの幅しかなく、両脇には鬱蒼とした木々が立ち並んでいた。
枝葉が空を覆っているため昼間でも薄暗く、湿った土の匂いが辺りへ漂っている。
イエガンは周囲へ鋭い視線を向けながら歩き続ける。
黒いローブの集団が本当にこの山へ向かったのなら、何かしら痕跡が残っているはずだった。
焦って進めば、見つけられるものも見逃してしまう。
慎重さこそが今回の調査では最も重要だった。
しばらく歩くと、一本の木へ細い傷が刻まれていることに気付く。
自然に付いたものではなく、刃物で意図的に刻まれた印だった。
イエガンは傷へ指先を添える。
「道標か」
小さく呟き、近くの木々にも目を向ける。
少し先の木にも、同じ高さへ似た傷が刻まれていた。
一定の間隔で続いていることから、誰かが目印として残したものだと判断できる。
イエガンは傷を辿るように山道を進んでいく。
坂道は徐々に険しくなり、大きな岩が目立ち始めた。
吹き抜ける風も冷たさを増し、森全体が静まり返っている。
その時だった。
遠くで小石が転がる音が響く。
イエガンは瞬時に足を止め、大斧の柄へ静かに手を添えた。
鋭い視線を音のした方向へ向ける。
しかし、人影は見当たらない。
気配もすぐに消え、森には静寂だけが戻ってきた。
「隠れるのは得意らしいな」
イエガンは警戒を解かない。
獣人として鍛えられた感覚でも居場所を掴めない相手だ。
それなら無理に追うより、相手が動く瞬間を待つ方がいい。
イエガンは再び歩き始める。
やがて山道の途中で、小さな見張り小屋が姿を現した。
屋根は崩れかけ、壁板も風雨で色褪せていたが、人が身を隠すには十分な造りを残している。
イエガンは入口へ近付く。
扉は半開きになっていた。
中へ入ると、焚き火の跡と踏み固められた床が目に入る。
灰は完全には冷え切っていなかった。
「最近まで誰かが使っていたな」
イエガンは周囲を調べる。
倒れた椅子や古びた毛布が隅へ寄せられている。
長く住んでいた様子はないが、一時的な休憩場所として利用されていたことは明らかだった。
床の隅には小さな革袋が落ちていた。
イエガンはそれを拾い上げ、ゆっくりと口を開く。
中は空だった。
しかし、袋の口には黒い糸で奇妙な模様が縫い込まれている。
神殿跡で見つけた布切れや紙片の印と、どこか共通する意匠だった。
「やはり繋がっているか」
イエガンは革袋を懐へしまう。
ここは黒いローブの集団が立ち寄った場所で間違いない。
だが、既にこの場所から移動した後らしい。
イエガンは小屋を出て、山の上を見上げる。
山道はさらに奥へ続き、その先には店主が話していた古い採掘場があるはずだった。
風が木々を大きく揺らす。
その音へ紛れるように、僅かな視線を感じる。
イエガンは素早く振り返るが、そこには揺れる枝葉しかなかった。
姿は見えない。
それでも、誰かが近くで様子を窺っていることだけは確信できる。
イエガンは歩幅を変えることなく山道を進む。
監視されているなら、それを逆に利用するだけだ。
静かな山の奥で、新たな駆け引きが始まろうとしていた。




