【第456話:遠ざかる影】
イエガンは街道沿いの小さな宿場町へ戻っていた。
神殿跡で得た情報を整理するため、まずは落ち着いて考える時間が必要だった。
宿場町は小規模ながら旅人の往来があり、数軒の店と宿が並んでいる。
獣人であるイエガンの姿を見て、すれ違う者の中には警戒した視線を向ける者もいた。
しかし、イエガンは気にする様子もなく歩いていた。
今は周囲の目よりも、任された役目を果たすことが重要だった。
イエガンは宿の一室へ入り、机の上へ集めた情報を並べる。
黒い布切れ、神殿に残された刻印、そして壁に刻まれていた古い文字。
どれも単体では答えには届かない。
だが、何か大きなものへ繋がっていることだけは感じていた。
「問題は、こいつらが何を探していたかだな」
イエガンは黒い布切れを見つめながら呟く。
黒いローブの者たちは神殿へ入り、何かを探していた。
その目的が分からなければ、次の行動も決められない。
イエガンは椅子へ深く座り、腕を組む。
戦場なら敵を倒せば道は開ける。
しかし、今回の敵は姿すら見せていない。
情報の中に隠れた相手を追う難しさを、イエガンは改めて理解していた。
その時、宿の外から複数の足音が聞こえてきた。
重い靴音ではなく、周囲を警戒しながら歩くような静かな音だった。
イエガンはすぐに立ち上がる。
大斧へ手を伸ばすが、抜くことはしなかった。
敵だと決めつけるには早い。
それでも警戒を解く理由もなかった。
しばらくすると、宿の入口から二人の男が入ってきた。
一人は細身の体に灰色の外套を羽織り、長い黒髪を後ろで束ねている。
もう一人は大柄な体格で、革の防具を身に付けた若い男だった。
二人とも旅人のような格好をしているが、その動きには隙がなかった。
イエガンは視線だけを向ける。
ただの旅人ではない。
「獣人の客がいるとは珍しいな」
細身の男が周囲を見ながら呟く。
イエガンは黙って相手を見る。
「何か用か」
低い声で問い掛けると、男は少し笑った。
「警戒しているようだな。別に争うつもりはない」
男は近くの椅子へ座る。
「ただ、この辺りで妙なものを探している獣人がいると聞いてな」
その言葉に、イエガンの目が細くなる。
「妙なものとは何だ」
男はすぐには答えなかった。
代わりに、机の上へ置かれた黒い布切れへ視線を向ける。
その一瞬の反応を、イエガンは見逃さなかった。
「それを知っているのか」
イエガンが尋ねる。
男は小さく息を吐く。
「少しだけな」
「だが、ここで話す内容ではない」
イエガンは相手の様子を見る。
情報を持っている可能性は高い。
しかし、簡単に信用できる相手でもなかった。
「なら、どこで話す」
男は窓の外へ視線を向ける。
「明日の朝、この町の外れにある古い橋へ来い」
「そこでなら、少しは話せる」
それだけ告げると、二人の男は宿を出ていった。
イエガンはしばらく扉を見つめる。
怪しい。
だが、追う価値はある。
神殿跡で見つけた痕跡。
黒いローブの集団。
そして、自分を知っている謎の男。
全てが偶然とは思えなかった。
「面白くなってきたな」
イエガンは小さく笑う。
クロナなら、迷わず進むだろう。
ならば自分も、恐れて立ち止まるわけにはいかない。
翌朝。
イエガンは約束の場所へ向かうため、宿場町を出た。
まだ答えには届いていない。
それでも、確実に何かが動き始めている。
その感覚だけは、はっきりと感じていた。




