【第455話:消えた足跡】
神殿跡を出たイエガンは、一度立ち止まった。
森を吹き抜ける風が木々を揺らし、枝葉の擦れる音だけが静かに響いている。
もう一度、神殿全体へ視線を向ける。
何か見落としているものがあるのではないかという感覚が、胸の奥に残っていた。
イエガンはゆっくりと神殿の外周を歩き始める。
崩れた石壁の裏側や、草木に覆われた場所も一つずつ確認していく。
正面から見ただけでは分からない痕跡が残っているかもしれない。
そう考えながら、慎重に周囲を見渡した。
しばらく歩くと、背の低い草が不自然に倒れている場所を見つける。
踏み固められた跡は新しく、最近になって誰かが通ったことを示していた。
イエガンはしゃがみ込み、地面へ手を添える。
「やっぱり誰かが来ていたか」
草の折れ方は一方向だけではない。
何人かが同じ場所を通ったようにも見える。
イエガンは足跡を追い始める。
森の中へ続く細い獣道は、人目を避けるように木々の間を縫っていた。
道幅は狭い。
荷馬車が通れるような道ではなく、人が歩くためだけに使われたようだった。
数十歩ほど進んだところで、イエガンは再び足を止める。
地面に残っていた足跡が、突然途切れていた。
周囲を見回しても、新しい痕跡は見当たらない。
風で消えたようにも見えないほど、不自然な消え方だった。
「どういうことだ」
イエガンは眉をひそめる。
近くの木々を調べる。
枝が折れた様子もなく、岩場へ飛び移ったような形跡もなかった。
まるで最初から存在しなかったかのように、足跡だけが消えている。
イエガンは周囲を歩き回る。
焦って探すのではなく、一歩ずつ範囲を広げながら確認していった。
すると一本の木の根元に、小さな布切れが引っ掛かっているのを見つける。
黒い布地は裂けており、端には細かな刺繍が施されていた。
イエガンは布切れを拾い上げる。
「黒いローブの切れ端か」
神殿で聞いた噂と一致する。
少なくとも、この場所まで黒いローブの集団が来ていたことは間違いない。
しかし、その先が分からない。
布切れを懐へしまい、イエガンはもう一度辺りを見渡した。
森は静まり返り、鳥の鳴き声さえ聞こえなかった。
「今日はここまでだな」
無理に追えば、残された痕跡まで踏み荒らしてしまう。
調査では慎重さも必要だと、クロナと別れる時に自分へ言い聞かせていた。
イエガンは神殿跡へ最後に一礼すると、街道へ戻り始める。
今日得られたものは決して多くない。
それでも壁の文字、謎の刻印、そして黒い布切れ。
一つ一つは小さくても、確かな手掛かりだった。
ティナなら文字や刻印を調べられる。
クロナなら、この情報から何かを見抜くかもしれない。
そう考えると、無駄な一日ではなかった。
夕日が森を赤く染め始める。
イエガンは宿を探すため街道を歩きながら、次に調べるべき場所を静かに考え始めていた。




