【第435話:抗う本能】
赤い瞳が苦痛に歪む。
巨大な頭部は後退しながらも裂け目の奥へは戻らない。
封印へ抗う意志だけは微塵も衰えていなかった。
クロナは白い光を纏った拳を静かに握る。
胸の紋様は先程より強く脈打っている。
封印の力が完全に馴染み始めていた。
ティナは裂け目を見据える。
本体の魔力の流れを観察する。
そこには新たな異変が生じていた。
「クロナ様」
ティナが真剣な表情で口を開く。
「本体は封印を押し破るのを止めています。今は別の方法へ切り替えようとしています」
イエガンは裂け目へ視線を向ける。
巨大な頭部は動きを止めていた。
その静けさがかえって不気味だった。
「嫌な予感しかしませんね」
ティナは小さく頷く。
敵は力任せではない。
状況に応じて最適な手段を選ぶ存在だった。
赤い瞳が静かに閉じる。
裂け目の奥から黒い霧が溢れ出す。
それは谷全体を覆うように広がり始めた。
クロナは眉をひそめる。
霧そのものに攻撃性は感じない。
だが胸の紋様は激しく反応していた。
「来るぞ」
クロナは短く告げる。
白い光が自然と身体を包む。
封印の力が警鐘を鳴らしている。
黒い霧が地面へ降り積もる。
次の瞬間、谷中の岩陰から無数の影が立ち上がった。
どれも異形と酷似した姿をしている。
ティナは目を見開く。
先程まで存在しなかった反応だった。
裂け目から直接生み出されている。
「分身体です!」
ティナが叫ぶ。
「本体は自分の代わりに分身体を送り込んできました!」
イエガンは大斧を構え直す。
周囲を取り囲む敵は数え切れない。
谷が黒い影で埋め尽くされていく。
「数で押すつもりですか」
クロナは静かに笑う。
むしろ敵が焦っている証拠だった。
本体自身では突破できないからこその策である。
一体の分身体が飛び掛かる。
続いて二体、三体と殺到した。
漆黒の波がクロナたちへ押し寄せる。
クロナは拳を振るう。
白い光を纏った一撃が分身体を貫く。
触れた影は音もなく霧となって消えた。
ティナはその様子を見つめる。
本体ほどの強さはない。
だが数が異常だった。
「クロナ様!」
ティナが声を張る。
「本体は時間を稼いでいます! このままでは封印が削られ続けます!」
クロナは裂け目の奥を睨む。
赤い瞳は再び静かに開いていた。
その視線の奥には明確な狙いが見えている。
「なら答えは一つだ」
クロナは大地を蹴る。
迫る分身体を真正面から突き破る。
一直線に裂け目へ向かって駆け出した。
その瞬間だった。
裂け目の両脇から巨大な黒い門がゆっくりと姿を現す。
本体はさらに新たな封印破壊の仕掛けを動かし始めていた。




