【第411話:激突する異質】
クロナと異形が向かい合う。
谷を吹き抜ける風が止まったように感じられた。
空気そのものが緊張している。
異形の身体が揺らぐ。
黒とも赤ともつかない外殻が波打つ。
その輪郭は今も安定していなかった。
「行くぞ」
クロナが笑う。
その瞬間には姿が消えていた。
地面だけが大きく陥没する。
轟音が谷を駆け抜ける。
拳が異形の顔面へ叩き込まれた。
周囲の空間が弾け飛ぶ。
だが異形は後退しない。
吹き飛ばない。
存在しているだけだった。
クロナは止まらない。
続けて蹴りを放つ。
さらに肘打ちを叩き込む。
山肌が崩れる。
衝撃波が何重にも重なる。
谷の地形そのものが変わり始めていた。
それでも異形は崩れない。
傷一つ生まれない。
まるで世界の法則から切り離されているようだった。
「いいな」
クロナの笑みが深くなる。
久しぶりに手応えのない相手だった。
だからこそ面白い。
異形の目が動く。
次の瞬間だった。
クロナの周囲の空間が歪む。
嫌な予感が走る。
クロナは反射的に後方へ飛んだ。
直後に元いた場所が消失する。
爆発ではない。
破壊でもない。
存在そのものが削られていた。
「クロナ様!」
イエガンが叫ぶ。
同時に地面を蹴る。
巨大な身体が砲弾のように飛び出した。
大斧が振り下ろされる。
空間ごと断ち切る勢いだった。
斧刃が異形の肩へ叩き込まれる。
鈍い衝撃が響く。
今度は異形の身体が僅かに揺れた。
だがそれだけだった。
「ちっ」
イエガンが舌打ちする。
確かな威力だった。
それでも届いていない。
異形の腕が動く。
あまりにも自然な動作だった。
だがイエガンの本能が叫ぶ。
危険だ。
イエガンは即座に飛び退く。
その判断は正しかった。
一瞬前までいた空間が消滅する。
「洒落にならねぇなこりゃ」
イエガンの額に汗が浮かぶ。
強敵は何度も相手にしてきた。
だがこんな相手は初めてだった。
ティナは距離を保っている。
戦いながら観察を続けていた。
異形の動きを見逃さない。
「クロナ様。少しだけ分かりました」
ティナの声が飛ぶ。
「言ってみろ」
クロナは異形の攻撃を回避しながら答える。
「攻撃そのものではありません。周囲の法則へ干渉しています」
クロナの眉が動く。
ティナは言葉を続けた。
「だから防御や再生では説明できません。攻撃を受けた結果そのものを曖昧にしています」
完全な確信はない。
それでも今までで最も有力な仮説だった。
異形がティナを見る。
その視線だけで空気が震える。
ティナは即座に移動した。
直後に岩壁が崩壊する。
数百トン規模の岩塊が落下した。
異形は見向きもしない。
クロナが飛び込む。
巨大な岩塊を片手で掴む。
そのまま異形へ投げつけた。
音速を超えた岩塊が激突する。
谷全体が揺れた。
土煙が空を覆う。
だが異形はそこにいる。
変わらず立っている。
まるで最初から結果が決まっていたようだった。
「ははっ」
クロナが笑う。
抑えきれない高揚が溢れていた。
久しぶりだった。
力押しで解決できない。
理解しなければ届かない。
そんな相手は。
異形が動く。
今度はクロナへ向かって歩き始めた。
一歩ずつだった。
遅い。
だが距離は異常な速度で縮まる。
認識と現実が噛み合わない。
見ているのに理解できない。
クロナは拳を握る。
全身から魔力が噴き上がる。
黒い奔流が空へ伸びた。
精霊達が応える。
雷が走る。
炎が渦巻く。
風が唸り声を上げる。
影が地面を覆い尽くす。
今まで喰らった力が一斉に解放された。
イエガンが目を見開く。
ティナも息を飲む。
クロナが本気で戦う姿だった。
「消し飛べ!」
拳が振り抜かれる。
雷と炎と風と影が融合する。
巨大な奔流となって異形へ襲い掛かった。
谷が白く染まる。
轟音が世界を揺らす。
地平線の彼方まで衝撃波が走った。
アルドは思わず膝をつく。
その威力に理解が追い付かない。
王国を築いた怪物の本気だった。
光が消える。
崩れた大地だけが残る。
谷は半ば消滅していた。
しかし。
異形は立っていた。
無傷だった。
クロナの笑みが消える。
代わりに興奮が深くなる。
初めてだった。
ここまでやって届かない相手は。
異形がゆっくり口を開く。
声は出ない。
それでも世界が震える。
次の瞬間。
クロナの背後に巨大な亀裂が走った。
空そのものが裂けたような光景だった。
ティナとイエガンの表情が強張る。
今までとは違う。
異形もまた本格的に動き始めたのだと。
三人は同時に理解していた。




