【第400話:夜へ沈む監獄】
太陽が西へ傾くにつれて、谷底の影は少しずつ濃くなっていった。
クロナたちは岩陰に身を潜めながら監視を続けていた。
施設内の動きは昼と比べて活発になっている。
荷車が出入りし、人員の交代も頻繁に行われていた。
ティナは岩壁へ寄りかかりながら施設を見つめていた。
長時間の観察によって警備の癖が見え始めている。
「巡回は三十分ごとです。北側だけ僅かに警備が薄いですね」
クロナは頷いた。
彼女の観察力はこういう場面で特に頼りになる。
「人質はどうだ」
「まだ中央の建物にいます。移動した形跡はありません」
イエガンは腕を組みながら谷底を睨んだ。
大柄な体は岩陰に隠れていても圧迫感があった。
「クロナ様。夜になったら俺が入口を潰しましょうか」
「まだ早いな」
「承知しました」
イエガンは素直に引き下がった。
クロナの判断に異を唱えるつもりはない。
やがて太陽が山の向こうへ沈んだ。
空が群青色へ変わり始める。
施設の各所で灯りが点灯した。
見張りたちも松明を手に持ち始める。
「そろそろですね」
ティナが静かに呟いた。
クロナは最後に施設全体を見渡す。
警備配置は頭の中へ完全に入っていた。
侵入経路も既に決まっている。
「行くぞ」
三人は音もなく岩場を降り始めた。
夜風が衣服を揺らしていく。
谷底へ近づくにつれて人の気配が濃くなった。
見張りの話し声も聞こえてくる。
北側の柵付近に到達した時だった。
二人組の見張りが歩いてくる。
「最近忙しいな」
「仕方ないだろ。上から急げって命令なんだから」
男たちは愚痴をこぼしながら通路を歩いていた。
その様子に緊張感は見られない。
ティナがクロナへ視線を向けた。
クロナは小さく頷く。
次の瞬間だった。
ティナの短剣が閃いた。
男の首筋へ正確に打ち込まれる。
もう一人はクロナによって口を塞がれた。
抵抗する間もなく二人は意識を失った。
物音はほとんど発生していない。
三人は見張りを茂みへ隠した。
施設内に異変は伝わっていない。
「相変わらず手際がいいですね」
イエガンが小声で言った。
「騒ぎになる前に進みます」
ティナは短く答える。
三人は施設内へ侵入した。
木造の建物が並ぶ通路を慎重に進んでいく。
周囲には薬品の臭いが漂っていた。
クロナの表情が僅かに険しくなる。
前回の拠点でも嗅いだ臭いだった。
その時だった。
中央施設の裏手から声が聞こえる。
「今回の被験者は状態が良いらしいぞ」
「上の連中も期待してるらしいな」
男たちは笑いながら建物へ入っていった。
その内容にティナの目が細くなる。
「やはり実験目的ですね」
「間違いなさそうだな」
さらわれた人々は労働力ではない。
最初から実験材料として集められていた。
その事実にイエガンの拳が僅かに軋んだ。
怒りを押し殺しているのが分かる。
「気に入らない連中です」
「俺も同感だ」
クロナは低く答えた。
三人は建物の裏側へ回り込む。
窓から内部を覗き込んだ瞬間だった。
そこには鉄格子が並んでいた。
昼間に見た村人たちも閉じ込められている。
老人や女性、若者まで混ざっていた。
誰もが疲弊している。
助けを求める力すら残っていないように見えた。
ティナは小さく息を吐いた。
普段の彼女にしては珍しい反応だった。
「思ったより酷いですね」
クロナも無言で頷く。
放置できる光景ではなかった。
「まずは救出だ」
「賛成です」
「もちろんです」
三人が動こうとしたその時だった。
建物の奥から重い扉が開く音が響く。
地下へ続く階段の入口だった。
見張りたちが一斉に姿勢を正す。
そこから一人の男が現れた。
年齢は四十代ほどに見える。
長い黒髪を後ろで束ねていた。
黒い外套を纏った痩身の男だった。
頬は細く削げている。
鋭い灰色の瞳だけが異様な存在感を放っていた。
見張りたちは男を見るだけで緊張している。
明らかに立場が違った。
「報告しろ」
低い声が響く。
「被験者の準備は終わったか」
「はっ。問題ありません」
男は小さく頷いた。
それだけで周囲の空気が張り詰める。
ティナは男を見つめたまま呟いた。
「恐らくあれが責任者です」
クロナも同じ結論に達していた。
前回の仮面の男とは格が違う。
男は地下へ続く扉へ視線を向ける。
そして僅かに口元を歪めた。
「ようやく成果が見えてきた」
その言葉を聞いた瞬間だった。
クロナたちは地下施設こそが核心だと確信する。
さらわれた人々。
繰り返される実験。
組織の中枢へ繋がる責任者。
全てがこの場所に集まっていた。
そして三人は、今まさに敵の懐へ踏み込もうとしていた。




